2016年02月26日

二種の蕎麦を楽しめた「そば夕食会」

2月25日(木)そば夕食会
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一年ぶりに為楽庵に行った。
この店主は、思い入れの強い方で、細かな点まで気を配っている。
そば前料理はもちろんのこと、お酒もビールと日本酒しかない。
最近は、焼酎を飲む人が多いのだが、店主が自信を持って提供できるものがないのか、置いていないのだ。

それだけのことはあって、昨夜のそば前料理もすべてに満足のゆくものだった。
途中で店主自ら客の傍らに来て、料理の説明もしてくれる。
なかでも、鴨肉とサーモンが格別に美味しかった。

最後の〆は、二種の蕎麦。
一枚目は「更科」、出汁は胡桃や胡麻の香りも高いこの店独自のもの。
聞けば、更科は一日に10人分しか打たないのとのこと。いまだに難しいのだそうだ。
二枚目は、茨城産の蕎麦粉での二八蕎麦。
角が立って、艶も良い。
出汁をつけなくても十分に美味しい。
本当に美味しい二種類の蕎麦を堪能できた。
デザートは自家製のクマザサのアイスクリーム。これも絶品。

久しぶりにHさんとGさんが出席してくださった。
蕎麦の縁が取り持つ仲間たちとの楽しい「そば夕食会」だった。

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2016年02月24日

新入会員を迎えて料理教室

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白木農園の料理教室も73回を重ねてきた。
今日から新たに2名の方が参加されることになった。喜ばしいことだ。

本日の献立は「さばのみそ煮」と「ひじきとベーコンの洋風煮」の二品。
さばは3枚におろしたものを用意していたので、スムースに進んだ。
レシピには3枚におろすところから書かれていたが、K先生は手間がかかりすぎると判断したのだろう、おろしたものを用意するように手配して下さった。
ひじきにはエリンギを使うように指示してあったが、Oさんが栽培された平茸を使った。

K先生は分かり易く丁寧に説明してくださる。
さばの片身を4切れのそぎ切りにするのも実際に1枚だけ手本を示しながら教えて下さる。
失敗するはずがない。

食材も良いものを用意してくださったのだろう、美味しく出来上がった。
大勢で食べるとさらに美味しくなる。
今月も仲間たちと楽しい時間を過ごすことができた。

2月23日(火) 「ささき亭」

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豊栄に行く途中、久しぶりに「ささき亭」で昼食を摂った。
いつもの「おまかせランチ」は、

たらのトマト風味野菜ソース
厚揚げのピリ辛焼き
大根ステーキ
みそ汁
香の物
古代米入りご飯

美味しく頂き、食後の珈琲を飲んで豊栄に向かう。
ささき亭では、いつもテーブルの上に可愛い花がそっと置かれている。
また、優しい笑顔と温かみのある接客で気持ちを和ませてくれる。


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2016年02月20日

「2・26事件」奇縁譚

今日の午後、NHKのEテレで「こころの時代」の再放送があった。
この番組は2・26事件で父を殺された娘と殺した兵士の弟、二人の人生の歩みだった。

2・26事件で、陸軍教育総監の父を目前で殺された渡辺和子さんと、その父にとどめを刺した安田優陸軍少尉の弟、安田善三郎さんが、事件から50年の法要で初めて顔を合わて、兄のことに負い目を感じてきた安田さんは驚愕する。渡辺さんが父を殺した兵士たちの墓に手を合わせたからだ。
渡辺さんはカトリックの修道者として、困難をいかに生き抜くかを実践してきた人、そして、負い目を感じながら苦悩に満ちた安田さんの二人の人生の歩みを未来に生きる指針につなげる企画となっていた。

今月の初旬に渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」を読んで、その感想文を2月5日のブログに投稿した。
そして、その数日後に毎月購読している「文藝春秋」の3月号が届いた。その号には「2・26事件 娘の80年」と題して、昭和史研究家の保坂正康さんとの対談が掲載されていた。
「置かれた場所で咲きなさい」の中でも父・渡辺錠太郎陸軍大将のことは触れているがそれほど詳しくはなかった。文藝春秋の対談では、事件の当日の生々しい様子や父・錠太郎の50回忌の年に、処刑された青年将校が眠る東京・麻布の賢崇寺に参った事などについても詳しく話している。
お参りを終えると、安田少尉と高橋少尉の弟さんが滂沱の涙を流して立っていて、「これでようやく僕たちの2・26が終わりました」と語ったことも書かれている。

「置かれた場所で咲きなさい」を読んでまもなく、文藝春秋の対談を目にした。そして、今日の「こころの時代」の再放送に出会うのである。
今年がこの事件が起きて丁度80年になる年で、昨年は戦後70年の節目の年でもあった。これら、三つの媒体との重なりがもう一度、「振り返ってみよ」と伝えているような気がしてならない。
この話題の中心にいる方が孫娘が学んだノートルダム清心学園の理事長・渡辺和子さんである。
「2・26事件との奇縁」を感じた。

2・26事件

2・26事件は、昭和11年2月26日、安藤輝三大尉、栗原安秀中尉ら青年将校が率いる兵士、1500名余が決起し、岡田啓介首相、鈴木貫太郎侍従長、斎藤実内大臣(死亡)、高橋是清蔵相(死亡)、牧野伸顕前内大臣、渡辺錠太郎教育総監(死亡)を次々に襲撃した。
事件の背景には、陸軍の荒木貞夫元陸相、真崎甚三郎大将らいわゆる「皇道派」と永田鉄山少将らを中心とする「統制派」の派閥抗争があった。昭和10年の林銑十郎陸相による人事で皇道派は枢要なポストから一掃され、永田が軍務局長、渡辺が教育総監となっていた。しかし皇道派将校の不満は高まり、永田は昭和10年8月に斬殺され、真崎の後任に収まった渡辺への恨みも高まっていた。
渡辺が襲撃対象になったのは、政治問題化していた天皇機関説に渡辺が全面的に理解を示し、青年将校の反発を買っていたという事情もあったのだ。

この事件の後に残ったものは、軍部が「2・26事件の再発」をちらつかせて政・財・言論界を脅迫し、軍需産業を中心とした重工業財閥を軍が抱きかかえ、国民をひきずり戦争体制へと大股に歩きだしたのである。これ以降の日本はテロの脅しがテコになって、殆どの体制が軍の思うままに動いてゆくことになった。






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2016年02月17日

孫娘からのバレンタインチョコ

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孫娘からバレンタインのチョコレートが先ほど届いた。
去年までは手作りのチョコレートを送ってくれていたのだが、14日に引っ越しがあって忙しかったようだ。
それでも、可愛いメッセージを添えて私の好きなGODIVAのチョコを送ってくれた。
引っ越しの様子は娘から一昨日もLINEで写真入りで知らせてくれた。
新しい住まいは白金だから治安は良いだろう。
楽しく有意義な学生生活を過ごしてほしい。

posted by tontonton at 16:03| 広島 ☁| Comment(0) | 孫の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月14日

今年もバレンタイン・チョコ

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娘からバレンタインのチョコレートが届いた。
例年なら孫娘の手作りのチョコと可愛いメッセージも入っているのだが…。

大学生になった今は、東京で一人暮らしをしている。
また、今日は引っ越しの日でもある。
1週間ほど前からその準備をしていると娘から聞いていた。
娘も昨日から東京に行って、手伝いをしている。
今朝、孫娘からLINEで「チョコが遅れる」との連絡を受けた。

今頃は二人で四苦八苦しながら整理しているところだろう。
新しい住まいに早く馴染めるといいが…。

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2016年02月05日

「置かれた場所で咲きなさい」を読んで

「孫娘が学んだノートルダム聖心女学院の理事長が著わした有名な本がある」ことは、娘から随分以前に聞いていた。だが、なかなか手に取る機会がなく、漸く昨年購入して積んでおいたが、今月なって読んだ。
それは、カトリックの修道女でノートルダム清心学園理事長(岡山県)をつとめる渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』である。
この書は、200万部を突破した大ベストセラーである。宗教書や人生指南書の枠組みに収まらない傑出したエッセイである。

善き日本人で、善きキリスト教徒で、善き女性で、善き教育者であるという要素が渡辺和子という人格にそのまま体現されている。それだから、男女、時代を問わずにこの本が広く受け入れられているのだろう。

渡辺さんは、29歳のときにナミュール・ノートルダム修道女会に入り、修道女になった。そして、36歳という異例の若さでノートルダム清心女子大学(岡山県)の学長に就任する。そのとき、ある宣教師から渡された詩が本書のタイトルになっている。
Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)
「咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです」と続いた詩は、「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです」と告げるものでした。
置かれたところで自分らしく生きていれば、必ず「見守っていてくださる方がいる」という安心感が、波立つ心を鎮めてくれるのです。


と、「はじめに」に記されている。

ここで〈「見守っていてくださる方がいる」という安心感〉とさりげなく記していますが、渡辺さんは見守ることの辛さを体験している。

それは、9歳の時、渡辺さんは父が目の前で殺される過程を見守った経験があるからだ。
父の思い出について渡辺さん次のように書いている。(本文のまま)

父が1936年2月26日に62歳で亡くなった時に、私は9歳でした。その後、母は1970年に87歳で天寿を全うし、姉と二人の兄も、それぞれ天国へ旅立ちまして、末っ子の私だけが残されています。事件当日は、父と床を並やすべて寝んでおりました。70年以上経った今も、雪が縁側の高さまで積もった朝のこと、トラックで乗りつけて来た兵士たちの怒号、銃声、その中で死んでいった父の最期の情景は、私の目と耳にやきついています。
私は、父が陸軍中将として旭川第七師団の師団長だった間に生まれました。9歳までしかともに過ごしていない私に、父の思い出はわずかしかありません。ただし、遅がけに生まれた私を、「この娘とは長く一緒にいられないから」といって、可愛がってくれ、それは兄二人がひがむほどでした。
 (中略)

さらに、「…父の死後母が話してくれたことです。」として、

外国駐在武官として度々外国で生活した父は、語学も堪能だったと思われます。第一次大戦後、ドイツ、オランダ等にも駐在して、身をもって経験したこと、それは、「勝っても負けても戦争は国を疲弊させるだけ、したがって、軍隊は強くてもいいが、戦争だけはしてはいけない」ということでした。
「おれが邪魔なんだよ」と、母に洩らしていたという父は、戦争にひた走ろうとする入々にとってのブレーキであり、その人たちの手によって、いつかは葬られることも覚悟していたと思われます。その証拠に、2月26日の早朝、銃声を聞いた時、父はいち早く枕許の押し入れからピストルを取り出して、応戦の構えを取りました。

父の最期の瞬間について渡辺さんは、

死の間際に父がしてくれたこと、それは銃弾の飛び交う中、傍で寝ていた私を、壁に立てかけてあった座卓の陰に隠してくれたことでした。かくて父は、生前可愛がった娘の目の前1メートルのところで、娘に見守られて死んだことになります。昭和の大クーデター、2・26事件の朝のことでした。
「師団長に孫が生まれるのは珍しくないが、子どもが生まれるのは珍しい」このような言葉に、母の心には私を産むためらいがあったとは、私が成長した時、姉が話してくれたことでした。そしてその時、「何の恥ずかしいことがあるものか、産んでおけ」といった父の言葉で、私は生まれたのだとも話してくれました。
(後略)

渡辺さんが修道女となったのもこの原体験が強い影響を与えていると思う。
キリストの犠牲の死が、9歳の時に渡辺さんの目の前で、独り善がりの正義を振りかざした青年将校たちによって殺された父の姿と二重写しになったのではないだろうか。

時代の犠牲になった父の人生から学んだ事柄を渡辺さんは、宗教と教育の世界で継承したのである。それだから、渡辺さんの助言は浮き足立っていない。現実から逃避してはならないと繰り返し強調する。
また、渡辺さんは、

心の悩みを軽くする術があるのなら、私が教えて欲しいくらいです。悩みのない人生などあり得ないし、思うがままにならないのは当たり前のことです。もっと言えば、悩むからこそ人間でいられる。それが大前提であることを知っておいてください。

現実を変えられない悩みに直面しても、人知を超える力(それを神と呼ぶか仏と呼ぶか、超越性と考えるか)に虚心坦懐に耳を傾ければ、必ず道は開けるという現実を渡辺さんは本書を通じて我々読者に伝えている。

もう一度「はじめに」に戻り、最後の4行を記しておく。

置かれたところで自分らしく生きていれば、必ず「見守ってくださる方がいる」という安心感が、波立つ心を鎮めてくれるのです。
咲けない日があります。その時は、根を下へ下へと降ろしましょう。この本が、読む方の心に少しでも和らぎをもたらすことを願っています。
 

posted by tontonton at 16:12| 広島 ☁| Comment(2) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする