2012年02月26日

「分かち合おう」「支え合おう」は口先ばかりなのか

先日24日の朝日新聞1面に「がれき受入れ低調」見出しのもとに、朝日新聞が調査した結果が掲載されていた。
それによると、東日本大震災で発生した岩手、宮城両県のがれきの一部を全国で受け入れる政府の方針に対し、29道県が「具体的に検討している自治体がない」と朝日新聞の調査に回答したそうだ。知事が前向きな姿勢を表明しているのは9都府県にとどまるという。
震災後まもなく1年が経とうとしている。しかし、処理への理解は進んでおらず、先日のニュースでも5.2%が処理されたに過ぎないと報じられていた。2014年3月末までの処理完了の政府の目標は大幅に遅れる可能性がある。
被災された方々が被災地に積み上がったがれきを見ると、津波を思い出し、亡くなった肉親や親せき、友人たちが思い出され、悲しみが蘇ってくるだろう。がれきは、復興に向けた視界や希望が遮られているだけでなく、被災者を精神的にも追い込んでいると考える。

調査によると、岩手、宮城、福島の3県を除く44都道府県の調査の結果、「受け入れている自治体がある」は青森、山形、東京に加え、16日に島田市で試験焼却を始めた静岡の4都県。「具体的に検討している自治体がある」は秋田、群馬、埼玉、神奈川、富山、石川、大阪の7府県。兵庫県より西では全県が「具体的に検討している自治体がない」と答えたという。
「受け入れている」と「検討中」の11都府県のうち、受け入れ予定量(処理済みを含む)が明らかになっているのは7都県の約83万トン。政府が広域処理で想定している400万トンの約2割だ。
知事の姿勢について聞くと、「受け入れ表明」が3都県、「条件付き受け入れ表明」が6府県。「条件付き」のうち大阪府や埼玉県、神奈川県などは放射性物質に関して独自の基準を設けるとしている。受け入れの「可否に言及していない」は24道府県。「受け入れに慎重」は山梨、長野、奈良、徳島、大分の5県である。
受け入れに一歩踏み出した自治体も住民の反発に手探りが続く。広域処理が進まない背景には、安全性を巡る国と自治体の埋まらぬ溝もあるようだ。

知事が受け入れを前向きに考えても、実際に処理をするのは市町村などの自治体である。住民の反発が強いと首長も腰が引けてしまうのだろう。
東北3県ががれきの処理に困って、「がれきの処理を手伝ってもらえる様にお願い」しているにもかかわらず、一部の反対住民の声ばかりに耳を傾ける首長の不甲斐なさには、呆れるばかりだ。お願いする立場からは、強い言葉では言えない。一部の反対者の声ばかりが大きく、賛成する人たちの声があまりにも小さすぎる。
被災された方々は今日も辛抱しながら懸命に頑張っていることだろう。その気持ちを推し量れば、「反対の声」は小さくなるのが当然だと思う。

昨年の漢字は「絆」であった。そして、誰もが絆の大切さを痛感させられた一年であった。絆を大切に、喜びも悲しみも「分かち合おう」「支え合おう」と感じ、確認しあったはずだった。
古来より日本人は、「困ったときは、お互いさま」と手を差し伸べてきたはずだ。こんな時だからこそ、気持ちよく手を差し伸べるのが、日本人の心意気だったはずだ。

広島からは、未だ「受け入れ」の声はほとんど聞こえてこない、恥ずかしい限りだ。わが県でも、「がれきを受け入れよう」の声が大きくなり、うねりとなって広がってゆくことを期待している。
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2012年02月23日

葉室麟の「蜩の記」を読んで

17日に投稿した「芥川賞選考委員に対する疑問」の終わりに、少しだけ直木賞受賞の葉室麟さんの「蜩(ひぐらし)の記」のことを書いたが、心を打たれたこの作品のことをもう少し書き足しておきたい。

「蜩の記」は人物の設定やストーリーの展開などが、しっとりとしなやか綴られ、きっちり創られた作品だと思った。読み進めるにしたがって、ゆったりと身を委ねながら楽しむことに没頭できる時代小説である。この感覚が何ともたまらなく良い。

物語の舞台は北九州に位置する架空の小藩・羽根藩。藩主の側室・松吟尼との密通の罪を問われた戸田秋谷(しゅうこく)は、家譜の編纂と十年後の切腹を命じいられ、農村で幽閉生活を送っていた。そこに監視役として遣わされた壇野庄三郎だが、次第に秋谷の人間性に惹かれ、濡れ衣ではないかと疑問を抱くようになる。秋谷と松吟尼の間に何があったのか。やがて明かされる羽根藩の秘事。秋谷に家譜編纂を命じた真の目的は何だったのか。刻一刻と近づく切腹のとき。限られた十年の命の終わりを、北九州の季節の移ろいが静かに告げながら過ぎてゆく。

冒頭の数頁にこの物語に不可欠な人物、時代背景、風土、臨場といったものがすべて出そろっている。それが何の気負いもなく語られている。秋谷の妻の織江が、来るべき夫の死を背負いながら、慎ましく生きる静謐な暮らしぶりなどは、読みながらその情景が目に浮かんでくる。
四季の移ろいを丹念に描くことで、定められた命を感情表現に頼らずに写し取った技が秀逸であり、無駄のなさと端正さが強く印象に残る作品である。
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2012年02月20日

「文芸春秋」が37年前の論文「日本の自殺」を朝日新聞の記事に呼応して再掲載

日本の自殺を憂う.jpg
月刊誌「文藝春秋」の最新号(2012年3月号)に、37年前の同誌に掲載された論文「日本の自殺」がトップで再掲載されるという異例のことが起きた。きっかけになったのは、朝日新聞が12年1月10日付け1面に掲載した若宮啓文主筆の「『日本の自殺』を憂う」に書かれていたことが現実になってきた、という記事だった。

「日本の自殺」はもともと同誌の1975年2月号に掲載されていた。高度成長に湧き豊かさを享受しているその当時の日本だが、かつて栄華を誇った古代ギリシャ、ローマ帝国の衰退と没落と同じ道を歩いている、という視点で書かれている。
「ほとんどすべての事例において、文明の没落は社会の衰弱と内部崩壊を通じての『自殺』だったのである」とし、現在の日本の間違った繁栄によって、道徳は荒廃し、人心はすさみ切り、日本人は病み個性を失って呆然と立ち尽くし、自壊に向かっている、と論じている。
「自殺」を食い止めるためには、欲望肥大のサイクルから抜け出ることが必要で、自己抑制を行い、人の幸福をカネで語るのをやめ、国民が自分のことは自分で解決するという自立の精神と気概を持ち、政治家やエリートは大衆迎合主義をやめ、指導者としての誇りと責任を持ちなすべきこと、主張すべきことをすることだ、と結論付けている。
「文藝春秋」の現在の編集長である木俣正剛さんは大学生のころ、この論文を読んだ。高度経済成長に沸き、繁栄は続くと誰もが思っていた時代だっただけに、強い衝撃を受けたそうだ。「文藝春秋」編集長に就任して以来、この「日本の自殺」のような論文が掲載できれば、と常に考えてきたという。
そんな折、2012年1月に朝日新聞1面「座標軸」という大型コラムに「『日本の自殺』を憂う」という見出しで、次のような記事が掲載された。筆者は、朝日の若宮啓文主筆だった。
「古い論文が手元にある。1975年の文芸春秋2月号に載った『日本の自殺』だ…古代ギリシャもローマ帝国も自らの繁栄に甘えて滅んだと指摘、日本も衆愚政治で同じ道を歩んでいると警告する刺激作だった…国の借金が瀬戸際までふくれたいま、『日本の自殺』がかつてなく現実味を帯びて感じられる」。そして、「与野党とも政局や選挙の利害ばかりを考えず、明日への責任を心に刻んで大人の議論をすること。それが『自殺』を避ける道である」と結んでいた。

「37年たっても『読みたい』という問い合わせがあるんですよ。でも書籍にはなっていません。今回、朝日新聞が話題にしたことで、あっと思いまして、であるならば、異例なことではありますが、全文を再掲載しようと。多くの人にこの素晴らしい論文を読んでいただきたいですし、今の日本、今後の日本を考える大きなヒントをもらえると思います」。編集長の木俣さんはそう話している。

この論文の筆者は「グループ一九八四」となっている。今号には、37年前にこの論文を掲載した当時の「文藝春秋」編集長、田中健五さんが寄稿し、筆者についても明かしている。それによれば、グループは各分野の専門家二十数人による学者の集まりで、中心人物は香山健一元学習院大学教授だったことが後にわかったという。そして田中元編集長の想像で、グループには公文俊平元東大教授、佐藤誠三郎元東京大学名誉教授、さらには清水幾太郎元学習院大学教授の研究室にいた学者たちがいたのだろうと書いている。

文藝春秋3月号に22ページにわたって掲載された「予言の書『日本の自殺』再考」を精読した。刺激的だった。これほど的確に日本が二十一世紀に陥る病理を言い当てた予見の論文も少ないだろうと思った。この論文が発表された1975年は、日本が「経済大国」としての興隆を謳歌していた時節に示された「予言」であった。現下のような停滞の時節においてこそ参照されるべき価値を持つものだと感じた。
ひとりでも多くの日本人に読んでもらい、この論文が再び注目されることを願っている。
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2012年02月17日

芥川賞選考委員に対する疑問

芥川・直木賞は、一番歴史があり有名なのでマスコミに取り上げられ、受賞作・受賞作家は一躍有名になる。
純文学に贈られる芥川賞は著作歴の浅い若い作家の受賞が多く、新人作家の登竜門ともいわれ、この賞を手にする事で作家として社会的に認められる事になるので、受賞を目的にする作家も多くいる。
今回の第146回芥川賞の2作品は、その受賞を目的として意識し過ぎた作品のように思えて仕方ない。
「道化師の蝶」で受賞した円城塔氏の作品は、途中で読むのをやめた。小説になっていないのである。作品の中に入ってゆくのが難しい。出来事の関係や人物の動きを追おうとするとたちまち拒絶され、読み方を傾きかけると、それもまた退けられる。この「わからなさ」を選考委員が考える方向に向かわせることばかりを意識しているとしか考えられない。これを文学的な志とは到底思えない。冒険や試みだけで受賞の対象にされたのでは、読者は堪ったものではない。
ある選考委員の選評の中に、「読んだ人たちが二度と芥川賞を手に取らなくなるだろう」とまで言った委員もいたという。納得だ。
もう一人の受賞者、「共喰い」の田中慎弥氏の作品もこれが芥川賞かと考えさせられる平凡なものである。
記者会見が波紋を呼び、テレビ、新聞、ネットで一躍話題の人となったが、「ウケ」を狙った会見であるのは容易に推察できた。その結果、この単行本はよく売れているという。
物語は、17歳の少年が、父と義母の性行為を盗み見る。自慰にひたり続け、一つ年上の女友達とはただ性交のみ…、性交のとき女を殴らずにはいられない父と子の物語である。テーマも在り来たりで、読後感も「読まなければ良かった」と思ったほどだ。救いは全編に流れる下関の方言と緊張度の高い地の文が、リズミカルの交錯していることくらいだろうか。
ほかの候補作3作品は読んではいないが、今回受賞した2作品については、委員の選考基準に大いに疑問を抱いた。

それに比して、直木賞受賞・葉室麟さんの「蜩(ひぐらし)の記」のなんと素晴らしいこと…。優しさとは、愛とはなど人間として生きること、恥を知り、誇りを持って男として生きること、私たちが忘れかけていることを思い起こさせてくれる物語である。読み終わった後に背筋をピンと伸ばさなければ、と思わせる作品であった。
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2012年02月15日

今年もバレンタインチョコ

2012バレンタイン.jpg
昨日2月14日には、孫と娘からバレンタインデーのチョコレートが届いた。
孫娘からは、手作りのチョコレートとクッキーだった。子豚の顔の形をした可愛らしいチョコレートが2個とクッキーが1つ入った小さな2つの袋に、私と家内へのメッセージが添えられていた。
チョコレートやクッキーを作り、それをラッピングし、メッセージを添える。手間のかかることだろうが、気持ちがこもっている。爺婆にとっては何より嬉しい贈り物である。
娘から包みには、ロイヤルホテルのチョコレートケーキが入っていた。昨夜夕食の後に食したが、上品な甘さで美味しいケーキだった。
また、今年はJAのG先生からも頂き、妻からの物も含めると4つのプレゼントを貰ったことになる。
お腹に納まる前に、今年の記念として写真を撮っておいた。
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2012年02月13日

「広島お好み焼き」焼き方教室

お好み焼き3.jpg2月の料理教室は、「広島お好み焼き」焼き方の実習教室になっていて、西区商工センターにあるオタフクソースが運営する「お好み焼き館WoodEgg」に10時半の集合した。
我々のグループは20名だったのだが、その中の一人が6万人目の来場者になった。幸運のお裾分けだとグループ全員にも記念の品を頂いた。

お好み焼き1.jpgお好み焼き2.jpg11時少し前頃から、広島お好み焼きの焼き方のビデオを見た後、早速や焼き方の実習に移る。
生地をのばし、キャベツ、青ネギ、もやしを盛りつけ、豚のばら肉を全体にかぶせるようにのせ、つなぎの生地をかける。ここまでは、鉄板の比較的温度の低い個所で焼き、ひっくり返した後は少し押さえて高い温度の場所に移動させる。そばをほぐしながら焼いた上にお好み焼きを乗せ、たまごを焼いてまたのせる。鉄板の熱い場所と温度の低いところをうまく利用しながら焦げ付かないようにふっくらと焼き上げるのがコツだと教えられた。
12時少し前には焼き上がり、お好みソースと青海苔をかけて頂いた。やはり、分厚くしっかり熱管理された鉄板で焼いたお好み焼きはとても美味しかった。
使った食器や箸などを各自で洗い、鉄板の掃除の方法まで教わった。

お好み焼き5.jpgその後は、工場見学。清潔に管理された工場で、お好みソースが次々と生産される過程を見た。見学が終了した直後、30分ほど前に出来上がったばかりのまだ温かいお好みソースを1本ずつ頂いた。
帰りには、また別のお土産を頂いた。その中には、ラッキョウ酢やお好み焼きを美味しく焼くためのいか天などが入ったこだわりセット、家庭で作るお好み焼きノートの他、実習前に撮影した記念写真を入れて、「6万人目のお客様」と書かれた記念リーフレットの印刷物も入っていた。
記念として残る思い出と、美味しく楽しいひと時が過ごせたことを喜びつつ帰途に就いた。
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2012年02月10日

やったぞぉ!!当選だぁ…!!

毎月購読している月刊誌「文藝春秋」に掲載されている「考えるパズル」がある。その中の一つ、「漢字シークワーズ」を楽しみながら応募している。
横に8列、縦に7列、合計56個の漢字がちりばめられ、ヒントで指定された言葉を探し、その漢字を消してゆく。上下左右斜めの八方向に一直線に並んでいる3文字から長いものでも5文字くらいまでの言葉を短いヒントの中から探して消してゆく。人名や名所旧跡などの固有名詞もあれば、ことわざ、行事などあらゆる分野から網羅された言葉が用意されている。ヒントは20あまりが用意されていて、それらのヒントで一度も使われなかった3文字を探しだし、並べ替えてできた言葉を完成させ答えを得る。一寸した知的刺激もあり、楽しめるのである。

1月号の応募総数は3,986通、一万円の当選者は10名。今月発売された3月号の当選者の欄に自分の名前を見つけた。1月号の答えは「御年玉」だったのだが、答えの通りそれが本当の御年玉になって、ひと月遅れで届くことになった。当選の確率は約400分の一、こんな幸運なこともあるのだ。
「こいつぁー、春から縁起が好いわい〜」見えを切りながら、大きな声で叫びたい気分だ。
posted by tontonton at 11:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月08日

朝日、読売、産経―今日のコラム

3紙のコラムを読み比べてみると、とても面白い。今日は産経新聞に座布団を一枚。

天声人語
よく知られる「珈琲」をはじめ、コーヒーには数十もの当て字があるという。「可否」もわりと流布していて、獅子文六(ししぶんろく)がかつて「可否道」という、コーヒー好きたちの小説を読売新聞に連載した▼作者は「可否」の当て字が好きだったらしく、登場人物に言わせている。「可否が、一番サッパリしているよ。それに、コーヒーなんてものは可否のどちらかだからな」。むろんこの可否は味の良し悪(あ)しで、国会審議を抜け出して飲むことの可否ではない▼さて、その問題に加え、大臣としての可否も問われる田中防衛相である。野党の質問に「国会内でコーヒーを飲まない決意」を神妙に答えた。いい人なのは分かるが、知識を試されるクイズのような質問にもたつく。素人ぶりをあぶり出そうと言論の府もレベルを落としている印象だ▼防衛と安全保障は一国の大事である。その本流をおいて、脇の水たまりでメダカすくいをしているような論議では情けない。おりしも沖縄をめぐる米軍再編の見直しが動きだしている。普天間問題の、軽くはない局面である▼20世紀初めのフランスの首相クレマンソーが、同時代の政治家2人を評して言ったそうだ。「ポアンカレは何でも知っているが、何も分からない。ブリアンは何も知らないが、何でも分かる」。基礎知識のおぼつかない防衛相には、励ましとなろうか▼何も知らない、何も分からない、が最悪なのは言うまでもない。可か否か。秘書官を代えた効果にわずかに期待してみるが。

編集手帳
“名君”岡山藩主・池田光政は父親がフキ畑で討ち死にしたので生涯、フキを食べなかった。儒者の熊沢蕃山が軽口を叩たたいた。「殿はお幸せ。水田のご最期だったら米を召し上がることが出来ませぬ」◆光政は「うん」と言ったきり黙った。蕃山は深く悔いたと、森銑三氏の『偉人暦』(中公文庫)にある。命にまつわる話題に洒落しゃれを交えるのはむずかしい◆内閣府は、ポスターまで用意した自殺対策強化月間(3月)のキャッチフレーズ「あなたもGKB47宣言!」を撤回した。悩む人に声をかけたり、話を聞いたりする活動「ゲートキーパー・ベーシック」を47都道府県に広げよう――との含意であったが、おふざけが過ぎる、という批判が噴出したためである◆目の敵にするほど不届き千万とは思わないが、弁護したいほど気の利いた文句でもない。騒動を通して強化月間が衆目を集めたとすれば、GKBもなにがしかの役割を果たしたのだろう◆新内語りの故・岡本文弥さんに一句がある。〈受けるより無事が何より夜長かな〉。“無事”一辺倒の官庁流キャッチフレーズにも、それはそれで難はあれども。

産経抄
昭和47年秋、北京で行われた中国との国交回復交渉をめぐって、よく知られた話がある。当時の田中角栄首相らが釣魚台迎賓館の部屋に入ったときのことだ。室内には首相の好物のアンパンが用意されている。朝食のミソ汁には故郷・新潟のミソが使ってあった。
 ▼並の政治家なら中国の「気遣い」に感激しメロメロになるところだ。だが田中は違った。同行した大平正芳外相に「すごい国に来たな。交渉は命がけだ」と語ったという。事実、交渉は周恩来首相らとの間で丁々発止の主導権争いが繰り広げられる。
 ▼このときの日中共同声明については、いまだ日本での評価は分かれる。しかし昨年末公表された外交文書によると、このとき中国側は声明に日本の「軍国主義復活」への懸念を盛り込むよう、執拗(しつよう)に求めた。これに対し田中が「それなら日本に帰る」と反発し、免れたという。
 ▼今、日本の国防を担う田中直紀防衛相に義父のそんな胆力を求めるのは無理かもしれない。アンパンひとつから相手の思惑を見抜く外交センスを持てというのもかなわぬことだろう。それにしても防衛相としては、あまりにその資質に欠けている。
 ▼国会の予算委員会を抜け出しコーヒーを飲んでいたのは、まだ謝ればいい。だが在日米軍の再編協議の内容をほとんど把握していないというのはそれではすまない。日本の安全保障に直結することだからだ。その自覚のなさにはあきれるしかない。
 ▼直紀氏は義父との違いを聞かれ「父は国会論戦の名手として有名だった」と答えた。まるで「私は口べたなので」と弁解しているようにも聞こえる。もっと学ぶべきことは多かったはずだと言いたいが、それも無理な注文のようだ。
posted by tontonton at 16:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月03日

明日は立春というのに

明日はもう立春だが、厳しい寒さが続いている。昨夜の白木農園のパソコン同好会の集いも激しい雪のため中止になった。昨日は終日雪が降ったり止んだりの天候であったが、午後4時を回ったころから降り方が激しくなってきた。窓の外の雪を眺めているとき、Hさんから電話が入る。相談の結果「中止した方が良い」という結論になった。二人で手分けして「中止」の連絡を取ることにした。
まず、公民館に連絡し、中止を申し入れた後、すべてのメンバーに連絡を入れた。それからの降雪量はそれほどでもなかったが、寒さは厳しく中止にして良かったと思った。熟年ばかりの集まりである。午後8時を過ぎれば、昨夜は道路も凍りついたに違いない。

このパソコン同好会はパソコンのスキルアップが目的ではなくなっている。殆どの仲間が自分が必要とするスキルは身に着けている。年齢を重ねると忘れることが多くなるので、忘れたことを誰かに教わり思い出すことが主体である。後は仲間が集まって元気な様子を確認し、楽しい雑談をしながら絆を深めることにある。
去年を表す漢字として選ばれたのは「絆」であった。誰もが忘れかけていた日本人の心を思い出させてくれたのが、皮肉にも東北大震災であった。今年はその絆を更に育て上げなければならない年であると思う。
政治にも経済でも閉塞感が漂っているが、それを脱却するためには分かち合いが必要だということを人々が感じ始めているようにも思える。その分かち合いの精神こそが「絆」だと思っている。
「幸せは分かち合えば2倍になり、不幸は分かち合えば半分になる」という言葉がある。今年は、分かち合い、支え合いができる人の関係を築いてゆく年になってほしいと思う。
私たち白木農園の仲間たちとの絆を強くしてくれるこの集まりを大切にしたい。
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