2013年11月28日

反省点の多い料理教室

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昨日は今年の最後となる料理教室。12月は「蕎麦打ち教室」が開催されるために料理教室はない。同じ白木農園の方たちとの交流の場だから献立が蕎麦に変わるだけのことだ。
昨日の献立は「椎茸の肉詰め」と「かぶのとろみ煮」の二品。
いつもならOさんの椎茸を使うのだが栽培が間に合わず市販のものを使用した。
軸を切り取った椎茸に片栗粉をまぶしておき、合びきミンチに卵、しょうが、塩、コショウなどを加えて良く捏ねてのせてゆくのだが、サイズが大小さまざまで出来上がりの大きさがまちまちになった。この様な献立の場合、椎茸は多目に購入して、ある程度の大きさ以下のものは使わないことも考えておかねばと感じた。作ってみないと買い物する時の品定めが分からない、作ってみて参考になることが多々ある。
椎茸の肉詰めは少し焼きすぎて硬くなった。火加減は一人の者が注意深く見ていないといけない。他のことと同時進行するレベルにないことを教えられた。
かぶのとろみ煮にはカニも入れたのだが、盛り付け後にもう少し多くても良いと思った。
反省点は多かったけれど、楽しく食べることができるのが一番である。
I さんからお土産のチョコレートを頂いた。
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2013年11月27日

70回目のそば食べ歩き会

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新そばの大ザル盛り(十割蕎麦、柚子きり、外一そば)

昨夜は第70回目の「そば食べ歩き会」だった。
今回のお店はやぶそば広島店、中心街のデパートの10階にある。
5月にもこのお店で開催したが好評リクエストに応えて今年2回目だ。
前回とは変えて献立もいろいろ工夫してくださった。

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料理が運ばれる度に簡単に説明してくださる。
テーブル毎に話の花が咲き、楽しい語らいは3時間近くも続いた。

昨夜の献立(以下の献立が各テーブルに置いてあった)
三点盛り(蕎麦味噌、揚げ蕎麦、焼きねぎ)
蕎麦寿し(干瓢、甘エビ、梅肉)
風呂ふき大根
牡蠣のかえし焼き
合鴨ロース
天ぷらの盛り合わせ
新そば大ザル盛り
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2013年11月22日

ダイヤモンドリリーが咲き始める

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ダイヤモンドリリーが咲き始めた。
春に一回り大きな鉢に植え替えたので、蕾をたくさんつけている。
蕾の大きさは太さが7〜8ミリで長さが5センチほどの半透明の膜につつまれている。

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この膜が開いてその中に7〜8本の花茎を伸ばし、
そこに5枚の花弁をもつ3センチ程の小さな花を咲かせる。
1本の花茎から7〜8本の花茎を伸ばしそこに花をつける。

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今年は蕾が数十本伸びているので、満開の時の花の数は数えきれないほどになるだろう。
去年より開花が少し早いように思える。

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コキア(ほうき草)は下部は茶色になり始めたがまだ美しい紅葉を楽しませてくれる。
来年はもう少したくさん植えるつもりだ。

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マンリョウの実も色づき始める。

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柚子の実も黄色味が増してきた。

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2013年11月19日

不注意の連続

左折禁止を左折してしまった。今日の午後のことだ。
毎月1〜2回は通る道なのだが、何も考えることなく進入していた。
警察官に停止を命じられて、教えられるまで気付かなかった。
7000円の交通違反切符を切られた。2点だそうだ。
先週の末にも出掛けた先で車をレンガの花壇に当てて傷をつけた。
不注意とはいえ、付いてないことが続くと気分が良くない。
明日も出掛ける予定があるので注意しなければいけない。
3度目がないように、祈る気持ちを込めて呟いておくことにした。


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2013年11月18日

旧暦カレンダーの魅力―2014年の1年は385日

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注文していた旧暦のカレンダーが届いた。昨年は前年からの体調不良でこのカレンダーを注文すらできなかった。このカレンダーを見ると、なんだかホッとする。
太陽暦では1年は365.2422日であるが、太陰太陽暦での1年は354.37日である。だが、19年に7回「閏月」を設け、1年を385日とする。その閏年に当たる2014年は、19世紀以来、一度しか体験できなかった閏9月が入る珍しい年となる。四季の訪れは、1995年(閏8月)とよく似ているそうで、旧暦活用の啓蒙活動を推進してきた故小林弦彦氏による概況予測は「前半順調・大暖冬の気配」である。
昨今の天候不順を踏まえて、「備えあれば憂いなし」だ。日本古来の、謙虚に自然と向き合って暮らす「旧暦の知恵」を見直し、緊急時の備えと共に花鳥風月を生活に取り入れながら、心豊かな暮らしを再認識して過ごしたい。

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2013年11月14日

三度戻ってきたキジバト

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3、4日前から庭の紅万作の樹にキジバトが来ていた。
巣の中でじっとしているので卵を抱いているのだ。
今年4月上旬に紅万作に巣を作り、約1か月後に巣だっていった。
さらに、8月20日頃にも戻ってきて卵を抱いていた。
だが、この時は数日でいなくなって卵もなくなっていた。
先日が今年3度目の巣作りである。
午後から庭に出てキジバトの写真を撮る。
少し離れたところからカメラを構えてもそのままだったが、
巣の真下近くからカメラを向けると飛び立っていった。

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その間に脚立を立てて巣の中の卵の写真を撮った。
今回も卵は2個である。
無事に巣立ってほしい。

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庭の一角に植えてある1mほどの小さな柚子の木にたくさん実がついていた。


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2013年11月11日

「新鮮野菜市」も4回目

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倉掛公民館は白木農園のパソコン同好会の会場として2004年5月から使用し始めてもう9年が過ぎた。来年は開設10周年になる。長い間私たちのグループを繋ぐ場所としてお世話になってきた。
その公民館活動の最大のイベントが「公民館まつり」である。
昨日はその倉掛公民館まつりだった。
2010年から白木農園の会員が栽培する新鮮な野菜やしいたけなどを販売する「新鮮野菜市」のバザーの部で参加することに変更した。今年がこれで4年目になる。

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倉掛公民館まつりの中でも、白木農園の「新鮮野菜市」は人気のブースになってきた。
これまで、新鮮で美味しい野菜を販売したことが定着したのだと思う。
生き生きとした葉をつけた大根など、誰が見てもその鮮度の良さが分かるものを提供してきた。
会員が苦労して育てたものを安価で提供してくださるから、人気がでないはずはない。
その上、販売する人たちは実際に栽培している人たちばかりで、説明も丁寧で説得力がある。
公民館の担当の方から声をかけられての始めたことだが、公民館まつりの中でも重要な役割を果たしているとの矜持も皆さんがお持ちだろう。
今回は白木農園の会員の方の協力への申し出もあり、さらに充実した野菜市になった。
事前の準備から出品、展示、販売、撤去まで、多くの方々に協力して頂いた。心から感謝したい。


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2013年11月09日

あまりにも早い剪定―楽しめない紅葉

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左の写真が今月の5日に撮ったものだ。
このアメリカカエデの並木はこの住宅団地の東側からの進入路に植えられている。
道路一本を挟んで左側はかなり紅葉しているが右側はまだ青々としている。
この紅葉の変化を見てみたいと思いこの日シャッターを切った。
その2日後、同じところを通ると、なんと、アメリカカエデの並木がすべて剪定されている。
広島市から依頼を受けた造園業者だろうが、あまりにも早すぎる。
住人としてはもう少し紅葉を楽しみたいのだが、そんな気遣いはないのだろう。

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左側に見える運動公園に入るとアメリカカエデが美しく紅葉している。
葉を散らし、草むらに美しい帯を作っていた。

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2013年11月07日

ほうき草の紅葉

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ほうき草が美しく紅葉している。

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先月の27日には右の写真のように、少し色づき始めたころだった。
今日11月7日はこんなに紅葉している。
カエデなどの広葉落葉樹は紅葉は金赤に近い赤色や真っ黄色に黄葉するが、ほうき草の紅葉はえんじ色に染まる。
これも美しい。

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2013年11月03日

国語辞典に魅せられた高田宏氏の「言葉の海」

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左が昭和31年に図書館に寄贈された「言海」
右がちくま学芸文庫から平成13年に発売された「言海」

「国語辞典を読む面白さ」を10月15日のブログに書いた。その文中に「国語辞典を読むきっかけとなった3冊の本」を書いたが、その中の一冊が高田宏氏の「言葉の海」だ。実に印象深い一冊で、国語辞典の魅力に取り付かれた。

「言葉の海」は『日本辞書 言海』の編纂者大槻文彦の人と業績を明らかにした伝記である。また、同時に幕末維新期の激動期に生きた知識人が、明治の国家的要請としての辞書編纂事業に遇進する時代環境を周到に描き出した、構えの大きなノンフィクションでもある。

まず、この本を読み始めて非常に印象の強かったことがある。それは明治24年、完成したばかりの『言海』を大槻が福沢諭吉のもとに持参し、完成祝賀会への出席を乞うたときのこと。語順が五十音順であることに文句をつけられたという話である。「寄席の下足札が五十音でいけますか」と福沢は言ったと書いてある。
結局福沢は、完成祝賀会(日本初の出版記念会)には出席しなかった。表向きの理由は、自らの祝辞の順番が顕官の次に回されているということだが、いずれにせよ福沢諭吉のイメージに合致しない、狭量にして不見識な話である。無論、福沢はこの程度の人物ではない事は周知に事実。
『言海』の場合、いろは順か五十音順かという一見単純な問題は、革新を伴う重大事であったはずだ。文法も完成していないところにどの様な言葉を採録し、どの様な語釈を施すべきか先行モデルが皆無だった時代に、「事物を一定の価値観の順序にしたがって整理する方法」を決めたことに畏怖の念を抱かざるを得ない。

このような意味を含む"知識の壁"は、文部省の開明派官僚が推進した国語辞書編纂計画に、十人もの国文学者を動員しながら、収録語彙の範囲をめぐって議論百出、「ア」から「エ」まで進むのに三年も費やしたあげく、結局は中断したことにも現れている。「船頭多くして船山に上る」と考えた文部省の当時の課長の西村茂樹が、新人の大槻文彦に独力での編纂作業を命ずる大英断を下した。明治8年2月2日のことであった。
それから、17年後の明治24年4月22日、近代最初の日本辞典「言海」が完成するまでの艱難辛苦が描かれている。

明治19年3月23日に「言海」の稿が成ったが、簡単には本にならなかった。稿本は文部省に保管されたまま、文彦は非職を申しつけられたのである。非職は2年前に設けられた制度で、目下なすべき仕事のない官吏に給料を出して待機させるものである。辞書編纂の業務が終ったからではあるが、その辞書の出版の話もなく、なんの仕事もなくなった。
非職になって半年後、第一高等中学校の教諭に任じられて、再び勤めに出ることになったが、「言海」ことは音沙汰なしであった。
二度目の非職になった或る日、文部省から呼出しがあった。行ってみると、編輯局長伊沢修二から、自費で刊行するならば『言海』の稿本を下賜するとの話である。
編輯局の命は、まず、かならず全部の刊行をはたすべきこと、印刷は同局の工場に託すべきこと、そして、本書は文部省奉職中に編纂したものであることを篇首に明記すべきこと、しかじかの部数の献本をすべきこと、であった。
もはや陽の目を見ないかと、諦めかけていた『言海』である。思いさだめて起した、そしてやり遂げた業である。自費出版でもなんでもいい。本に出来るのだ。ありがたい、大槻文彦のこの時の偽らざる心境だったであろう。
翌日から金の工面である。私財をかきあつめた。富田鉄之助や同郷の友らが応援してくれた。資金の心配はなくなって、公式に文部省の命を受けた。

だが、下賜された稿本のままの印刷ならともかく、昼夜兼行とはいえ全面改訂にちかい文彦の校訂作業は、当初の予定ではとても無理だった。稿本が文部省に保管されていた31ヶ月の間、文彦の辞書への熱は行きどころを失っていた。それがいま爆発して、浄書を手伝うふたりが悲鳴をあげていた。加えて印刷のほうの障害も、思いがけずつぎつぎと起った。
半年目の明治22年6月には、原稿浄書と校正を手伝ってくれた中田邦行が、脳溢血で急死する。
「言海」の印刷が始まった頃に文彦の妻いよがふたり目の子をみごもり、22年の11月には次女が誕生する。翌年の秋に、生まれて1年にならない次女が風邪をこじらせ結核性脳膜炎を起し、ひと月後に世を去ってしまう。次女の看病に疲れ、その死にひしがれていた妻いよが倒れ、夫の仕事の完成をみないまま不帰の人となった。
翌24年1月7日、原稿訂正が終り、第四刷が4月22日に出版されて、編輯拝命から17年、「言海」の刊行が終了した。

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「言海」の巻頭には(辞書の本文が「あ」から始まる前に)、以下の項目が載っている。
・言海序
・本書編纂の大意
・語法指南(日本文典摘録)
・凡例
・索引指南

「言海序」は西村茂樹よる漢文である。この序はそのままでは全く理解できないが、ちくま学芸文庫の「言海」には読みやすい「書き下し」が掲載されている。
「本書編纂の大意」は大槻文彦による79頁に及ぶ国文法概説である。漢字とカタカナの文語体で、その中に「文法ヲ知ラザルモノ、辞書ヲ使用スベカラズ」とも書いている。
この言海の本文はの語釈は漢字とカタカナだが、見出し語には変体がなが使われている。「こ、し、す、な、に、は、」が変体がなだが、読める人はそんなに多くないだろう。

1110頁の本文の後には「ことばのおくがき」がある。
その中に次のような一節がある。
「後世いかなる学士の出でゝ、辞書を編せむにも、言海の体例は、必ずその考拠のかたはしに供へずはあらじ、また、辞書の史を記さむ人あらむに、必ずその年紀のかたはしに記しつけずはあらじ。自負のとがめなきにしもあらざるべけれど、この事、おのれ、いさゝか、行くすゑをかけて信じ思ふところなり。」

一国の普通語の辞書として首尾ととのったものがこの国にはなかった。いま、それがある。一国の独立の基礎であり、独立の標識である国語の統一は、辞書と文法によって成る。そのふたつを一体のものにして、いま、おれがつくった。――そんな大槻文彦の矜持がこの「言海」の隅々に感じられる。


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