2011年10月30日

はじめて小説で読む「007」―「007 白紙委任状」

「007」と言えば、いわずとして知れたイワン・フレミングのジェームズ・ボンドだが、これまで映画の007しか知らない。
この度、初めてその小説を読んだ。「007 白紙委任状」である。
世界的なベストセラー作家のジュフリー・ディーヴァーによるこの作品は、イアン・フレミングの版権を管理する<イアン・フレミング・エステート>と<イアン・フレミング・パブりケーション>の二つの団体からオファーを受けて実現したものだそうだ。
これまでにも、イアン・フレミング以外の作者が書いたものが多くある。ジョン・ガードナーやレイモンド・ベンソンらの作品も映画化されたものも多くある。

「007」といえば、やはり、初代ジェームズ・ボンドのショーン・コネリーが思い浮かぶ。初めての映画を見た時、「007」を「ダブルオー・セブン」と呼ぶことが私たち日本人にとってはとても新鮮だった。
日本で初公開された007シリーズは、テレンス・ヤング監督の「007は殺しの番号」(後に007/ドクター・ノオ)だったと記憶している。ボンドが颯爽と歩く姿を銃が狙って追いかけて行く登場場面がとても印象的だった。このシーンは、いまでも007のタイトルに継承され、モンティ・ノーマンの“あの”テーマ曲とともに変わらない。
それ以来、このシリーズの映画はすべて映画館かDVDで見てきたが、小説で読むのは初めてのことだ。
映画でしか見ていないが小説で読む007とはどんな出会いになるだろうと期待に胸を膨らませながら読み始めた。
非常にテンポが速く、様々な事柄について面白い情報が満載で、何度もどんでん返しが連続し、そして、魅力的な女性が登場する―これが007作品のイメージである。ミステリー作家であるジュフリー・ディーヴァーの作品を読むのは初めてだが、007ファンをちゃんと満足させる作品に仕上がっていた。

これまでの映画では、ボンドの背景は謎に満ちていたが、この「白紙委任状」ではアフガン帰りの元軍人で、年齢は31歳くらいというように現実的に設定されている。だが、ボンドの人格はこれまでと変わることなく、また、映画に登場してくるおなじみの人物なども変わらない。秘密機関の長であるM、Mの秘書のミス・マニーペニー、直属の上司のビル・タナー、秘書のグッドナイト、スパイ道具を開発するQ課まで変わっていない、これはボンドファンにとっては嬉しいことだ。
「007 白紙委任状」は、9・11後の世界を背景に、六日後に迫る謎の攻撃計画を阻止すべく、セルビアからイギリスへ、ドバイ、さらには南アフリカへと駆けめぐる007の苦闘を、どんでん返しを満載の緻密なプロットで描ききっている。ドキドキ、ワクワクしながら一気に楽しく読めた。
映像になったらどのようになるだろうか?などと想像しながら読み進めたが、まだ、映画化の具体的な話はないようだ。映画ができるのが楽しみに待つことにしよう。

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2011年10月24日

蕎麦の刈り取り収穫

蕎麦収穫ー5.jpg昨日は白木農園の作業に久しぶりに参加した。作業は蕎麦の刈り取り収穫。予定では10月22日の作業になっていたが、22日が雨との予報で急きょ今日23日に変更になった。この時期の日曜日は秋祭りのところが多く、参加者が少ないのではと思っていたが、予想通り13名の参加だった。
刈り取り収穫のグループ、乾燥場のハデを設置するグループ、参加者に配布するサトイモを掘るグループの3班に分かれ、午前9時から作業を開始する。
蕎麦収穫ー1.jpg今年から栽培する面積がこれまでの半分以下の約5アールに減らした分、丁寧な管理に力を注ごうという方針になっていた。ただ私はこの時期入院していて作業に参加することはなかったのだが、ブログ「白木農園だより」を通じてその管理状況などは知っていた。8月20日に播種し、9月6日には除草と土寄せ、そして丁寧な間引きなど、行き届いた管理の状況は伝わってきた。
だが、リーダーのKさんから9月23日のブログには、背丈は例年よりは低く、枝ぶりも花の付き具合もいまひとつだとの報告が掲載されていた。
今日の状態を見ると、天候の加減だろう、黒い実に混じって白い花も多くみられ、花の咲く時期と結実する時期にズレがあったように見えた。刈り取り収穫できた蕎麦は、軽トラック1台に収まる量しかなかった。
蕎麦収穫ー2.jpg足踏み脱穀機.jpg足踏み脱穀機の写真は「島爺さん」のブログより
乾燥場には、すでにハデが完成しており、運ばれた蕎麦藁は全員でハデがけする。会員に分配するほどの蕎麦粉は無理だろう。
作業が終わって、脱穀の話になったとき、Kさんからこの位の量だったら「足踏みの脱穀機を持ってこようか」と言いだした。これにみんな飛びついて賛成、決定した。次回の作業が楽しみである。

蕎麦収穫ー4.jpg蕎麦収穫ー3.jpg今日はご家庭の都合で参加できないAさんが、私たちが集まる前に「あわせ柿」を届けてくださった。渋柿の渋を抜いた「あわせ柿」は適度に柔らかく食べやすく、甘みも上品でとても美味しかった。この他にも、Iさんがコンテナいっぱいの富有柿を持ってきて下さった。それらをKさんのコーヒーやOさんの美味しいお水とともに休憩時間に頂いた。
帰りには頂いた富有柿とサトイモのお土産があった。
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2011年10月22日

蕎麦同好会―食事会

蕎麦切り吟.jpg昨夜は毎月一度の蕎麦同好会の食事会があった。今月のお店は、「蕎麦きり 吟」。南区段原の奥まった静かな佇まいに隠れ家と呼ぶに相応しい存在感だ。茨城の大学院で学び、蕎麦の魅力に魅せられて開店したと言う若い店主が夫婦で経営するも店で、店構えや器の一つひとつにもこだわりが感じられる。また、店主は利酒師で、純米酒などの品ぞろえにもこだわっている。
これまで、いろいろなお蕎麦屋さんを巡ってきたが、蕎麦粉にここまでこだわっている店は初めてである。
蕎麦は季節に応じて仕入れ先を選ぶそうで、昨日頂いた蕎麦は、北海道羊蹄山産の新蕎麦。

以下は、玄蕎麦から蕎麦粉ができるまでの工程。(「蕎麦きり 吟」のホームページからの抜粋)
玄蕎麦(殻のついたままのソバの実)を仕入れ、玄蕎麦の表面に付着した土や異物や石などを除くところから始まる。
異物が除かれた玄蕎麦を5.0ミリから3.6ミリの篩に順番に通して、大きさ別に8段階に分ける。
その上で、脱皮機を用いて、ゴム板にぶつけた衝撃を利用してそば殻を脱皮する。
脱皮されたものとそうでないものを分け、脱皮されていないものはもう一度脱皮機にかける。これをこれを何度も繰り返すとほとんどすべて脱皮できる。以下、順番に小さい粒の玄蕎麦を脱皮していく。これで玄蕎麦がそば殻と丸抜きに分かれる。
丸抜きを目視で再確認し、ピンセットで異物を取り除く。
熱を持たないよう、丸抜きをできるだけ低回転の石臼で挽く。石臼の回転数と、丸抜きを石臼に落とす量の増減によって好みの粗さに挽く。
篩で余分なものを取り除く。石臼の設定と篩の目の大きさの兼ね合いで、好みの粒度分布の蕎麦粉を得る。

この「蕎麦食べ歩き会」のお世話をしてくださる同好会代表のKさんご夫妻のは、予約する前にその店に出かけて試食してくださる。その案内文にこのお店に寄せる期待が書かれていたが、その通りだと感じた。
コース料理は、甘くて美味しい一口豆腐に始まり、蕎麦味噌、カモ、アナゴのてんぷら、蕎麦がきなど、最後はダシにもこだわった10割蕎麦でしめくくる満足のゆくものであった。
楽しい会話と笑い声に満ちたひと時は3時間近くになっていた。夕方から降り始めた雨が強さを増した中、散会した。次回の11月はまた違った企画が提案されている。楽しみにしている。
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2011年10月19日

中日ドラゴンズの優勝に思う

20111019.jpg写真はwebから拝借
昨夜はプロ野球中継をテレビで観戦した。この日、勝つか引き分けるかで2年連続のセントラルリーグ優勝が決まるその試合だった。
9月22日、4.5ゲーム差を追いかけ、首位ヤクルトを本拠地に迎えた4連戦の試合前に、中日は契約最終年を迎えていた落合監督の今季限りでの退任を発表した。中日ファンではないのだがビックリした。誰もが驚かされたに違いない。その時の落合監督は自らの処遇について「契約書通り。この世界は、そういう世界」と短く話しただけで、退任会見も行わなかった。

そこからの大逆転劇だった。一時期は、最大10ゲームあった差をひっくり返し、球団史上初の連覇を達成した。2004年から8年間指揮を執り、4度のリーグ優勝を果たし、日本一にもなった。圧倒的な実績を残しながら、その監督が球団から一方的に解任される。プロ野球が盛んな国の野球ファンからすれば納得できる処遇ではない。
この前代未聞の解任劇に、大逆転優勝で“反発”してみせた落合ドラゴンズ。これが「オレ流」の返答だったのだろう。歓喜の輪に加わり、6度宙に舞った後の優勝会見も冷静だった。

落合監督の野球は、確かに見ていて面白い野球とは言えなかった。だが「強い野球」は野球ファンなら誰もが実感できた。
マスコミへの対応も「オレ流」を貫き、人気がなかったことも原因の一つかもしれない。
三冠王3度の名選手にして名監督。落合監督は好きでも嫌いでもないが、中日球団の処遇にはスッキリしないものを感じる。これで、日本一にでもなったら、中日ファンはこの解任劇に納得できるのだろうか。

ところで、パ・リーグでも昨夜は大逆転劇があった。借金最大が15もあった西武ライオンズが最終戦で日本ハムに勝利し、大逆転で2年連続のクライマックスシリーズ進出を決めた。オリックスは引き分けでもクライマックスシリーズに進出できたのだが、ソフトバンクに敗れ4位が確定した。

今年はパ・リーグ2位の日本ハム・梨田監督も解任が早くに発表された。このチームも日本一の可能性はまだ残している。
中日と日本ハムがクライマックスでも勝ち上がり、日本一を戦えば、解任監督同士の日本シリーズになる。これが実現すれば、まさに、前代未聞である。
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2011年10月15日

今夜は松茸ご飯

マツタケ.jpg
義弟が松茸を持って奥さんと一緒に来てくれた。これまでも毎年、この時期になると松茸を届けてくれる。ありがたいことである。
先月の28日の「蕎麦食べ歩き会」でも松茸がコースメニューに含まれていたが、外国から輸入されたものだろう、白っぽい色をしていた。義弟の松茸はもちろん広島産である。色も香りも良く大きさも形も立派なものだ。今夜は松茸ご飯になるだろう。
近年、国産の松茸は高価で、なかなか庶民の家庭では食卓の上らない。ところが、今年は松茸が安いと聞く。豊作なのかと思えばそうでもないらしい。やはり、福島の原発事故により、放射能に汚染されているのではないかと、敬遠しているからのようだ。広島までは放射能の影響はないと思うのだが、それでも昨年よりは安価で取引されているらしい。
先日も栃木県だったか、猪や鹿の肉から基準値を超える放射能が検出されたという。福島を中心とした地域では自生しているキノコや山野草も、今年は食卓には上るまい。
旬を味わうことを楽しみにしている日本人にとって、今年は寂しい年になりそうである。
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2011年10月13日

うどんづくり教室に参加

うどんづくり教室1.jpg
今年も楽しみにしていた白木農園主催の「うどんづくり教室」が午前10時から開催された。参加者は29名。今回はうどんとピザを作る企画になっていた。
うどんはこれまで何度も作ってきたので殆どの人たちは作り方は覚えている。初めて挑戦する人や経験の少ない人たちを中心にベテランは指導する立場になった。
だが、ピザを作るのは大部分の者が初めてである。ましてや強力粉ではなく中力子を使ってのピザ作りである。講師の先生から注意点をしっかり聞いた上で取り掛かった。K講師は事前に生地を厚くしたり薄くしたりして、中力子を使ったピザを実際に作ってこの会に臨んでくださった。中力子でも生地をうすくすれば遜色ないものができあがると説明があり、指導された通りに作っていった。
また、うどんはこれまではざるうどんで食べていたのだが、今回は「釜玉うどん」に挑戦しようと言うことになっていた。
6班に分かれてさっそく取り掛かる。
うどんづくり教室2jpg.jpgうどんづくり教室4.jpgうどんは、練り、足踏み、寝かし、生地伸ばし、線切り、ゆで、水洗いと用意されたテキスト通りに進める。寝かしの時間を利用してピザを作る。生地を作る者、ピーマンやトマトなどを切って準備する者、テキストを見ながら、先生に聞きながら手分けして作ってゆく。オーブンが4台なので、8枚のピザを作る。
うどんを寝かせる時間は短縮して、伸ばしと線切りをして早速茹でる。ピザができるまで茹でて水洗いしたうどんはざるに打ち上げておいた。
「釜玉うどん」は熱ければ熱いほど美味しい。器を熱湯に入れて温め、水洗いしたうどんをもう一度湯通しをして盛り付ける。生卵を割って入れ、刻みネギを添えてできあがり。味付けは娘の店から貰った卵かけ醤油をかけて食べた。やはり、この醤油は生卵には良く合う。美味しく食べられた。
ピザも生地を薄くしたことが正解でパリッと香ばしい生地に仕上がっていて、満足できる美味しさであった。
昨年の秋に播種し、今年の2月上旬に麦踏みをして、6月15日に刈り取り収穫、7月9日に脱穀した小麦を製粉所に送り、約100kgの小麦粉ができあがった。播種からうどんづくりまでには1年近い歳月が流れている。100%の純粋な国産の小麦粉。小麦粉が値上がりしていると聞く昨今。自分たちで育てた小麦粉でうどんやピザを食する。何と贅沢なことであろうか。
美味しさは改めて口にするほどもない。帰りには一人当たり2kgの小麦粉のお土産付きであった。
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2011年10月10日

家族そろっての食事会

昨日は私の70回目の誕生日を祝って食事会を開いてくれた。家族7名全員がそろって楽しいひと時が過ごせた。今年の正月とお盆は私が入院していたので、家族全員で集まる機会がなかった。本当に久しぶりに家族全員がそろって会食できることに感謝したい。
場所は西区の高台にあるイタリア料理店ゾーナイタリア。予約していたので広島市内が一望できる素晴らしい席に案内された。昨日は霞がかかっていて眺めはいまひとつだったが、市内や海などが一望できる風景からは夜景はもっと魅力的だろうと思った。
昼食時なので「ランチコース」にする。ランチコースはメニューからお好みのスパゲッティかピッツァを選び、トーストや飲み物もお好みで注文する。スパゲッティだけでも20種類以上のメニューが用意されている。それぞれ好みのものを注文し、違ったものを交換しながら食べたが、どれも美味しいと思った。

ランチコースは下記のような構成になっている。
鮮魚のカルパッチョ
前菜の盛り合わせ
ガーリックまたはバターのトースト
季節のソルベ
お好みでスパゲッティ、ピッツァを選ぶ
デザートの盛り合わせ
好みの飲み物

食事会3.jpg私のデザートだけ「たんじょうびおめでとう」が名前入りで添えてあり、一本の細いローソクが立ててある。そのローソクを吹き消すと、「ハッピーバースデートゥーユー」のフルートの生演奏と手拍子で祝ってくれた。少し照れくさかったが、子供たちの演出は嬉しく受けとめた。
喜ばしいことで家族全員が集える、これが何より幸せである。
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2011年10月08日

孫娘からの嬉しい誕生日カード

昨日、孫娘が中学校の研修の平和学習で原爆ドーム、原爆資料館ほかを見学するため広島にやってきた。見学の後、グループに分かれて平和公園にあるいろんな慰霊碑も見てまわったそうである。あらかじめ学校に研修終了後は祖父母の家に行く了解を取り付けていたので、終了する2時頃に原爆資料館まで迎えに行った。
無料休憩所で待機していると担任の先生が孫娘を連れてきてくださった。先生にお礼を言い孫と連れだって車に向かう。生徒たちが乗っているバスまでの距離は結構あったが、バスの窓から大勢の友達が孫娘の名前を呼びながら手を振ってくれていた。その様子を見ていて仲の良い友達が多いのだと、嬉しく感じた。

閑話休題。
10月6日は私の70回目の誕生日であった。「古希」である。この言葉は、中国唐代の詩人 杜甫の『曲江詩』の詩句にある「人生七十古来稀なり」に由来するとwebで見た。「稀」と「希」は同義語で、70歳まで生きることは古来まれという長寿の祝いだったのだが、最近では70歳まで生きることは希でなくなっている。だが、この年まで生かしてもらっていることには感謝したい。

バースデーカード.jpg
我が家に帰りつくと孫娘が「じーちゃん誕生日おめでとう!」といって写真のバースデーカードを手渡してくれた。すべて手作りである。表紙には7つの野菜のイラストが描かれている。キュウリ、ジャガイモ、ニンジン、トマト、ナス、タマネギそしてピーマン。70歳だから7つのイラストなのだろう。とても丁寧に描かれている。左上にある「プレゼントボックス」と書いてあるハートのマークには切り込みがあり、そこにはプリクラの可愛い写真が入っている。すべてに手作りの温かさがある。
表紙をめくると小さな文字でギッシリとメッセージが書いてあった。
私が正月や夏に入院したことを気遣い、小さな頃から孫娘に優しく接してきた私への感謝の言葉が綴られている。
また、現在学校での平和教育の中で原爆のことを学び、その時代を生きてきた私や妻のことを「凄いと思っている」とも書き、平和が大切だとつくづく感じたと書いてくれている。感激しながら一字一句を胸に刻み込みながら読んだ。
成長した孫娘から受け取ったこの手作りの「誕生日カード」は何より嬉しいプレゼントで、私の新しい宝物となった。
毎度のことながら爺ばかの日記です。
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2011年10月05日

久しぶりの豊栄

昨日から豊栄のパソコン教室を再開した。豊栄の家にも2か月以上行っていなかったので懐かしくさえ感じた。7月19日の強風で倒れた桃の古木の株が痛々しい。この桃の木の倒れた状態も見ていないほど長く豊栄に行っていなかったのだ。

7月22日に急性盲腸炎で入院し、処置の遅れから腹膜炎を併発して簡単な手術ではなくなった。完治しかけた頃、腸が癒着して退院が延びてしまった。8月20日に退院した後も8日間の絶食があったため体力回復のため一カ月の休養の時間をお願いして、8月と9月の2ヶ月間休講にさせてもらった。その間も早く元気になって戻って欲しいと見舞いの手紙やメールなどで励ましを頂いていた。
2か月ぶりにお会いした皆さんから無事の退院と教室の再開を喜んでくださって、励ましの言葉や優しい笑顔をたくさん頂いた。一人ひとりに感謝の挨拶をしてまわった。

りんご園1.jpg
教室が終わった後、この秋初めて小石川りんご園に行く。9月から開園していたことは連絡を受けていたのだが行けなかった。夕方4時頃だったが、斜めに傾いた陽がりんごの実と葉の陰影を美しく映し出していた。いつ見ても素晴らしい風景である。今が旬のりんごを数種類買って帰る。もぎたてのりんごの味は格別である。最近ではスーパーなどでは殆ど販売されていない紅玉もちょうど今頃が食べ頃である。他のりんごに比べて少し酸味も強いが、アップルパイを作るにはこのりんごが最も適している。生食でもこのりんごはとても美味しいと思う。懐かしいりんごの味がする。

この小石川りんご園とはかなり長いお付き合いになる。孫娘が豊栄に来たときにりんご園に連れて行き写真を撮った。その中の良く撮れた写真を差し上げたら、新聞や雑誌の広告に使わせて欲しいとの申し出があり了解した。3〜4歳の頃だからもう10年以上になる。その写真は数年前まで広告に使われていた。孫娘は中学生まで成長したのに、広告では全く年をとっていない。
先日、NHKの夕方の「お好みワイド広島」という番組で小石川りんご園の紹介があったが、このりんご園は開園して60年になるそうだ。園主のその当時のりんごの古木もいまだに実を結ぶとの話は感動的だった。
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2011年10月02日

橋にみる広島の風景と歴史

昨日、広島市交流プラザで「橋にみる広島の風景と歴史」という講演会が開催されたので聴講した。講師は企画会社の社長で季刊誌「旬遊」のライターでもある平木久恵さんだった。「旬遊」は定期購読しているので、お会いしたことはなかったが、平木さんのお名前だけは以前から存じ上げていた。

有吉佐和子色紙.jpg広島の市街地には6本の川が流れている。市街地の橋だけで約80の橋が架かっているそうだ。まさに川の街である。いつ頃までだったか良く覚えていないが、広島には7本の川が流れていた。中学校の校歌に「♪七つの川の〜♪」という歌詞があったのを思い出す。小説「紀ノ川」の作者である有吉 佐和子さんが広島にお越しになったときに記した色紙が我が家に残っている。その色紙にも「広島には七つの川が流れています 紀ノ川のように美しく」と書かれている。

平木さんのお話はプロジェクタから映し出される橋の写真をもとにカタチや高爛(欄干)のデザイン、その橋の歴史などを交えて説明され、とても興味深くお聞きした。
観光客にもよく知られている元安川にかかるイサム・ノグチのデザインによる「平和大橋」、原爆投下の目印にもされた珍しいT字型をした「相生橋」、京橋川に架かる旧市内では珍しい吊り橋の「工兵橋」をはじめ、多くの橋の紹介があった。
いちばん興味深く感じたのは太田川放水路に架かる14の橋についてだった。太田川放水路は、洪水から街を守るために1932(昭和7)年から36年の歳月をかけて造られた川で、ここには鉄道や高速道の橋も含めて14本もの橋が架かっている。
どの橋のたもとも河川敷で、アンダーパスと呼ばれるくぐれる道があり、普段見ることのない橋の裏側ものぞくことができる。聞いてみればなるほどと思うのだが、その様に思ってこれらの橋を渡ったことはなかった。
祇園水門から下流に向かって一番初めての橋が「祇園大橋」である。そして「新庄橋」、「三滝橋」と続く。一見、なんの変哲もないフツーの橋だと思っていたが、これらの橋の橋脚や高欄のカタチはすべて違うそうだ。「三滝橋」は一本足。JR可部線の鉄橋を過ぎると、次は「竜王橋」「新竜王橋」となり、山陽本線の鉄橋の先は「山手橋」。この橋は構造でいうと、橋脚と橋桁がコの字形に一体化したラーメン橋というらしい。下手には歩行者専用橋も架かっている。次は、西風新都へつながる高速4号の「広島西大橋」。自動車専用の美しい斜張橋。左岸にはビルの立ち並ぶ都会的な風景が広がっている。
この左岸という言葉の意味も教わった。川上から川下を見て左側を左岸と言う、当たり前のようなことも知らなかった。
河口に近くなってゆくと、「己斐橋」は自動車専用橋で、すぐ下流には歩道橋。その先に路面電車も通る「新己斐橋」が架かる。橋脚には1面に壁画があり、原爆ドームや森、魚などが水の中で揺れているように描かれているそうだ。スライドで見たが、これも一度は見てみたいと思った。
川幅が広くなって架かるのはアーチ型の「旭橋」と、線路の鉄橋で見かけるようなトラス橋といわれる構造の「新旭橋」だ。新旭橋は市内初の路面が2階建てのダブルデッキ形式で、橋の下の広い遊歩道には橋とともに魚や干潟の生きものを紹介したマップもあるらしい。そして最後が「庚午橋」。この橋のさらに下流に新しく橋が架けられる予定だそうで、安芸郡海田町から廿日市市を結ぶ「広島南道路」が整備されつつあるが、この太田川放水路をまたぐ橋のデザインが公募された15点の中から選ばれたそうだ。
ここから先は、遠くに世界遺産、安芸の宮島を望む広がりのある景観である。この14の橋を下から眺めながら川下りがしてみたいと思った。
そして、太田川放水路に架かるこの様々な力タチの橋を一度ゆっくり歩いて見てみたいと感じた講演会であった。
posted by tontonton at 16:59 | TrackBack(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする