2012年06月27日

6月の料理教室

料理教室6月.jpg

今日の料理教室の献立は「ミニトマトとズッキーニのみそ炒め」と「肉じゃが(煮汁なし)」の二品だった。
肉じゃがは以前にも作ったが、人気のメニューなので再度登場。今回は煮汁なしの肉じゃがにした。

先日、栽培仲間の中農さんがブログに「ボディコン野菜」について書いていた。「ボディー・コンディショナー」の略だそうで、カリュームを多く含む野菜を食べる事によって、体にたまった熱を対外に排出する事だそうだ。ボディコン野菜の代表的なものは、ナス、キュウリ、トマト、スイカ、ズッキーニなどがあると…。

そのボディコン野菜のミニトマトとズッキーニを使った料理である。短い時間でできる簡単な献立だ。
トマトはへたを取り、半量は形を生かしてそのまま、残りの半量は半分に切る。ズッキー二は約5cm長さに切り、厚めの短冊切りにする。ハーブはみじん切りにする。
フライパンにサラダ油を熱してにんにくを妙め、香りが出たらズッキー二を入れて強火で妙め、塩とコショウをふる。
さらにトマト、ハーブ(バジル)、合わせておいたみそと酒を加え、手早く妙め合わせて器に盛ってできあがり。みそ味との相性も良く、とても美味しかった。
ミニトマトの半量はそのままで、残りの半量を半分に切ることにより、トマトの旨味を全体に行き渡らせることとそのままのトマトは旨味をトマトの中に閉じ込めることにより、トマトの二つの味が楽しめるという事であった。
11時半ころから担当の班の班長さんの「いただきます」の声に合唱して頂いた。肉じゃがもしっかり味がしみ込み、二品ともとても美味しかった。

今日は会場として使用している真亀公民館の方もお一人お招きして試食していただいた。「とても美味しかった」と喜んでくださった。
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2012年06月26日

栗の花が満開

栗の花-1.jpg豊栄ではいま栗の花が満開を迎えたところだ。我が家の近くには、以前、「観光栗園」だったところがあり、今でも多くの栗の木がある。十数年前には、栗の実を拾いに多くの来園者があったと聞いた。今は立ち枯れたり、倒れたりと以前に比べると本数は少なくなっているが、それでもこの時期になると小さな丘いっぱいに栗の花が咲き乱れる。
丘一面が少し黄ばみを帯びた白色でこんもりとおおわれている。遠くから見る景色としてはきれいだと思うのだが、近くから見る花はあまり美しいとは言えない。
栗の花-2.jpg白く長い花はそのほとんどが雄花で、たくさんの雄花に中に小さな雌花がある。ところが、栗の花は近くに寄ることは敬遠されている。
梅、桃、桜や林檎の花はそれを目当てに花見客を集めるが、栗の花を見に出かけるという話は聞かない。、栗の花の近くに寄りたくないないのである。それは、栗の花の臭いは好ましい臭いではないからだろう。
なんだか、栗の花だけが見放されているようで、可哀想にも思えてくる。

秋になると、ご近所の方からたくさん栗の実を頂く。それを楽しみに待つことにしよう。

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2012年06月25日

有川浩の小説はとにかく面白い

「三匹のおっさん」を読んで以来、有川浩さんの小説に嵌まっている。理屈抜きにとにかく面白いのである。
先日読んだ「阪急電車」も文句なく面白かった。この小説はすでに100万部以上売れているベストセラーだそうで、映画にもなっている。映画はまだ見ていないのだが、ぜひDVDで見たいと思っている。

この「阪急電車」の解説は、昨年亡くなった俳優の児玉清さんが書いている。児玉さんは芸能界きっての読書家としても知られ、多くのエッセーや書評も執筆している。その解説の冒頭の部分には次のように書いてある。

『さあ、この電車に乗りましょう。楽しい出逢いに満ちた阪急電車に!それも今津線に!
面白い本が読みたくて、ねんがらねんじゅう本屋さんをウロウロしている僕にとって、有川浩さんぐらい有難くも嬉しい作家はいない。とにかくめっちゃ面白い本を書いてくれるからだ。しかも、ここが肝腎要なところだが、どの本もめっちゃ面白く、毎回その発想の妙と意表を衝くといった展開に驚き、新しい目を見開かされるばかりか、わかりやすい美しくも見事な独自の筆致でリズミカルにごく自然に物語の醍醐味を満喫させてくれる技の冴えにうっとりしてしまうのだ。となれば、そう、僕にとって有川さんは日々拝みたくなるようなエンターテインメント小説の神様みたいなものだ。』…(後略)


有川浩の小説は「面白くなければ小説ではない」を地で行っている。
「阪急電車」は、弾む会話を文章に取り込む絶妙な筆致、ユーモアとペーソス、偶然に行き交う人間同士から紡ぎ出されるエピソードは、笑いあり、感動あり、ちょっぴり涙ありで、ほのぼのとした爽やかな気持ちで心が満たされる。
学生時代、親友の住まう「三宮」まで良く利用したことを思い出しながら、「宝塚駅」にはじまり、「西宮北口駅」までの8つの駅を折り返す、十六の連作短編物語を途中下車することなく一気に読んだ。
また、有川作品は単純に超のつく面白さだけではなく、正義という短い言葉では表現しにくいが、まっとうなとか、物事を正す、といったものが、いつも全作品を通じて太いパイプのように流れている。読後、爽やかな気持ちで満たされるのも、全編に流れる有川浩さんの正義感からかもしれない。
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2012年06月18日

ルーズベルト・ゲームが面白い

プロ野球の交流戦が終わった。8年めにしてようやくセントラル・リーグの優勝である。
交流戦のテレビ中継を時どき見たが、あまり面白いと思わなかった。投手戦なのか貧打線なのか良く分からない。何しろ点が入らない。統一球に替えてからだというが、打って点が入ってこそ面白いのだと思う。
「ルーズヴェルト・ゲーム」とは、8対7の試合のことである。野球を愛したフランクリン・ルーズヴェルト大統領が、もっとも面白いスコアだと語ったのが、その起源なのだそうだが、全くそう思う。もう少し、打って、打ってワクワクするような打撃戦を見たいものである。
その競り合いをテーマにした池井戸 潤の「ルーズヴェルト・ゲーム」は格別の面白さだった。

池井戸 潤の「ルーズヴェルト・ゲーム」の読後感

この小説はとても面白かった。読んでいるうちに、知らず知らず肩や手に力が入ってしまう。面白い小説を読んでいるときは、読者と登場人物との呼吸が一つになり、「読んでいる」という感覚さえ失われてしまう。理屈はない。ただ物語の世界に浸ってひたすら楽しんでいるからだ。
「ルーズヴェルト・ゲーム」は、まさに、その理屈抜きの「面白さ」を味わえ、「泣いて笑って感動できる」一冊だ。

中堅メーカーの青島製作所は、創設者である現会長の青島毅が一代で売上五百億円にまで育て上げた企業だ。ところが、長引く不況の影響で大幅なリストラを余儀なくされていた。これは、青島会長の愛する名門野球部も例外ではなかった。
それまでの監督は、エースと四番打者を引き連れて、ライバルのミツワ電器に移籍してしまっていた。
今や野球部は、創部以来最大のピンチ、廃部寸前の事態を迎えていたのである。存亡の縁に立たされていたのは、野球部ばかりではなかった。ミツワ電器との熾烈な受注合戦の痛手が大きく、青島製作所そのものが風前の灯でもあったのだ。
2年前に大抜擢で社長に就任した細川は、「会社の数字には、ヒトの数字とモノの数字がある。仕入れ単価を抑えるといったモノの数字ならいくら減らしてもかまわん。だが、解雇を伴うヒトの数字を減らすのなら、経営者としての"イズム"がいる」という青島会長の言葉の中に、生き残るヒントを見つけようとするのだが…。
一方野球部は、新監督の大道によって蘇生し始めていた。ところが、その矢先にエースの萬田が故障でチームを抜けてしまう。万事休すか。そう思われたとき、意外なところから救世主が現われた。だが、その男、沖原には高校球界を追われた暗い過去があったのだ。しかも派遣社員の沖原自身がリストラの対象になってしまっていた。
そうした壁を乗り越えて、沖原がチームに加わったとき、勝利から見放されていたかのような野球部は大変身を遂げていた。それも束の間、さらなるピンチが…。

七対ゼロの劣勢でも、八点取れば勝てる。廃部か存続か、経営統合か自社の技術を信じてあくまでも自立の道を選択するのか。それぞれの立場での人生を賭けた男の戦いが繰り広げられていく。果して、ルーズヴェルト・ゲームのごとく奇蹟の大逆転は起り得るのか…。企業小説と野球小説とをもののみごとに融合している。
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2012年06月17日

父の日プレゼント

父の日プレゼント.jpg今朝10時過ぎ宅配便が届いた。兵庫の娘から「父の日」のプレゼントである。開いてみるとTシャツと半ズボンのセットである。宅配便の中にもう一つの袋があり、それは妻宛ての夏物のストールだった。
昨年は甚平を送ってくれた。今年の物は洋風の甚平と言ったら良いのだろうか。タッグに「吉衛門格子」と書いてあり、「吉」の文字を格子状に表現した柄で、縁起の良い文様だと書いてある。早速着ることにしよう。

息子たち夫婦からは「母の日」に「父の日」も一緒にと、夕飯に招待してもらった。二人暮らしの私たちに気持ちを寄せてくれる娘と息子、何より嬉しい。

ブルーベリーの収穫

ブルーベリー2012.6.jpg今朝は早生のブルーベリーの収穫をした。ハイブッシュ系のブルーベリーは実が大きく6月には収穫できる。ラビットアイ系は7月中旬から8月上旬だからもう少し先になる。高陽町のブルーベリーは鉢植えにしているのだが、今日収穫したものは一鉢の一部である。収穫できる大きな鉢の物は4鉢しかないが、今年はたくさん実を付けている。これからが楽しみである。
posted by tontonton at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 高陽日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月13日

柏手を打つ意味

先月、冲方丁の「天地明察」が文庫本(上下巻)で発売されたので購入して読んだ。
江戸時代、将軍家綱から綱吉のころ、渋川春海という碁打ちが苦労に苦労を重ね改暦を実現する物語である。「算額」などの予備知識は全くなかったが、読み始めたら面白く一気に読んでしまった。
この読後感は、また、書こうと思っているが、その中で強く印象に残った部分を後日のために残しておきたい。
それは柏手(かしわで)の打ち方とその打つ意味ついてである。神社に参拝した折には「二拝二拍手一拝」が一般的であり、その様にしてお参りしてきた。しかし、打ち方とその意味については良く知らなかった。
この小説に次のように書かれていた。この方法が正式な作法かどうかも良く分からないが、このような認識で柏手を打つと霊験あらたかな気持ちになれるように思える。

神道はその作法の古伝が失われて久しい宗教である。何のための拍手か、何のための拝礼か、それらの行為によって何が得られるのか、そうした教義がない。だが昨今は、優れた神道家たちにより、神道独特の宇宙観から新たに意味が解釈され、急速に体系化されようとしていた。
左手は火足(ひたり)すなわち陽にして霊。
右手は水極(みぎ)すなわち陰にして身。
拍手とは、陰陽の調和、太陽と月の交錯、霊と肉体の一体化を意味し、火と水が交わり火水(かみ)となる。拍手は身たる右手を下げ、霊たる左手へと打つ。己の根本原理を霊主に定め、身従う。このとき火水は神に通じ、神性開顕(しんしょうかいけん)となって神意が降りる。
手を鋭く打ち鳴らす音は天地開闢(かいびゃく)の音霊(おとだま)、無に宇宙が生まれる音である。それは天照大御神(あまてらすおおみかみ)の再臨たる天磐戸(あまのいわと)開きの音に通じる。
拍手をもって祈念するとき、そこに天地が開く。そして磐戸が開き、光明が溢れ出る。
光明とは、いわば種々に矛盾した心が、一つとなって発する輝きである。その輝きは身分の貴賎(きせん)を問わず、老若男女を問わない。
恐れや迷いを祓い、真に求めるものを己自身に知らしめ、精神潔白となる。


これから神社にお参りする際の柏手はこの意味を思い出しながら打つことにしよう。
「伊勢神宮では八度の拍手の八開手、出雲大社では四拍手が作法」という事も知った。
posted by tontonton at 16:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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