2011年12月31日

今年読んだ本は137冊

今年から読んだ本の記録を残すことにした。と言っても、Excelで表を作り月毎に表題と作者名を入力しただけのものである。また、購入した書籍ばかりではなく図書館や娘や友人から借りて読んだ書籍も区別して記載した。
今年一年で今日までに読んだ本の数は雑誌などを含まず137冊になった。そのうち図書館で借りたものが30冊、娘や友人から借りたものが24冊となっている。引き算すると83冊を購入したことになる。
購入した書籍のうち、ハードカバーなどの人気のある小説類はアマゾン・ストアに出品して販売することにしている。今年一年で売れた本の冊数は33冊である。書籍は購入するとどんどん書棚に溜まってゆくから、その処分の方法の一つとして考えている。長男の嫁も読書が好きなようで、娘から送られてきたミステリー小説などは嫁のところにも行く。
先日、白木農園のYさんからお借りした、「スティーブ・ジョブズT、U」もYさんにお願いして息子たちが読み終える時間も頂く様にした。本はこうして回し読みをすると良いと思う。
私にとっては、読書をしている時間が最も至福の時である。来年は何冊の本が読めるだろうか、記録を残しておこう。

閑話休題。『東洋経済』が2010年に読書に関するアンケートを20代〜60代の就業者1000人に対して行った。その結果によると、2010年に読んだ本の数は平均で18.4冊になるそうだ。その中でも1〜9冊の割合が33.4%だったそうで、年間の読書量が10冊以下の人たちも多いようだ。本を読みたい気持ちはあるのだろうが、仕事が忙しくて本を読む時間がないという事なのだろう。しかし、多い人では年間400冊も読む人がいるとネットで見たことがある。活字離れが進んでいると聞くが、知識を得てそれを知恵に変えてゆくのは本が最も理想的だと思っている。

東北大震災や原発事故など、厳しい自然災害と人災に対峙することを余儀なくされた2011年。辛く悲しい想いで年を越す人たちも多いことだろう。来る2012年がすべての人にとって良い年でありますように…。
今年一年、晴耕雨読を訪問してくださいました方々に心から感謝いたします。
ありがとうございました。
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2011年12月28日

「スティーブ・ジョブズT、U」を読んで

スティーブ・ジョブズの伝記はベストセラーになるとは思っていたが、死の直後というあまりのタイミング良さで出版されたことになんだかスッキリしないものを感じて購入することをためらっていた。パソコン同好会の席でYさんから「読んだからお貸ししましょうか」と言って頂いた。お願いしたら、次のパソコン同好会の時に持ってきてくださった。
第1巻の巻頭に「本書が生まれた経緯」が著者ウォルター・アイザックソンによって書かれていた。それによると、生前から本人に自らの伝記執筆を提案され、40回も本人にインタビューし、さらに関係者などにも綿密な調査をしていたことから、このタイミングで出版できたことが理解できた。
また、ウォルター・アイザックソンは、『ベンジャミン・フランクリン伝』『アインシュタイン伝』『キッシンジャー伝』などのベストセラーの伝記作家でもあることを知った。

だから、この本は非常によくできた伝記で、とても面白い。ジョブズがガレージで創業し、マッキントッシュを世に送り出すことに始まり、いったん追放されたアップルに戻ってiPhoneなどのデジタル機器の世界に革命を起こすところまで、彼の熱いしかし歪みも多い個性の物語が描かれている。そして、アップルのイノベーションの詳細の資料としても、価値が高いと思った。
ディテールが確かに書いてあるのだが、ただ、長すぎる感がある。
この長い伝記のメッセージとして印象にとくに残った点が、3つある。第一は、ジョブズは技術とリベラルアーツの交差点をつねに目指していたこと。それが見事に融合した革命的製品を、ソフトとハードを一体化することで彼は世に送り出した。第二に、ジョブズが永続性のある組織を作りたかったこと。革命的製品を作りたいだけではなく、そのDNAを組織として伝承したかった。第三に、この実に魅力的な天才が、一面では人格的に相当に問題をはらんだ人物だったことである。

第一のポイントの実現は、凄まじいプロセスであった。製品開発のリーダーとして、デザイナーとして、そして新製品発表のプレゼンターとして、ジョブズのこだわりと性格の激しさ、歪みがリアルに描かれている。周囲の人々の多くは傷つきながら、しかしついていく人もいる。もちろん、去った人もまた多かったが…。多くの人が傷ついたのは、第三のポイントの故である。ジョブズの昔の恋人は彼を「自己愛性人格障害」と理解し、だから「共感能力に欠けている」という。
彼を長い間支えてきた妻のローリーンも「人類を前進させることは大切にしたが、他人の身になって考えるという社会的スキルを持ち合わせていない」とジョブズを表現している。

しかし、こういう人格で、永続性のある組織へのDNAの伝承が可能なのだろうか、との疑問が自然に生まれる。
ジョブズが、彼なき後のアップルの人々にどの程度人格的に追慕されることになるのだろうか。それが、組織としてのDNA伝承の鍵のようにも思われる。ジョブズの天才ぶりや目もくらむような成果ゆえに、尊敬や畏怖の念は巨大に生まれているだろうが。ただジョブズは、その破天荒な人生と惜しまれての死によって、神話になったのかも知れない。そのうえ、極めてタイミングのいい伝記の出版によって、ジョブズの神話は生き続けるエネルギーを得たのかも知れない。
その神話がDNAの組織伝承のエネルギーを与えることができるだろうか。他の人間をコントロールしたがる傾向の強かったジョブズは、伝記出版をもコントロールしたかのように思える。
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2011年12月26日

孫と娘からのクリスマスプレゼント

お便りフォト.jpg
昨日、孫娘と娘からのクリスマスプレゼントが届いた。妻にはマフラー、私にはフォトパネル。このフォトパネルはドコモの製品で「お便りフォト」といい、SDカードに保存してある写真をスライドショーで見せるだけにとどまらず、携帯からメールで送られてきた写真を受信し瞬時に表示してくれる。昨日送られてきたときには、孫娘の小さい時の写真から今に至るまでの写真を何枚かSDカードに保存してセットしてくれていた。夕方になって娘から「昨夜のクリスマスパーティーの写真を送るから…」と電話が入り、画面にメールを受け取ったサインが表示される。それを見て、「OK」の表示をプッシュすると送られてきた写真がスライドショーに加わる。リアルタイムで孫娘と家族たちの様子がわかる。
娘がスマートフォンで撮影した写真を送るだけで、離れた場所に置かれた我が家のお便りフォトパネル上に写真を表示させることができるのである。
これからも何かにつけて、孫娘の様子を撮影して送ってくれるであろう。ダイニングのよく見える場所に設置した。私たち二人には何よりのクリスマスプレゼントである。
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2011年12月25日

「水戸黄門」最終回スペシャルを見ながら…

hl-1.jpg写真はwebより
1969年からTBS系列で放送されてきた時代劇ドラマ「水戸黄門」の最終回の放送があった。この日は見ることができなかったが、録画しておいたビデオを昨夜見た。
この番組が年内で終了することが夏ころの新聞に掲載されていた。やはりなと思いながら、それからは時々見ることにした。これまではあまり見たいドラマとは思わなかったが、この国民的な番組がなくなるのは少し寂しい気もする。一時期は40%を超える視聴率があったというが、最近では8時台のゴールデンタイムで10%を切ることが多かったようだ。

ご存知のように、「水戸黄門」は光門(水戸光圀)一行が諸国を漫遊し、最後に身分を示す印籠を出して事件を解決していく勧善懲悪の物語である。放送回数は1200回を超え、黄門役は初代の東野英治郎さんから現在の里見浩太朗さんまで5人が演じてきた。
昨年10月に始まった第42部からお供の助さん、格さんが、それぞれ6代目となる東幹久さん、的場浩司さんに交代した。長年、女忍者役で出演してきた由美かおるさんも画面から消え、代わりに雛形あきこさんが新キャラクターとして加入していた。
そして、先週19日に光門一行は最後の世直しの旅に出た。2時間のドラマでストーリーはいつもと変わりなく進んでゆく。この番組にはかつて助さん、格さんを演じてきた俳優や魅力的なゲストも多数顔を揃えていた。由美かおるさんの入浴シーンなどファンを喜ばす趣向も忘れていなかった。ラストシーンも助さん、格さんと共に旅立つところで終わる。旅たちの日は必ず晴天であるのは今も昔も変わらない。この変わらないのが、この番組の良いところであり、42年も長く続いた要因だろう。
昨年亡くなられた白木農園のTさんがこの番組がとても好きだったことを思い出しながら見ていた。

歴代の水戸黄門を演じた俳優

初 代 東野英次郎さん
2代目 西村晃さん
3代目 佐野浅夫さん
4代目 石坂浩二さん
5代目 里見浩太朗さん
里見浩太朗さんは1971年から88年まで助さんを演じてきた俳優でもある。
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2011年12月15日

白木農園パソコン同好会の忘年会

白木パソコン忘年会2.jpg白木農園パソコン同好会の忘年会が広島の中心街であった。毎年、夏のビヤガーデンと冬の忘年会に、同好会の方々が招待してくださる。
今夜は午後6時から海鮮料理の「磯の坊」に11人が集まった。
このパソコン同好会は始めて7年が経過している。7年もパソコンの教室を続けていると、殆どのことをやり尽くしている。だが、メンバーが60歳代、70歳代の方ばかりで構成されているので、これまで学んだことの大半を忘れている方もいらっしゃる。だから、まだ少しだけ出番があるのだ。
最近では、パソコンの話題よりも栽培の話や雑談の時間が結構増えてきた。現在のメンバーは13人だが、みんなが元気な姿で集えることに喜びを感じていらっしゃる様に思える。この教室に来ることによって、明るく話すことができ、若返ることになっているのだと思う。この教室に来ることが楽しいのだ。私自身が最も強くそれを感じている。
それぞれが違った分野でその才能を発揮されてきた方ばかりの集まりである。栽培を通じて出会った仲間で、その中でもパソコンを通じて結びついた仲間である。この方々の話題やアイデアの豊富さにはいつも感心させられる。そして、今夜はいつも以上に話題が広がり、話はあちこちに飛び、楽しいおしゃべりと笑いにつつまれて3時間を過ごした。
招待を受けたばかりではなく、過分なお歳暮まで頂いた。「感謝!!」この言葉しか思いつかない。
磯の坊を出ると、大きなクリスマスツリーが輝いていた。これをバックに記念撮影することになった。通りがかりの方に撮影をお願いした。フラッシュは使用したのだが後ろのツリーの明るさに負けてしまって、全員の顔が暗くてはっきりしない。ブログに掲載するには丁度良いのではないかと考え、この写真を掲載することにした。
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2011年12月12日

ピンボケ写真の余波

一昨日の土曜日は白木農園の忘年会の日だった。私が手伝ったのは感謝状の印刷とそれを額縁に収めることくらい。感謝状の原稿もMさんが作成したものを少し編集した程度である。それともう一つ、当日の忘年会の様子をブログに投稿し、出席できなかった会員の方に報告することであった。
12時の開宴から解散までブログの投稿のことを考えながらシャッターを切った。ところが、何故かこの写真がすべてピンボケなのである。後で分かったことだったが、モードスイッチがオートではなく撮影モードになっていて、すべて遠景を撮影する設定になっていた。何日か前にその設定で風景を撮影した。それをオートに戻すことを忘れていたのである。このモードでは5メートル以上に被写体はボケてしまう。大失態だ。

この日は忘年会が終了して喫茶室で反省会を開き、解散したのは4時過ぎになった。家に帰ってみると姉から電話が入っていた。体調がひどく悪いという。先月末、連合いを亡くし2週間が過ぎた。4か月の付きっ切りの看病の疲れもたまっていたのだろう。電話をして、翌日病院に行き少しの間入院するように説得する。
翌日は病院に連れて行き、診察を受けて入院の手続きを取るなどしなければならない。今夜のうちにブログを投稿しておこうと、8時過ぎからパソコンに向かう。原稿を書く前にどの写真を挿入するか確認するため、SDカードをパソコンに差し込んでビックリした。ピントがボケているのである。次々と見てゆくとすべての写真が同じ状態なのだ。どうしてだろうとカメラを確認すると上記のようになっていた。

写真は他の方に提供してもらうことにして、まず原稿だけを書くことにした。原稿が書き終わって写真をIkeさんにメールで送って下さるようお願いのメールを送信しておいた。だが、翌朝Ikeさんから上手く送れなかったと電話が入る。
そこで、Iwaさんに電話で連絡し写真を提供してくださいとお願いするが、確認すると2枚しか撮れていないとのこと。
Koさんの携帯に電話するが繋がらない。今度はHiさんに連絡し原稿をメールで送るからHiさんの写真を使って投稿して欲しいとお願いする。気持ちよく引く受けてくださった。

それからすぐ姉の家に向かい、病院に連れてゆく。昨日は日曜日だがこの病院が開院している。多くの人が待合室を埋め尽くしていた。婦長さんにお願いして安静室で横にさせて頂くようお願いし、診察の順番を待つ。2時間近く待ってようやく診察してもらい、入院の了解も得る。我が家に連れて帰り、一緒に軽い昼食を摂って、姉の家に連れて行く。入院の用意をして再度病院に入ったのが午後3時過ぎ。病院で入院の手続きを済ませて帰ってきたのが4時過ぎになった。

10日の土曜日は皆既月食を見ることができると夕方のニュースで報じていた。11時過ぎには皆既月食になっているとのことだったが、ピンボケ写真のショックと姉のことですっかり忘れてしまった。
昨日の夕方、Hiさんが投稿してくださった「白木農園だより」を見て安心した。
写真の大失態などで多くの方にご迷惑をおかけした。今年の忘年会のブログは写真なしの言い訳ブログになってしまった。
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2011年12月09日

20年目を迎えた創作四字熟語

今朝の朝刊天声人語にこの話題が掲載されていた。
年中行事さながらに、今年もまた総理大臣(宰相)が交代した。5年で6人の体たらくに皮肉をこめて「年々宰宰」。住友生命が募った年の瀬恒例の創作四字熟語に、特別な年となった2011年を振り返る作が多く寄せられた
▼東日本大震災は未曽有の被害をもたらした。夏には大型台風も襲い「天威無法」を見せつけられた。首都圏は交通ストップで「帰路騒然」。原発事故で多くの人が避難を強いられ、「帰郷村望」の思いで年を越す
▼だが災いの中、人は助け合い、励まし合った。「福幸支援」のために内外から多くの「愛円義援」が届いた。人だけではない。岩手県陸前高田市の奇跡の一本松は「一松懸命」に立ち続ける。神々しい姿に「願晴東北」のエールを聞く
▼不足して知ったのは電気のありがたみ。関東一円は「計欠停電」にあわてた。迎えた夏。電気食いのエアコンに代えて、うちわの風、緑のカーテンに涼を求め、「電考節夏」で猛暑をしのいだ。次には冬の節電が待つ
▼政治は今年も頼りなかった。「賢泥鰭来(けんどじょうらい)」の野田政権が船出したが、賢い?泥鰭は国民に語らず、代わって大臣や官僚が「舌禍繚乱」のお粗末ぶり。TPPでは「参否農論」真っ二つ。「欧州憂慮」の経済危機も年を越す
▼明るい話を忘れてはいけない。世界に誇る「才足兼美」のなでしこジャパン。各賞を総なめの輝きだ。2位じゃだめ、と奮起したスパコンコ「京」が計算速度でお見事「世界最京」に躍覗り出た。熱あるところに、花が咲く。

毎年のことながら創作四字熟語にはいつも感心させられる。
「漢字のよさは、ひと目で意味がわかり、凝縮した内容が伝わるところ。たった四つの文字で、きらりと世相を切り取った数々の作品を、今年も堪能しました。」審査員のコメントである。
今年は20年目を迎えたそうだ。優秀作品10編や入選作品40編は「創作四字熟語」で。
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2011年12月07日

今年最後の男の料理教室

料理教室12月.jpg先月は欠席者が多く寂しかった料理教室も、今日は大勢で賑やかに始まった。今日の献立は「れんこん入り和風ハンバーグ」と「さけと大根の粕煮」の二品。
ひき肉に牛乳入りパン粉を入れ、みじん切りにしたれんこんとねぎを入れてよくかき混ぜる。「粘り気が出るまでしっかり練り混ぜる」とテキストに書いてあった通りにしっかり練った。左右の手のひらにキャッチボールのように投げて空気を抜き小判の形に広げる。今日の私の仕事はこれだけだった。
流しの中を見ると洗い物がたくさん溜まっている。これを洗い始め、かなり終わったなと思った頃、また新たに洗うものが流しに置かれる。「さけと大根の粕煮」については、何も携わることなく、ハンバーグも先生から焼き方の説明は聞いたが、焼くところを見ずにただただ洗い物を続けていた。「いただきます!」を言う頃、ようやく洗い物が終わった。
今年最後の料理教室は洗い物片付け教室になってしまった。まあ〜いいか〜、こんなこともあるだろう。
二品とも美味しかった。特に「さけと大根の粕煮」が美味しくて温まる寒い冬にピッタリの料理だと思った。昨日の忘年会で酒粕をたくさん頂いた。これで作ってみようか。

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2011年12月06日

豊栄パソコン同好会の忘年会

今日は豊栄のパソコン同好会の忘年会だった。10時に朝市が開催される四季菜館で待ち合わせし、マイクロバスで呉市の安浦町安登にある瀬戸海鮮料理の潮家に向かう。途中で乗り込む人たちを拾いながら南に走る。豊栄からはマイクロバスで約1時間20分の長い道のりだったが皆さん小旅行のつもりで話が弾んでいた。
ゆたか忘年会1.jpgグリンピアせとうちの近くだと聞いていたので瀬戸内海の海辺に面しているところと思っていたのだが、海辺ではなく人里離れた静かな場所にある「隠れ家」的な店だった。潮家に近づくにつれて海が見え隠れする。誰かが、「このあたりが平清盛のドラマの撮影場所になった所よ」と話していたが、見過ごしてしまった。
今日は薄曇りだったが、時どきやわらかなお日様も顔をのぞかせる小春日和、ドライブにはピッタリの陽気だった。一時間余りの道中も長いとは感じなかった。
ゆたか忘年会.jpg広島の「中央市場」や「地元漁師さん」から直接買付けた新鮮で活きの良い魚介類料理が手頃な価格で食べられると聞いて、この会の世話役のKuさんがお世話してくれた。
11時半から始まって約3時間、話が途切れることはなかった。体調不良で同好会を長期欠席していたYaさんも忘年会だけは出席したいと来てくれた。元気な姿で会えたことをみんなとても喜んでいた。都合がつかなかった二人の欠席者はあったものの、14名が集い賑やかで愉快な忘年会になった。
この同好会は60〜70歳代の人たちが多いのだが、中には80歳代の方も二人いる。一番古いお付き合いのKaさんは出会ってから11年になる。72歳で初めてパソコンに取り組んでローマ字を覚えるところから始め、今ではエクセルやワードからはがきソフトなども使いこなす程である。お元気で真摯に取り組まれる姿勢には頭が下がる。
豊栄という見知らぬ地でパソコンを通じて実に多くの方々と出会い、長く交流が続いていることを嬉しく思っている。「まだまだ長く続けたいね!」皆さんの言葉が胸に突き刺さる一日だった。
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2011年12月04日

新しいパソコンの周辺機器の接続とデータの移行

先月の23日に届いた新しいパソコンは無線LANの設定を行いインターネットに接続してウイルス対策ソフトを有効にし、メールの設定を完了したとことで終わっていた。残りは少しずつやろうと考えていたのだが、少しずつなどできるものではない。
この間、大した用事らしいものはあまりなかったのだが、雑用が多く落ち着いてパソコンに向かう気になれなかった。印刷をしなければならないものがあり、プリンタだけは早めに接続して使えるようにしておいた。スキャナは古いものなのでドライバはメーカーのホームページからダウンロードしてインストールしようとするができない。「Internet Explorer 9」には対応していないと画面に出てくる。メーカーのホームページから電話での問い合わせをしようとしたが、「電話での問い合わせは終了しています」と表示され通じない。仕方がないのでメールでの問い合わせに切り替えた。スキャナの機種名とドライバのインストールができない理由などを書き込んで送付した。
翌日、問い合わせの担当窓口の者からプリンタの機種を尋ねてきた。そのプリンタのソフトが邪魔しているかもしれないと言う。プリンタの機種を知らせるメールを送ると、「下記サイトにアクセスしてダウンロードとインストールを実行して下さい」のメールが送信されてきた。それを実行してようやくスキャナを接続できた。
このスキャナで読み込むときに使うOCRソフトをインストールしようとするとシリアルナンバーを聞いてくる。それを入力して先に進もうとすると、アップグレード版だから、以前のソフトのシリアルナンバーを入力せよと表示される。だが、そんなものは覚えていない。以前にOCRソフトを購入した記憶が全くないのである。しかし、古いパソコンではインストールして使用できたから、何かあったはずだと考えをめぐらした。暫くしてスキャナに付属したソフトではないかと思いついた。そこで本棚を探しまわり、スキャナの取扱説明書を見つけた。その袋の中にソフトのCDがあり、シリアルナンバーも書かれている。宝物を見つけたような気分でそのシリアルナンバーを入力するとインストールできた。
ITの世界では、新しい機器と古い機器を接続しようとするとこのような問題が生じることが多いのだろう。

これまで使用してきたパソコンのデータを移し替えるため、USBメモリの3.0に対応したものを購入しておいた。
殆どのデータを保存しているローカルディスク(D)からUSBメモリへのコピーを始めた。だが、古いパソコンのUSBはもちろん3・0に対応していない。写真は殆どCDもしくはDVDに保存しているので、データの量としてはそんなに多くないが、かなり時間がかかることを覚悟して始めた。USBメモリへのコピーが完了するには1時間を超えた。
だが、驚いたことに、USB3.0に対応している新しいパソコンにはコピーした4GBを超えるデータの移行が僅か2分半で完了した。
その後、はがきソフトやラベルソフトなどをインストールする。これで、以前のパソコン使用したものは新しいパソコンで使用できるはずである。
posted by tontonton at 15:27 | TrackBack(0) | パソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする