2011年05月29日

雑誌雑感

毎月必ず読む雑誌がある。月刊誌の「文藝春秋」と週刊誌の「週刊現代」である。
週刊誌は最近まで、「週刊朝日」を購読していたが、あまり面白くなくなった。東日本大震災のころから「週刊現代」に代えた。週刊誌に目を通すのは、新聞に書かれていない記事を目にすることができるからだが、震災の直後からこの週刊現代の震災と原発事故に関する写真や記事は中途半端ではない。毎号100ページを超える企画を継続して読み応えがる。

「週刊現代」を購読するきっかけは、3月発売の「文藝春秋」4月号に掲載された江上朗さんの「雑誌探訪」の記事を読んでからである。それには、次の様なことが書かれていた。
雑誌が売れない、それも週刊誌が売れないという時代に、編集長が代わった。鈴木さんが新編集長になってからは、部数は前年比二桁アップで伸びている。奇蹟のようなことだ。じつは鈴木さんは出戻りで、いちど編集長をやったが、売れずに異動。新雑誌企画部でヴィジュアルムック「セオリー」などを考え出し、一年半前に「週刊現代」に返り咲いた。
この週刊誌からはずれていた約5年という時間がプラスになった。「その間、週刊誌をまったく読まなくなった。好きな本を読んで、遊びに行って、たまに中吊りを見るという、ふつうのオジサンの生活を送っていたんです。もういちど編集長をやれといわれて、ふつうのいい大人が読む雑誌に変えようと思った」と鈴木さんは話す。スクープに血眼になるのではなく、出版業界に染まっていないふつうの人の感覚でおもしろいものだけを記事にすることにした。
大躍進のきっかけは前回の総選挙の予測。民主党三百議席を見事的中。それも、学者や評論家に○×をつけさせるのではなく、前回の結果に「風」を考慮して増減を分析するという予測方法である。
ふつうの大人の関心事を記事化していった。その一方で、匿名時事コラムの「ドクターZは知っている」や「霞が関24時」など硬派ジャーナリズムもおろそかにしていない。
読者の年齢層は上がっている。鈴木さんの感覚では40歳から90歳まで。「お金を出して情報を手に入れるということが素直にできるのは40代以上。30代以下は、情報はタダだと思っているでしょう。その人たちを読者だとは思っていない」と断言する。また、読者層の高齢化も否定的には捉えていない。
「高齢者が増えていくんだから、読者も増えるかもしれない。先細りだのなんだのと心配してもしょうがない。今日買ってくれる読者のために作ります」売れてもおごらず、妙に達観した感じがかっこいい。

グラビアにも力が入っている。大人が読む週刊誌のキャッチフレーズ通り、熟年世代の週刊誌である。「日本一の書評」など、書籍の紹介欄も気に入っている。この雑誌の売れない時代に発行部数60万部は凄い。
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2011年05月27日

内閣不信任案と菅総理の姑息なシナリオ

民主党の小沢一郎元代表(69)と渡部恒三最高顧問(79)の合同誕生会が5月24日、東京・永田町の憲政記念館で開かれ、約160人の国会議員が出席したと報じられた。小沢元代表の「政治とカネ」の問題を渡部氏が批判したことなどで関係が疎遠になり、合同誕生会の開催は2008年以来3年ぶりとなるそうだが、疎遠だった党の重鎮2人の和解は、菅総理に退陣を求める「菅降ろし」の動きにも影響を与えるのだろうか。
この日の誕生会は東日本大震災の復興に向けた団結を前面に出したため、菅首相に近いグループの議員や閣僚なども顔を出したようで、代表世話人の一人に前原誠司前外相もあったという。
渡部氏は福島の原発を推進した張本人で、各方面から非難を浴びている。そのため、前原氏にも声をかけて説得したのだという。要するにこれは、暇を持て余した「窓際族」が傷の舐め合いをする非生産的な会合でしかないように思える。

自民党の谷垣総裁は昨日、東電の「海水中断はなかった」の発言において、事実説明の迷走などを理由に「不信任案は必ず出さねばならない責務」だと明言した。
信頼が落ちっぱなしの民主党内からも「政権の信頼はがた落ちだ」などの声が上がっている。これに勇気づけられたように、小沢一郎元代表に近い議員らは首相批判の声をいっそう強めている。
小沢グループには「90人以上は不信任案に賛成する」と豪語する議員もいるそうだ。強気の読みの背景には党内の「嫌菅」ムードの広がりがと、若手には「このままでは次の衆院選で討ち死にするとの想いが強いからだろう。

菅総理の姑息なシナリオ

しかし、会期末(6月22日)まで残り1ヵ月を切った通常国会だが、菅直人首相は昨年の臨時国会に続き、またしても延長なしで国会を閉じようとしている。延長を避けたがる理由の一つは、延命。国会を閉じてさえいれば、野党から追及されることもなく政府として自由にパフォーマンスができるからだ。
震災で統一地方選挙を延期したので、解散総選挙など打てる状況ではない。だが、被災地の選挙延長は最長で9月22日まで。そこで、国会を閉じた後に、復興構想を派手に打ち上げ、8月には来年度予算の概算要求で復興をたっぷり盛り込んだ予算編成方針を示す。その上で、8月半ば以降に臨時国会を開く。
開会すれば不信任案が提出されるだろうが、仮に成立しても、これなら解散で抵抗できる。国会の召集が8月半ば以降なら、9月22日をクリアできる。
解散をチラつかせ、落選が怖い若手議員へのブラフとして、求心力を高めようとするだろう。権力亡者ぶりに、ますます拍車がかってゆくだろう。などの記事をある週刊誌のコラムで見た。
本当にこれほど、姑息なシナリオを描ける能力を持っているなら、それを自らの延命に使わず、震災の復旧、復興に真摯に取り組めば日本はもっと良い方向に向くのだが…。
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2011年05月25日

伊集院静の「いねむり先生」を読んで

『自伝信ずべからず、他伝信ずべからず』という言葉がある。自己を客観視できない自叙伝の陥りやすい欠点と、自己の内面が不在になりがちな他伝の欠点とを指摘した至言だと思う。
今月に入ってこの自伝・他伝を3冊読んだ。他伝では田崎史郎の「梶山静六―死に顔に笑みをたたえて」と伊藤之雄の「伊藤博文―近代日本を作った男」である。自伝は伊集院 静の「いねむり先生」。
伊集院 静の「いねむり先生」の帯封には「作家にしてギャンブルの神様、色川武大(たけひろ)と過ごした温かな日々」「著者自伝的長編小説の最高傑作」といった言葉が並んでいる。色川武大(阿佐田哲也)との交流を描いたエッセイ的作品かと思ったが、そうではなく完成度の高い小説である。
作品のなかで登場人物はすべて「****」などの伏せ字、もしくはKやIなどのイニシャルで表記され、作品名も人物名も曖昧にして、あくまでも小説としての完成度を追求している。
ところが、この小説には大きなストーリーはない。サブローという名の主人公の「ボク」が、先生=色川との交流を事細かに回想する内容であるからだ。突然、所構わず居眠りをしてしまうナルコレプシー(居眠り病)の先生(ゆえに「いねむり先生」)との、各地への旅行、競輪場での賭け方、さびれた町でのジャズ体験、娼婦との喧嘩、やくざとの対峙など、さまざまな体験が、ときに緊迫していながらもなんともいえない優しさと温かさをもっている。
色川 武大は、小説家、エッセイスト、雀士としてよく知られている。筆名として阿佐田 哲也(あさだてつや)、井上志摩夫(いのうえ しまお)、雀風子も名乗った。阿佐田哲也というのは、色川が麻雀ばかりいていて夜が明けた時、「朝だ、徹夜だ」と言うのでこのペンネームなったという。阿佐田哲也名義では、「麻雀放浪記」や「牌の魔術師」などの麻雀小説作家として多くの作品を残している。
一方の伊集院 静は、広告代理店勤務を経てCMディレクターになる。松任谷由実、松田聖子、薬師丸ひろ子、和田アキ子らのコンサートツアーの演出を始めファッションショーなどもも手がける。1981年に『小説現代』に『皐月』を発表して作家としてデビューする。カネボウ化粧品のCMディレクターを担当し、キャンペーンガールとして注目を集めた夏目雅子と結婚したのは有名なことだ。
この「いねむり先生」は作家伊集院静以前の精神の記録であり、伊集院静(サブロー自身)が幼い頃から幻覚と戦っていて、この幻覚・幻想の場面が出てくるが、激しく不安をかきたてて何とも不気味である。この作品を読むといかに作家としての萌芽をもちえたかが良くわかる。だが、見方を変えれば、孤絶を見つめながら人として生きていく在り方を捉えた教養小説としても優れているように思えた。

最近では、週刊現代に連載している「男たちの流儀」を単行本化した「大人の流儀」が良く売れているという。「男たちの流儀」は毎号読んでいるが、思った通りをズバッと書く歯に衣を着せぬ筆勢が好きである。
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2011年05月21日

参院議長の「首相退陣」要求論文

西岡参院議長は18日、東日本大震災や東京電力福島第一原子力発電所事故への菅首相の対応を厳しく批判し、一刻も早く退陣するよう求める論文を読売新聞社に寄稿した。三権の長である参院議長が、行政府の長である首相の退陣を求めるのは極めて異例である。読売新聞の6面の三分の一ほどの紙面を割いて掲載されたこの論文は各界で論議を呼んでいる。
西岡氏は、震災発生以来の首相の対応について、「首相としての責務を放棄し続けてきた」と批判し、「必死さも、決意も、術もなく、今、お辞めにならなければ、原発事故がもたらす重大な課題も解決できない」と強調している。
具体的な疑問点として、原発事故について正確な情報を国民に知らせていないと指摘したほか、仮設住宅建設やがれき処理の遅れ、すべて先送りの首相の政治手法などを挙げ、いずれも「政権の座に居続けようとする手法」と切り捨てた。
その上で、震災や原発事故対応などについて、「政権担当能力を超えた難題なら、自ら首相の座を去るべきだ」としている。
首相が辞任しない場合は、今月26、27日にフランスで開かれる主要8か国(G8)首脳会議(サミット)前に、野党が衆院に内閣不信任決議案を提出する以外に道はないとの考えも示している。
国政に限らず重大な問題が生じた時、そうした事柄が進行中に、最高責任者を代えるのは、余程のことだ、という考えが一般的だが、首相としての責務を放棄し続けているそれこそが、余程のことだという。
日本には「急流で馬を乗り換えるな」の言葉があるが、それは、馬に、急流を何とか乗り切ろうと、必死になって激流に立ち向かっている雄々しい姿があってのことだと。急流で乗り換える危険よりも、現状の危機が大きいと判断すると書いている。野党からも与党の一部からも退陣を迫られ、また、マスコミの記者からの質問でも罵倒されながら、執拗に政権にしがみつく菅総理の姿は、国民のだれが見ても醜くしか映らない。一体何を考えているのだろう。

しかし、衆院を解散して総選挙をすることはできない。内閣総辞職しか方法がない。衆院を解散できないのは、一票の格差の問題が解決されていないことが一つ。もう一つは、東北3県で総選挙ができないからである。野党が衆院に内閣不信任決議案を提出して可決されても、民主党政権には変わりはない。僅かな望みは、菅首相が辞任することによって大連立が可能な場合もあるのだが…。だが、菅総理が潔く辞任することがあるだろうか。

潔さと言うことでは、細川ガラシャが思い浮かぶ。NHKの大河ドラマでも先週は細川ガラシャが登場してきた。関ヶ原の戦いで西軍の石田三成は人質に取ろうとしたが、ガラシャはそれを拒絶した。洗礼を受けたガラシャは自刃することは許されず、家老の小笠原秀清に槍で部屋の外から胸を貫かせ壮絶な死を遂げる。この後、小笠原はガラシャの遺体が残らぬように屋敷に爆薬を仕掛け火を点けて自刃した。
花も人も、散るべきときに散るからこそ美しい。今生の命にしがみ付かず、潔く花のように散っていこう、と詠んだ、ガラシャの辞世の句が思いだされる。

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ人も人なれ」

先日、そば同好会の仲間と、そばを食べながら歴史を探訪する滋賀の旅に出かけた。「江の郷」を訪ねるを一つのテーマにしていたのだが、その中にガラシャの父に当たる明智光秀の墓所のある西教寺も訪れた。何か因縁めいたものを感じながら、このブログを書いている。
菅総理にも聞かせたい見事な潔さである。

3年ほど前に投稿した「司馬遼太郎・日本のリーダーの条件」を思い出した。その中で、「日本の美しい自然を守る」。全ての物事の発想の起点をそこにすれば、人にも優しい考え方が起案できるだろう。自然を守ることで、日本人はおのずから足るを知る精神を学ぶことができる様に思う。
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2011年05月19日

そばを食べながら歴史探訪の滋賀の旅

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滋賀旅行ー2.jpg毎月、そばを食べ歩く同好会と栽培の仲間と一緒に「江の郷」を訪ねる滋賀の旅に行ってきた。
17日の午前7時に広島駅に集合し小型バスで滋賀県に向かう。参加者は4月の中旬に顔合わせも済ませている17名の熟年紳士淑女(?)。山陽・名神自動車道をひた走り、途中3回の休憩をはさんだが12時には目的の場所に到着した。
食いしん坊ばかり揃っているので、何はともあれ昼食のそばを食べるところから始まる。大津市坂本にある本家・鶴喜そばの暖簾をくぐる。昼食にしては多目の献立だったが300年以上の歴史を誇る老舗だけにそば汁は満足ゆくものだった。
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昼食の後は少し時間に余裕があったので予定になかったが三井寺に隣接する圓満院門跡を訪ねる。美しい庭園と重文の宸殿を見学した後、三井寺に行く。この頃から空模様が怪しくなり、激しい猛烈な雨と雷に加えて雹までが降り始めた。雨をやり過ごして明智光秀の墓所のある天台宗総本山・西教寺を訪ねる。幹事のKさんが手配して下さったボランティアガイドの説明を受けながらの見学だったので、三井寺も西教寺の見どころが良く分かった。
滋賀旅行ー4.jpgそして、この日の最後は近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂。浮御堂を去る頃には私たちを歓迎してくれるように琵琶湖に七色の虹がかかっていた。

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ホテルに入り、ゆっくり風呂に浸かって宴会に。近江牛のしゃぶしゃぶで、今日の一日を振り返りながら楽しく愉快に杯を重ねる。宴会の後はカラオケルームに移動しての二次会。日頃聞かれぬ歌声と違った一面にも出会えて楽しく過ごす。

滋賀旅行ー6.jpg滋賀旅行ー7.jpg翌日は、浮御堂での虹が約束してくれたように朝から快晴。ホテルを8時過ぎに出発し、近江八幡の水郷めぐりに…。和船手漕ぎ船に揺られること約1時間。葦はまだ伸び初めだったが、琵琶湖の小鳥たちはその美しく可愛らしい鳴き声をたっぷりと披露してくれた。船頭さんから川端柳の話も聞けた。
国友鉄砲の里資料館で火縄銃を見た後は、昼食のふじ石亭へ。近江の恵みを味わう懐石料理の料亭だが、ここの庭が凄い。ヤンマーの創業者である山岡孫吉が箱根の旅館の庭園景色に深く感銘を受け、富士山から石を運ばせ庭園と憩いの場を長浜に造らせたものだそうだ。
昼食の後は、湖北野鳥センターの見学。展望窓からフィールドスコープや双眼鏡を使って琵琶湖の水鳥の観察。この時期は渡り鳥の端境期だそうで、珍しい鳥たちには出会えなかった。最近は川鵜が増えて困っているとの説明も聞いた。
滋賀旅行ー8.jpg滋賀旅行ー9.jpgそして、最後の訪問地は豊臣秀吉と柴田勝家の主導権争いの戦場となった賤ヶ岳の古戦場跡。スキー場にあるようなリフトに乗って、そこから300mほど歩けば頂上に着く。北には眼下に余呉湖を見下ろし、南には琵琶湖の竹生島が浮かぶ。湖東の田園風景と南東には小谷山などの眺望が広がっていた。「賤ヶ岳の七本槍」の武勇談に想いを馳せながら帰途についた。
心から満足のゆく楽しい旅だった。
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2011年05月11日

「そばがき」の作り方―3年目に入った料理教室

料理教室5.11-3.jpg先月の料理教室で提案した「そばがき」の作り方が実現した。3月のそば料理教室で十割そばの打ち方とそばがきの作り方を教わった。その時、そばがきは簡単で美味しく作れると感じたので、この料理教室でその作り方をできるだけ多くの仲間に知ってもらいたいと考え提案した。講師のG先生も気持ち良く了解して下さった。
白木農園でも毎年そばを栽培して、そば打ち体験教室は開催するが、そばがきの作り方は教わっていなかった。そばを打つのは経験が必要だが、そばがきは簡単に誰でもすぐできるようになる。

今日の料理教室の献立は、「アスパラのささ身あんかけ」と「豆腐の入った豚そぼろ丼」だったが、それを作り終えて、そばが気を作った。

料理教室5.11-2.jpgそばがきの作り方もいろいろなやり方があるが、一番失敗しにくい方法をとった。用意するものはそば粉とアルカリ水だけで良い。そばと水の割合は柔らかさの好みもあるが、1対2が作りやすいし食べやすい。
なべに分量のそば粉を入れ、分量の1/3程度の水を入れかき混ぜ、だま(塊)が無くなるまで良く混ぜる。とろとろになったら残りの水を入れ,混ぜ合わせ、中火か中火の強火で焦げ付かない様に出来上がりまで手を休めずかき混ぜていくとなべの外周りから固まってくる。初めゆるかったのが徐々に固くなってきて手に圧力が掛かってくるので、この辺りから10回程度力強く練ったらできあがり。用意しておいた、どんぶりのお湯に大さじなどですくって入れる。
これをだし汁などをつけて食べる。今日は薬味などを用意しなかったが、好みに応じてワサビやネギなどを用意すればもっと美味しく食べられたろう。
好評だったので安心した。まさか、たとえ一品でも料理教室の講師を務めるなど考えてもみなかった。
そういえば、男の料理教室も今日で3年目に入る。早いものだ。今年からは新しいメンバーも加わった。
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