2016年02月05日

「置かれた場所で咲きなさい」を読んで

「孫娘が学んだノートルダム聖心女学院の理事長が著わした有名な本がある」ことは、娘から随分以前に聞いていた。だが、なかなか手に取る機会がなく、漸く昨年購入して積んでおいたが、今月なって読んだ。
それは、カトリックの修道女でノートルダム清心学園理事長(岡山県)をつとめる渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』である。
この書は、200万部を突破した大ベストセラーである。宗教書や人生指南書の枠組みに収まらない傑出したエッセイである。

善き日本人で、善きキリスト教徒で、善き女性で、善き教育者であるという要素が渡辺和子という人格にそのまま体現されている。それだから、男女、時代を問わずにこの本が広く受け入れられているのだろう。

渡辺さんは、29歳のときにナミュール・ノートルダム修道女会に入り、修道女になった。そして、36歳という異例の若さでノートルダム清心女子大学(岡山県)の学長に就任する。そのとき、ある宣教師から渡された詩が本書のタイトルになっている。
Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)
「咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです」と続いた詩は、「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです」と告げるものでした。
置かれたところで自分らしく生きていれば、必ず「見守っていてくださる方がいる」という安心感が、波立つ心を鎮めてくれるのです。


と、「はじめに」に記されている。

ここで〈「見守っていてくださる方がいる」という安心感〉とさりげなく記していますが、渡辺さんは見守ることの辛さを体験している。

それは、9歳の時、渡辺さんは父が目の前で殺される過程を見守った経験があるからだ。
父の思い出について渡辺さん次のように書いている。(本文のまま)

父が1936年2月26日に62歳で亡くなった時に、私は9歳でした。その後、母は1970年に87歳で天寿を全うし、姉と二人の兄も、それぞれ天国へ旅立ちまして、末っ子の私だけが残されています。事件当日は、父と床を並やすべて寝んでおりました。70年以上経った今も、雪が縁側の高さまで積もった朝のこと、トラックで乗りつけて来た兵士たちの怒号、銃声、その中で死んでいった父の最期の情景は、私の目と耳にやきついています。
私は、父が陸軍中将として旭川第七師団の師団長だった間に生まれました。9歳までしかともに過ごしていない私に、父の思い出はわずかしかありません。ただし、遅がけに生まれた私を、「この娘とは長く一緒にいられないから」といって、可愛がってくれ、それは兄二人がひがむほどでした。
 (中略)

さらに、「…父の死後母が話してくれたことです。」として、

外国駐在武官として度々外国で生活した父は、語学も堪能だったと思われます。第一次大戦後、ドイツ、オランダ等にも駐在して、身をもって経験したこと、それは、「勝っても負けても戦争は国を疲弊させるだけ、したがって、軍隊は強くてもいいが、戦争だけはしてはいけない」ということでした。
「おれが邪魔なんだよ」と、母に洩らしていたという父は、戦争にひた走ろうとする入々にとってのブレーキであり、その人たちの手によって、いつかは葬られることも覚悟していたと思われます。その証拠に、2月26日の早朝、銃声を聞いた時、父はいち早く枕許の押し入れからピストルを取り出して、応戦の構えを取りました。

父の最期の瞬間について渡辺さんは、

死の間際に父がしてくれたこと、それは銃弾の飛び交う中、傍で寝ていた私を、壁に立てかけてあった座卓の陰に隠してくれたことでした。かくて父は、生前可愛がった娘の目の前1メートルのところで、娘に見守られて死んだことになります。昭和の大クーデター、2・26事件の朝のことでした。
「師団長に孫が生まれるのは珍しくないが、子どもが生まれるのは珍しい」このような言葉に、母の心には私を産むためらいがあったとは、私が成長した時、姉が話してくれたことでした。そしてその時、「何の恥ずかしいことがあるものか、産んでおけ」といった父の言葉で、私は生まれたのだとも話してくれました。
(後略)

渡辺さんが修道女となったのもこの原体験が強い影響を与えていると思う。
キリストの犠牲の死が、9歳の時に渡辺さんの目の前で、独り善がりの正義を振りかざした青年将校たちによって殺された父の姿と二重写しになったのではないだろうか。

時代の犠牲になった父の人生から学んだ事柄を渡辺さんは、宗教と教育の世界で継承したのである。それだから、渡辺さんの助言は浮き足立っていない。現実から逃避してはならないと繰り返し強調する。
また、渡辺さんは、

心の悩みを軽くする術があるのなら、私が教えて欲しいくらいです。悩みのない人生などあり得ないし、思うがままにならないのは当たり前のことです。もっと言えば、悩むからこそ人間でいられる。それが大前提であることを知っておいてください。

現実を変えられない悩みに直面しても、人知を超える力(それを神と呼ぶか仏と呼ぶか、超越性と考えるか)に虚心坦懐に耳を傾ければ、必ず道は開けるという現実を渡辺さんは本書を通じて我々読者に伝えている。

もう一度「はじめに」に戻り、最後の4行を記しておく。

置かれたところで自分らしく生きていれば、必ず「見守ってくださる方がいる」という安心感が、波立つ心を鎮めてくれるのです。
咲けない日があります。その時は、根を下へ下へと降ろしましょう。この本が、読む方の心に少しでも和らぎをもたらすことを願っています。
 

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2015年12月30日

至福な読書の時間

今年も読書の時間が多く持てたことを幸せに思う。
読んだ本をエクセルで月ごとに書籍名と作家を入力し始めて5年が経過した。
以前の記録を見ると読む本の傾向や作家などの移り変わりが良く分かる。

一番違ってきたのは、図書館の利用である。
図書館で借り受けた書籍は2011年が55冊、それから毎年増えて今年は101冊になっている。
年間に読んだ本のうちの6割以上が図書館で借り受けた書籍である。

圧倒的に多いのは小説だが、それも傾向が少しずつ変わってきている。
数年前は推理小説、警察小説などが多かったのだが、今年は時代小説が多い。

宇江佐真理、今井枝美子、畠中恵、宮部みゆき等の女性作家に加えて、藤沢周平、池波正太郎、山本周五郎、岡本綺堂等の江戸時代の捕物や江戸市井の情緒を描いたものをたくさん読んでいる。

少し若い頃はハードボイルドが好きだったが、年を重ねるとともに過激なストーリーを読むのが辛くなってきた。物語が穏やかで読後感が良いものになってきているのだろう。

今年読んだ書籍の中で一番印象に残ったのは、半藤一利さんの「昭和史」「昭和史ー戦後編」の上下巻二冊である。「昭和史」だけは以前読んでいたのだが、戦後70年の今年に改めて上下巻を通して読んで、戦争の悲惨さとそこに至る人間の愚かさを改めて思い知らされた。この事は8月15日の終戦記念日に「戦後70年の今年、昭和を振り返る」と長文のブログを書いた。

新書も多く読んだ。新書の中で印象に残ったものは堤未果さんの「沈みゆく大国アメリカ 」だ。日本とアメリカの医療がテーマだが、この内容には驚かされた。

来年の大河ドラマは「真田丸」である。
歴史上の人物で私が好きな5本の指に入る武将だが、池波正太郎の「真田太平記」はまだ読んでいない。文庫本で12巻の長編である。読みたいのだが、読み終える気力があるかが心配だ。
ドラマの進行に合わせながらゆっくり読む手もあるかもしれない。

この一年間に読了した書籍は156冊になった。
今年も読書という至福の時間を多く過ごせた事に感謝したい。

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2015年08月09日

文藝春秋―芥川龍之介追悼号・復刻版

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定期購読してる月刊誌「文藝春秋」がいつもの月より早めに届いた。
そして、2日後に予約しておいた芥川龍之介追悼号「復刻版」も届いた。
定期購読者に限り、この復刻版が400円で購入できる。
もちろん、復刻版も書店で販売されるが1冊1200円と安くない。

追悼号は文藝春秋創設者の菊池寛が友の死を悼み文壇のスターたちを集めて編み上げた、まさに芥川賞の原点となる一冊。初めての、そして今回限りの復刻版だそうだ。
芥川龍之介遺稿の他、山本有三、谷崎潤一郎、菊池寛、武者小路実篤、横光利一、柳田國男ほかの著名作家の寄稿で編集された貴重な文献である。
昭和2年9月号として発刊され、約200頁で定価は35銭(送料は1銭半)となっている。

少しページをめくってみたが、読めない文字もたくさんある。
時間をかけて、ゆっくり味わいながら読むことにしよう。

通常の文藝春秋9月号には、先日発表された芥川賞受賞作品が全文掲載されている。
マスコミを賑わしたお笑い芸人の又吉直樹の「火花」と羽田圭介の「スクラップ・アンド・ビルド」の2編が掲載されている。今号は特に分厚く、何だか得をした気分だ。

先日、直木賞受賞作品・東山彰良の「流」も買ってきた。
お盆に読める書籍が沢山ある。なんと幸せなこと。

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2015年05月09日

夫婦円満の秘訣

日本文藝家協会選集の「不機嫌の椅子」というエッセイ集がある。
作家や著名人など70数名の方の珠玉のエッセイが掲載されている。その中のひとつに作家でエッセイストの林真理子さんの「不機嫌の椅子」があった。

このエッセイを執筆したときは、林さんが結婚して16年ほど経った頃のことを話題にしている。
林さんは、1990年、36歳でサラリーマンと見合いをして結婚したようだ。この頃の彼女は直木賞作家でもあり、各方面で活躍していて、ごく普通のサラリーマンと結婚したとき業界やマスコミの人たちはとても驚いたようだ。
世間の人たちはすぐ離婚するのではないかと考えていたらしく、座談会の席上で、同年代の男性作家からは「林さん、今のご主人ずっと最初の人だっけ?」と尋ねられたとか。
「そうです」と答えたところ「へえー、すごいねえ、よくもってるのえ」とたいそう驚かれた、とも書いてあった。
そのエッセイの中で、これは夫婦円満の秘訣だと思った個所を抜粋しておく。

「帰りが遅い」「うちが散らかっている」「お袋の誕生日を忘れた」という小言もさることなながら、私が驚いたのはあなたの"不機嫌"の持続力です。商いの家に育った私は、イヤなことがあっても、喧嘩をしても、次の朝にはニコニコと食卓につくことを躾けられました。ところがあなたは、何日間も口をきかない。一週間、ある時は十日もです。
田辺聖子先生は、
「不機嫌というのは、男と女が共に棲む場合、1つしかない椅子だと思う。どちらかがそこへ坐ったら、片方は坐れない」という名言をおっしゃっていますが、うちの場合は、まさにそのとおり。あなたがその椅子を長年にわたって独り占めしているのです。私はとにかくあなたがその椅子に座らないよう、気を遣ったり、先まわりしたりの十六年だったような気がします。が、これも私の勝手な言い分かもしれません。なぜなら私があなたの愚痴を訴えると、友人は必ずこう言うからです。
「林真理子の旦那でいることがどんなに大変なことか。それをしてるだけご主人はすごいよ、えらいよ、立派だよ」私は結婚当初の負い目がまだあるのでしょうか。

夫婦円満の秘訣は、少しずつ思いやって「不機嫌の椅子」を作って座らせないことのようだ。

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2014年09月28日

夏目漱石の「こころ」の連載を読み終えて

朝日新聞が夏目漱石の『こころ』を今年の4月10日から再連載した。
1914年4月20日から8月11日に同紙に掲載されて丁度百年目にあたる。
4月10日から先日の9月25日まで一日も欠かさず読んできた。
70歳を超えて読む「こころ」は、十代の後半に読んだ感想とは大きく異なる。
心の葛藤に共感する部分も多かった若い頃に比べると、違った感想を持つのも当然のことだろう。
ドラマチックの要素が少ない小説であるから、読者にとっては面白くないと感じる人もいるかもしれない。
だが、この連載がなかったら、読み返すことはなかったろうから、読む機会を得たのはラッキーだった。
以下は、その感想を忘れない様に記録に残しておこう。

語り手の「私」は、鎌倉へ海水浴に出かける。そこで「先生」を見かける。私の方から先生に接触して交遊が始まる。謎めいた教訓をときどき口にする先生に私は惹き寄せられる。先生の夫婦関係はいまひとつうまくいっていない。先生は、雑司ケ谷にある墓地に月一回、必ず墓参りをする。そこには学生時代の友人が葬られているようだが、先生はその件については何も語らない。
腎臓病が悪化した父を見舞うために故郷に帰る。大学卒業後の就職を心配する両親を安心させるために、私は先生に就職斡旋を求める手紙を書く。これに対して先生から届いたのは分厚い遺書だった。
遺書には、先生の秘密が記されていた。雑司ケ谷の墓地に葬られているのは、先生の親友のK。Kは先生と同じ未亡人の家に下宿し、そこの一人娘を巡って三角関係にあった。
Kの想いを知りながら、先生は未亡人に娘との結婚を申し入れ、未亡人は求婚を認める。その数日後にKは自殺する。Kの遺書には、「自分は薄志弱行で到底行く先の望みがないから、自殺する」という抽象的な内容しか書かれていないが、先生はKが自殺した原因は、自分がKを出し抜いて求婚したことにあると確信する。しかし、この認識を誰にも語るまいと先生は封印する。明治天皇の崩御と乃木希典大将の殉死に触発され、先生も自殺を決意する。自殺をする前に、私に宛てた遺書を書く。

〈「恋は罪悪ですか」と私がその時突然聞いた。
(中略)
「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」
「それはそうかもしれません。しかしそれは恋とは違います」
「恋に上る楷段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」
「私には二つのものがまったく性質を異にしているように思われます」
「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。
私は実際お気の毒に思っています。あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし……」〉

この部分に注目すれば、同性愛小説として読むことも出来る。
さらに複数の死生観について考察した小説としても読むことができる。

まず興味深いのが父親の死生観である。
〈父は死後の事を考えているらしかった。少なくとも自分が居なくなっいえた後のわが家を想像してみるらしかた。「小供に学問をさせるのも、好し悪しだね。折角修業をさせると、そのうち小供は決して宅へ帰って来ない。これじゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ」
学問をした結果兄は今遠国にいた。教育を受けた因果で、私はまた東京に住む覚悟を固くした。こういう子を育てた父の愚痴はもとより不合理ではなかった。永年住み古した田舎家の中に、たった一人取り残されそうな母を描き出す父の想像はもとより淋しいに違いなかった。
わが家は動かすことの出来ないものと父は信じ切っていた。その中に住む母もまた命のある問は、動かすことの出来ないものと信じていた。〉

父親は、死については全く恐れていない。個体である自分が死んでも、家が残ると固く信じているからだ。
これに対して、欧米的な近代教育を受けた先生とKは、死を恐れている。実は、ここにキリスト教的な世界観と、日本の伝統的世界観の葛藤がある。

さらに先生も、実は言葉によって、死に追い込まれたのだ。
〈すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終わったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは畢竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました。私は明白さまに妻にそう言いました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死でもしたらよかろうと調戯いました。〉
妻の「殉死でもしたらよかろう」という言葉がなければ、先生は死を選ばなかった。先生は、言葉によってKを殺し、妻の言葉によって殺されるのである。


10月1日からはまた新しい連載が始まる。
「三四郎」である。

主人公・小川三四郎はどこか頼りない青年。母の手紙に書かれていた野々宮の研究室を訪ね、帰りに東大の池の畔で美しい女性を見かける。それが美禰子だった。謎めいた美禰子に三四郎はひかれてゆく。
淡い恋模様を軸に、級友らの与太話に振り回されたり、広田先生の世を達観した哲学に驚かされたり。東京の街を歩きながら、三四郎は新しい世界を見つけてゆく。…。

この機会に漱石に対する関心が高まることを期待している。若い方たちに読んで欲しい。




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2014年07月14日

直木賞の候補作品

ミッドナイト・バス.jpg

第151回直木三十五賞選考会は、平成25年12月から同26年5月までに発表された諸雑誌、単行本の中から選ばれた下記の6作品を候補作として決定した。
選考会は平成26年7月17日午後5時より、東京築地の新喜楽において開かれる予定である。

候補作品は以下の6作品だ。
『ミッドナイト・バス』(文藝春秋) 伊吹有喜
『破門』(角川書店) 黒川博行
『男ともだち』(姦暮秋) 千早茜
『私に似た人』(朝日新囲版) 貫井徳郎
『本屋さんのダイァナ』(新潮社) 柚木麻子
『満願』(新潮社) 米澤穂信

これらの候補作品を見て、すぐ図書館に予約を入れた。
だが、これらの本には多くの予約が入っている。
前回の候補作は割合早く予約でき、受賞作2作を含めて全ての作品を図書館で借りて呼んだ。
少し出遅れた今回は借受できるのはだいぶ先になりそうだ。
だから、このうち伊吹有喜さんのミッドナイト・バスを購入して読んだ。

『ミッドナイト・バス』は家族の再生の物語だ。
東京と新潟を繋ぐ深夜高速バスの運転手高宮利一には二人の子供がいる。長男の怜司は東京で就職していたが、突然仕事を辞めて実家に戻ってきた。長女・彩菜は地元で働きながら、友人とインターネット上でアイドル活動をしている。婚約者はいるが、夢と結婚のいずれを選ぶべきか葛藤している最中だ。ある日、利一が運転するバスに、十六年前に離婚した元妻・美雪が乗車する。家族が再び集まったとき、止まっていた時間が動き出す。

伊吹有喜さんはオール讀物7月号の「BOOK TALK」で次のように話している。

「新潟へはこの作品を書く前から取材で何度も訪れていて、地元の方々の奥ゆかしく、あたたかい気性に惹かれていました。また関越自動車道にある関越トンネルの存在も大きかったです。
太平洋側は晴れているのに、トンネルを越えると雪が降っている。どちらも美しいのですが、風景が大きく趣を変えるのを見て、人や人生にも似ているように感じました。トンネルを越えると男、戻ると父親、あるいはトンネルを越えると思い出の町、戻ると今、暮らしている町。そういうた一人の人が抱えているさまざまな側面を表しているように思えたのです」
「ほんの少しでも結末に未来が感じられるもの。そうした作品を読むのが好きなので、書き手としても大切にしていきたいです。登場人物たちはみんな生きていて、彼らの人生はこれからも続いていくという気持ちで書いています。読み終えたあと、彼らが友人のような近しい存在に感じていただけたら嬉しいです」、と。

『ミッドナイト・バス』の登場人物はみんな心に傷を負っているが、トンネルの向こう側から射し込む光に向かって懸命にもがいている。最後のページを読み終えた後、誰もがあたたかい気持ちで満たされてくる。
この作品は受賞作になりそうな予感がする。

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2013年08月16日

2冊の文藝春秋

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文藝春秋大型版
先日、今月に入って2冊目の文藝春秋が届いた。
月刊誌文藝春秋の発売日は毎月10日なのだが、定期購読しているため今月も8日に届いた。その中に数日後に大型版の文藝春秋を無料で届けると案内が入っていた。今年創刊90周年を迎えたのを機に、読者からの要望もあって実験的に大型版を製作・販売したのである。
一部の地域では販売もされているようだ。今回定期購読者にはすべて無料配布された。
縦が2.5センチ、横が1.5センチ大きくなり、厚さは同じで、もちろん内容は全く一緒である。開いてみると文字は大きくなり読みやすくはなっている。だが、少々重い。
書斎のソファーに横になったり、ベッドに寝転がったりして読むには大きすぎるし重過ぎる。何かの書に「横になって本を読むのは読書ではない」などと書いていた人もいたが、学者や研究者でもなく本を楽しむ者にとっては読む姿勢など関係はない。私も寝転がって読むことの方が多いのだが、それには大型判の文藝春秋は重過ぎる。
アンケート用紙が添付されていて、その内容に回答はしたが、この大判を購入することはないだろう。
月刊誌文藝春秋は、いつも知的刺激を与えてくれる一冊である。今号には芥川賞受賞作の藤野可織さんの「爪と目」も全文掲載されていて読んだが、受賞に値する作品とは思えなかった。芥川賞を選考する9人の委員の選評でも、それほど高い評価ではなかった様だが、それなら何故…という疑問が残っただけ。
しかし、その他の記事は面白く読めた。


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2013年08月14日

魂の気迫―詩集「火の文字」

火の文字.jpg

井野口慧子さんの詩集「火の文字」

井野口慧子さんの第八詩集「火の文字」が8月6日刊行された。
井野口慧子さんは東広島市在住の詩人・作家で、創作活動以外にも講演やコンサートなどでの詩や物語の朗読など幅広く活躍されている。私の妻とは中学時代からの親友で、豊栄での住まいを通じて家族ぐるみのお付合いもしている。
家人は以前、銅版画に熱中していた時期があったが、その内の一枚が井野口さんの書籍の表紙を飾ったことがある。「ウジェーヌ・カリエールへの旅」である。(読後感を2007年5月28日の晴耕雨読に書いた。)
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今回の詩集「火の文字」の表紙画も家人の銅版画が配置されている。その詩集「火の文字」が井野口さんより届き、早速読んだ。

この書籍に添えられていた編集・発行者でもある鈴木比佐雄さんの栞解説文にはその内容が的確に書かれているのでその一部をそのまま引用させて頂いた。
『「火の文字」に出てくる「ふりそそぐ愛」が込められていて「魂を行き交い包む/見えない言葉」を「夜明けの星石に刻みたい/火の文字で」という詩的な言語思想は、井野口さんの主観を超えて共同主観的であり、また人間存在を超えて見えない精霊や命の根源的な揺らぎやただならぬ存在を受け止めようとしている。その意味では井野口さんの詩的言語思想や詩的感受性の在りかを明るみに出すような詩論的な詩篇が試みられている。
それらの五十篇は「火」から始まり、章の中の代表的な言葉を当てはめてみると例えば、T章は「光の言葉」、U章は「水の物語」、V章は「風の言葉に」、W章は「花の言葉」、X章は「小さな指跡」であるかのように分けられている。生きることはその瞬間に何ものかに出会っているのであり、その豊かさは言葉になっていないが、実はすでに「見えない言葉」になって立ち現れてくる。井野口さんの詩篇はそんな光、水、風、花、指跡(土)の五元素によってこの世界が組み立てられているような思いがしてくる。そしてこの五元素の働きによって愛の喪失は、より深い愛の再生を果していくようにも感じられた。』

W章の中に「水蜜桃」というエッセイがある。このエッセイの中には家人とその母の原爆が投下された時のことなども書かれている。
魂の気迫を描いた、井野口さんの詩集「火の文字」を広島の多くの方々に読んで頂きたく、私のブログで紹介することにした。



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2013年02月16日

奇想天外な伝奇とロマン


このモーリス・ルブランの「奇岩城」は長島良三の訳である。
1982年3月に1刷が発刊されているが、この奇岩城だけでも、実に多くの作家が翻訳している。
一度読んだが、全く記憶がない。半世紀以上も前に読んだこの本は全く違ったように思える。
中学生の頃だから、読みやすく翻訳されていたものを読んだように思う。それがこの本ではとても難しい表現になっている。子供の頃に読んだ本をもう一度読んでみたくなった。
この奇岩城は、歴代フランス王たちが金銀財宝を隠しておいたというエギーユ・クルーズの秘密をめぐり、ルイ十四世、鉄仮面、ルイ十六世、マリーアントワネットまでがからむ奇想天外な、伝奇とロマンとミステリーにあふれている。
アルセーヌ・ルパンの相手をつとめるのは紅顔の高校生、ボートルレである。
今回は、ガニマール警部もシャロック・ホームズも登場するが、この二人はほとんど活躍せず、ポートルレ少年に花を添えているにすぎない。
弱冠17歳の少年だが、その素晴らしい推理によって、一時はルパンもたじろぐ場面もある。二人の推理競争、古文書の秘めた暗号の解読などは楽しめる。
同じモーリス・ルブランの「奇岩城」でも翻訳者が違えば趣きの違った小説と思えるだろう。違った翻訳者の本も読んでみたい。


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2013年02月09日

万年係長がエリート課長を告発した

万年係長がエリート課長を告発した。池井戸潤の小説「七つの会議」の題材である。
池井戸潤は『下町ロケット』や『ロスジェネの逆襲』など、最近では企業を題材にした作品が多くなってきている。昨年読んだこの作家の作品『ルーズヴェルト・ゲーム』、『空飛ぶタイヤ』もやはり企業を取り扱っているが、情報小説ではなく"人間小説"として書かれている。この作家の企業を舞台に書いた小説のすべてに共通している。
池井戸潤と出会ったのは、もう15年ほど前になる江戸川乱歩賞を受賞した『果つる底なき』である。
もともとこの作家は金融ものを多く書いていた。従来の金融小説は「銀行内部でこんなことが起きている」といった暴露本的な性格が強かったが、彼の場合は金融そのものが題材ではなく、舞台になっているだけで、あくまで、そこで働いている人たちの姿をメインに描いていることに共感を持って読んできた。

職場の描写は非常にリアルで、いかにも企業内に実在しそうな人間臭い登場人物ばかり出てくる。
「東京建電」という実際にはない会社に就職し、そこで起きる騒動をひとりの社員として体験している様に小説は展開してゆく。
社内の各課の特徴やディテールが徹底して書き込まれ、登場する人物像についても、普通にそのあたりの社会で生きている人のような人物像である。

物語はその「東京建電」という架空の中堅メーカーを舞台に、ある重大な業務上の不正が発覚することに始まり、その隠蔽や内部告発をめぐる社員たちの葛藤や心のさまが事細かく描かれている。人物の生い立ちまで細かく書いていくというのは、映像ではできにくい技で、小説という表現方法の魅力はそこにあるように思える。
「この人はなんでこんな不正をやったの?」という疑問に対する答えも、小説にすることで、担当者たちの論理を細かく解き明かしている。「なるほど、こういう境遇の人ならきっとこうするだろう」と納得させられる。これが、小説としての醍醐味だろう。
不正発覚後も2度にわたって会社側は隠蔽しようとする。だが、やがて会社の不正は明らかになってゆく…。昨年もそんな企業が実際に現れた。日本の企業体質を実に上手く書いている。
この作品は8章で構成され、それぞれの章ごとに登場人物が入れ替わってゆくのも面白い。企業という舞台で起きている事件を読者自身が架空の会社員生活を楽しんでいるような気軽な気持ちでエンターテイメントとして楽しむこともできる。


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