2016年03月21日

足下で味わう

クリスマス・ローズや貝母などの釣り鐘形の花に心惹かれる。
ひっそりとある、という風情が好きだ。
自分を強く主張することもない。
他の植物の陰になっても淡々と自分を生きている。
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味わい深い色合いのクリスマス・ローズの勢いがいい。
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下からのアップは必ず逆光になる。
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我が家の白色の花は、年数の割に花数が少ない。
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「雪起こし」の別名はどこからきたのだろう。
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水菜の花も黄色を輝かせている。
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昨日、ディーラで定期点検とタイヤ交換した際、カープ坊やのふりかけを貰った。

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2016年03月20日

抱きしめあう貝母

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貝母の花が開き始めた。庭の3〜4か所で咲いている。
庭の倒れかかった数本の貝母を摘み取り花瓶に投げ入れた。
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貝母という花は不思議な花である。
一本の時は真っ直ぐ誰にも寄りかからずに生きているのだが、
これが数本まとめて花瓶に挿そうものなら、
みるみるうちにその巻きひげのような葉っぱが互いに絡み合って、
まつわりあって簡単には離せなくなる。
本当にあっという間だ。
ビデオの高速撮影を見るようである。
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貝母たちは、ぞくぞくするくらい互いを支え合い抱きしめ合い、
もう二度と離れまいとばかりに、複雑に絡み合ってしまう。
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花瓶に挿すと花の裏と表を同時に見ることができる。
表の清楚さに比べ、内側の網模様は見惚れるほど。

紅万作も咲き始めた。
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昨年より少し遅いと思う。花の数も少ないように思える。

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2016年03月17日

75回目の料理教室

3月16日(水)調理教室

毎回、2種類の料理を作っているので、75回目となった今日で150近い献立を作ったことになる。
全く情けないことだが、一度も自宅で作っていない。
家人からは何のための料理教室かと言われる…。

だが、白木農園の仲間と作るこの教室は実に楽しい。
上手くゆくこともあれば、思うようにならないこともある。
それもこれも、皆笑い飛ばせることが何より良い。

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今日はオムレツとチキンロールの二品。
薄焼き卵で包んだオムレツは初めてである。
ジャガイモやにんじんなどの具だくさんのオムレツは美味しかった。

お土産に持ち帰ったオムレツは卵を厚くして焼き直し家人と分け合った。

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2016年03月15日

屈んで見れば春の到来

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今年も貝母が蕾をたくさんつけている。
年々歳々、この時期になると律儀に春を告げてくれる。
アミガサユリの和名の通り、
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釣り鐘状の花の表はアイボリーの地に薄緑の脈を滲ませた品の良さ、
内側に紫の網膜様が入る。
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表地より裏地の模様に凝る趣味人のようだ。
茶花と呼ばれる楚々とした少し寂しげな花である。

クリスマスローズも今が盛りである。
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下からアップで…
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白色のクリスマスローズも
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蕗の薹も、
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さらにヒヤシンス。
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屈んで庭を見るをあちこちに小さな春たちが…。

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2016年03月11日

東日本大震災から5年の今日

東日本大震災と福島第一原発の事故が起きた<3・11>から、今日で5年が経つ。
だが、福島県をはじめ、約17万人が避難先での生活を強いられている。行方不明の方も2561人に及ぶ。
震災と原発事故の影響は、今もなお続いている。

震災直後は、だれもが被災地のことを思い、「支え合い」「つながろう」の言葉を口にした。この年の世相を表す「今年の漢字」に、「絆」が選ばれたことを記憶している方も多いと思う。
しかし、あの意識は本物だったのだろうか。新聞やテレビなどの報道を目にすると、被災者の間でも距離が開いていく「分断」を憂える声が聞こえてくる。ましてや、私たち被災地から離れた全国で、その現実感を保つ人はどれだけいるだろう。

人間と地域の和が壊れる。その痛みがもっとも深刻なのは、福島県だろう。
放射線の影響をめぐり、住民の価値観や判断は大きく揺れた。
震災と同時に原発事故が起きたからこそ、これほど深刻なものになったのだ。
その検証が十分でないにもかかわらず、国は原発を再稼働し始めている。

3月9日の大津地裁の「高浜原発の運転差し止め」の仮処分の決定は画期的なものであるといえる。
決定は、安全性の立証責任は資料を持つ電力会社側にもあるとし、十分に説明できない場合はその判断に不合理な点があると推認されるという立場をとった。

そして東京電力福島第一原発事故の重大性を踏まえ、原因究明は「今なお道半ば」と言及。その状況で新規制基準を定めた国の原子力規制委員会の姿勢に「非常に不安を覚える」とし、新規制基準や審査について「公共の安寧の基礎となると考えることをためらわざるを得ない」と述べた。

この地裁の決定に対して、政府の見解は、CO2の削減のためにも原発は必要だと説く。これでは、原発事故の原因究明も道半ばであっても、温暖化対策のために安全は確かなものでなくとも進めると聞こえてくる。
「経済効果や温暖化対策」と「原発の安全性」のことは全く違った問題である、という認識に立つべきだと考える。

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2016年03月04日

地産地消の味噌作り

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白木農園の恒例のイベントである味噌作り教室に参加した。
参加者は26組だった。

教室名も「地産地消で味噌作り」だ。
麹は広島市産の米と国内産の麦でできている。
大豆はもちろん白木農園で栽培したものである。

午前8時半に集合し、準備に取り掛かる。
圧力鍋、ステンレスのボールまですべての道具とテキスト、
塩入合せ麹などJA広島市の方が用意して下さり、
Hさんが運び込んでくださった。
すごい量の荷物である。たいへんなご苦労をおかけした。

各自、500gの大豆を3月1日に洗い48時間水に浸けて持参した。
K先生の詳しく丁寧な説明の後、
9時過ぎから5班に分かれて進めた。
お昼前には参加者すべての味噌ができあがった。

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できあがった味噌は約4s。お盆過ぎには食べられる。
この味噌は本当に美味しい。
白木農園の仲間たちと一緒に作る楽しさも加味されるのだろう。

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2016年03月02日

雪景色の豊栄

3月1日(火)
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小雪の舞うなか豊栄に向かう。
広島の自宅を出る時、とても寒くダッシュボードの外気温を見ると4度を示している。
豊栄に向かって走るほどに、少しずつ外気温は低くなってゆく。
向原に入って1度になり、豊栄に着いた時には0度だった。
寒いはずである。
あまり積もってはいないが、庭は一面の銀世界。

ここ数日が寒かった分、今日2日は陽も燦々と注ぎ、暖かい一日になりそうだ。
早く春らしい気候になることを願っている。

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2016年02月26日

二種の蕎麦を楽しめた「そば夕食会」

2月25日(木)そば夕食会
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一年ぶりに為楽庵に行った。
この店主は、思い入れの強い方で、細かな点まで気を配っている。
そば前料理はもちろんのこと、お酒もビールと日本酒しかない。
最近は、焼酎を飲む人が多いのだが、店主が自信を持って提供できるものがないのか、置いていないのだ。

それだけのことはあって、昨夜のそば前料理もすべてに満足のゆくものだった。
途中で店主自ら客の傍らに来て、料理の説明もしてくれる。
なかでも、鴨肉とサーモンが格別に美味しかった。

最後の〆は、二種の蕎麦。
一枚目は「更科」、出汁は胡桃や胡麻の香りも高いこの店独自のもの。
聞けば、更科は一日に10人分しか打たないのとのこと。いまだに難しいのだそうだ。
二枚目は、茨城産の蕎麦粉での二八蕎麦。
角が立って、艶も良い。
出汁をつけなくても十分に美味しい。
本当に美味しい二種類の蕎麦を堪能できた。
デザートは自家製のクマザサのアイスクリーム。これも絶品。

久しぶりにHさんとGさんが出席してくださった。
蕎麦の縁が取り持つ仲間たちとの楽しい「そば夕食会」だった。

posted by tontonton at 17:52| 広島 ☁| Comment(0) | 蕎麦食べ歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月24日

新入会員を迎えて料理教室

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白木農園の料理教室も73回を重ねてきた。
今日から新たに2名の方が参加されることになった。喜ばしいことだ。

本日の献立は「さばのみそ煮」と「ひじきとベーコンの洋風煮」の二品。
さばは3枚におろしたものを用意していたので、スムースに進んだ。
レシピには3枚におろすところから書かれていたが、K先生は手間がかかりすぎると判断したのだろう、おろしたものを用意するように手配して下さった。
ひじきにはエリンギを使うように指示してあったが、Oさんが栽培された平茸を使った。

K先生は分かり易く丁寧に説明してくださる。
さばの片身を4切れのそぎ切りにするのも実際に1枚だけ手本を示しながら教えて下さる。
失敗するはずがない。

食材も良いものを用意してくださったのだろう、美味しく出来上がった。
大勢で食べるとさらに美味しくなる。
今月も仲間たちと楽しい時間を過ごすことができた。

2月23日(火) 「ささき亭」

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豊栄に行く途中、久しぶりに「ささき亭」で昼食を摂った。
いつもの「おまかせランチ」は、

たらのトマト風味野菜ソース
厚揚げのピリ辛焼き
大根ステーキ
みそ汁
香の物
古代米入りご飯

美味しく頂き、食後の珈琲を飲んで豊栄に向かう。
ささき亭では、いつもテーブルの上に可愛い花がそっと置かれている。
また、優しい笑顔と温かみのある接客で気持ちを和ませてくれる。


posted by tontonton at 20:51| 広島 ☁| Comment(0) | 白木農園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月20日

「2・26事件」奇縁譚

今日の午後、NHKのEテレで「こころの時代」の再放送があった。
この番組は2・26事件で父を殺された娘と殺した兵士の弟、二人の人生の歩みだった。

2・26事件で、陸軍教育総監の父を目前で殺された渡辺和子さんと、その父にとどめを刺した安田優陸軍少尉の弟、安田善三郎さんが、事件から50年の法要で初めて顔を合わて、兄のことに負い目を感じてきた安田さんは驚愕する。渡辺さんが父を殺した兵士たちの墓に手を合わせたからだ。
渡辺さんはカトリックの修道者として、困難をいかに生き抜くかを実践してきた人、そして、負い目を感じながら苦悩に満ちた安田さんの二人の人生の歩みを未来に生きる指針につなげる企画となっていた。

今月の初旬に渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」を読んで、その感想文を2月5日のブログに投稿した。
そして、その数日後に毎月購読している「文藝春秋」の3月号が届いた。その号には「2・26事件 娘の80年」と題して、昭和史研究家の保坂正康さんとの対談が掲載されていた。
「置かれた場所で咲きなさい」の中でも父・渡辺錠太郎陸軍大将のことは触れているがそれほど詳しくはなかった。文藝春秋の対談では、事件の当日の生々しい様子や父・錠太郎の50回忌の年に、処刑された青年将校が眠る東京・麻布の賢崇寺に参った事などについても詳しく話している。
お参りを終えると、安田少尉と高橋少尉の弟さんが滂沱の涙を流して立っていて、「これでようやく僕たちの2・26が終わりました」と語ったことも書かれている。

「置かれた場所で咲きなさい」を読んでまもなく、文藝春秋の対談を目にした。そして、今日の「こころの時代」の再放送に出会うのである。
今年がこの事件が起きて丁度80年になる年で、昨年は戦後70年の節目の年でもあった。これら、三つの媒体との重なりがもう一度、「振り返ってみよ」と伝えているような気がしてならない。
この話題の中心にいる方が孫娘が学んだノートルダム清心学園の理事長・渡辺和子さんである。
「2・26事件との奇縁」を感じた。

2・26事件

2・26事件は、昭和11年2月26日、安藤輝三大尉、栗原安秀中尉ら青年将校が率いる兵士、1500名余が決起し、岡田啓介首相、鈴木貫太郎侍従長、斎藤実内大臣(死亡)、高橋是清蔵相(死亡)、牧野伸顕前内大臣、渡辺錠太郎教育総監(死亡)を次々に襲撃した。
事件の背景には、陸軍の荒木貞夫元陸相、真崎甚三郎大将らいわゆる「皇道派」と永田鉄山少将らを中心とする「統制派」の派閥抗争があった。昭和10年の林銑十郎陸相による人事で皇道派は枢要なポストから一掃され、永田が軍務局長、渡辺が教育総監となっていた。しかし皇道派将校の不満は高まり、永田は昭和10年8月に斬殺され、真崎の後任に収まった渡辺への恨みも高まっていた。
渡辺が襲撃対象になったのは、政治問題化していた天皇機関説に渡辺が全面的に理解を示し、青年将校の反発を買っていたという事情もあったのだ。

この事件の後に残ったものは、軍部が「2・26事件の再発」をちらつかせて政・財・言論界を脅迫し、軍需産業を中心とした重工業財閥を軍が抱きかかえ、国民をひきずり戦争体制へと大股に歩きだしたのである。これ以降の日本はテロの脅しがテコになって、殆どの体制が軍の思うままに動いてゆくことになった。






posted by tontonton at 19:36| 広島 ☔| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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