2010年10月29日

女将の両刀使い

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元々からの文字通りの意味としてお取りください。「辛党であり甘党である」の意味でもなく、「バイセクシャル」の意味でもありません。
両方の手に刀を持つ二刀流の本来の意味で、対照的なことをどちらもうまくこなせる人の意味ですが、この方の場合は筆を両手に持つのです。左右同時に見事に筆を動かし、左側の文字は鏡に映るがごとくに裏返っています。目の前でスルスルと筆ペンで書かれるのを見て、ただ唖然とするばかりでした。
私のブログのタイトル「晴耕雨読」や「いろは唄」をご覧のように。

昨夜で37回目を迎えた「蕎麦食べ歩きの会」での出来事であった。そばで憩う家‐蕎麦茶房「みん」での事である。
2年前に一度利用しているのだが、終わりに近くなった頃、女将による醤油似顔絵描画が始まった。A5サイズの和紙に筆ペンと小皿におとした醤油が絵の具になる。
3〜4分で描きあがる。特徴をつかむのが実に上手い。誰が見ても納得するほど良く似ている。あっという間に4人の似顔絵を描いてくれた。さらに、その後に両刀使いを見せてもらった。

「みん」のホームページには、次のように紹介されています。
”そば”とは食べる”蕎麦”のことであり、すぐ近くの、あるいは路傍の”傍(そば)”のことでもあります。
みなさんの”こころのそば”にあるアットホームな家として、気楽に蕎麦を食べ、コーヒーを飲み、そしておしゃべりをしたり、好きな音楽を聴いたり、少しゆっくりと本を読んだり、物思いに耽ったり・・・、そんな時間と空間を楽しめる憩いの場として利用していただければ、これに卓る喜びはありません。

もちろん、蕎麦はとびきり美味しいのだが、このお店はいろんな楽しみがある。蕎麦コーヒーも人気だ。


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「みん」のホームページ
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2010年10月24日

菅政権の外交音痴と中国の焦り

先日来、テレビや新聞で中国の「反日デモ」と中国政府が厳戒態勢を敷いてこのデモが拡大しないように神経質になっている様子が盛んに伝えられている。尖閣諸島の問題としてのデモの様相を呈しているが、中国政府は尖閣の問題をきっかけに、別なところに火がつくことを恐れている。

尖閣沖の事件では、「戦後最大の外交敗北だ」と強い調子の批判が、国内では目立っている。中国に屈服し、逮捕した中国漁船の船長を釈放させられたことに、情けなさと怒りを感じている人も多くいるだろう。しかし、冷静に考えてみると、今回の騒動で、日本は本当に何かを失ったのだろうか。
「存在しないはずの領土問題に世界の目を向けさせてしまった」そんな指摘もあるが、日本が実効支配する状況は変わっていない。むしろ中国のほうが日本の対応に焦り、国際的に傷つき、経済的な損失を招きながら、何とか「日本に勝った」という形を取り繕ったのが実態なのである。
なぜ焦ったのか。それは、菅直人首相や民主党の外交音痴ぶりが、中国の想像を超えていたためだと考えられる。
中国の漁船が海上保安庁の巡視船に衝突したのは9月7日。翌8日の未明に船長が日本側に逮捕されたとき、中国は2、3日で釈放されるとみていた。
04年3月、中国人の活動家7人が尖閣諸島に上陸して逮捕されたときに、「日中関係に悪影響を与えない大局的な判断」(当時の小泉純一郎首相)により、起訴されずに強制送還された先例があったからだ。
ところが、菅内閣から聞こえてきたのは、「尖閣諸島には領土問題は存在しない」、「法に基づき粛々と対応ていく」という原則論ばかり。中国政府は、外務次官から外相へと格を上げながら抗議を繰り返したが、返ってくる反応は変わらない。9月12日にはついに、副首相級の戴秉国・国務委員が、未明に丹羽宇一郎・駐中国大使を呼び出し、「賢明な政治判断」を促した。これは、中国にすれば「SOS」を伝えたつもりだった。
ところが、菅内閣はこのメッセージも読み取ろうとしなかった。「こういう時間帯に呼び出したのは遺憾だ」翌日の会見で仙谷氏が述べ、中国の反発を招いた。この問題も、実際は中国側は前日夕方に面会しようとしたものの、日程が合わず、未明にずれこんだのが真相だったようだ。大使館が事実関係をきちんと説明しなかったから、「不要な発言」をしてしまったことになったのだ。
この時点で、中国には日本向けの穏当なカードがなくなってしまった。菅内閣は素晴らしい外交力ではなく、思考停止に陥ることで中国に音を上げさせたのである。中国が解決を急いだ背景には、国内事情の変化がある。
中国政府にすれば、怒りが日本だけに向く分には怖くない。しかし、今回は中国人民の3分のーは冷めていた。「あんな小さな島が返ってきても、自分たちには何の利益もない」「尖閣に使う知恵と時間があれば、物価と不動産価格の高騰をなんとかしろ」これは中国政府にとっては恐ろしいことである。
中国は有力な国有企業の幹部が5千万〜6千万円の年収を得る一方で、月2万〜3万円で暮らす人も多い。この不公平社会の受益者たちは、格差を知りながら放置している自分たちの「ずるさ」を認識している。だから尖閣の問題をきっかけに、そこに火がつくことを恐れていたのである。
これはハンドルを誤れば政権を揺るがしかねない危険な問題だ。火種は一刻も早く消さなければ。中国の恫喝外交は、そんな中国の本気の危機感に裏打ちされたものだけに迫力が違っていた。それほど深刻でない日本はその剣幕におののいてしまった。
訪米した温家宝首相は9月23日の国連総会で、領土問題では「屈服も妥協もしない」と宣言したが、実は中国は裏で米国にも働きかけていた。米国から日本に働きかけてもらって早く船長を釈放させ、国内の火種を消すほうが望ましいというのが、中国政府の判断だったのである。
今回、レアアース(希土類)の輸出が停滞したことにも、「経済を人質に取るのか」と批判が集まった。日本が得意な自動車や家電の生産に欠かせない資源で、中国が生産量の97%を占めているためだ。
ただ、停滞が中国政府の判断だったのか、疑念もある。中国政府はレアアースが必要な外国企業を国内に呼び込み、投資と雇用の創出、技術の移転を狙っていたからである。
「レアアースが安定的に供給されるなら、中国へ工場を移そうか」今回の措置は、そんな気になりかかっていた各国の企業に「チャイナリスク」を思い出させ、レアアースを使わない技術の開発や、中国以外での資源獲得へ目を向けさせてしまった。中国は個人消費が育っていないので、外国からの投資が欠かせない。成長のエンジンを失うリスクを負ってまで、日本との交渉カードにするだろうか。
「世界の工場」として外国の企業や投資資金を呼び込み、さらなる成長につなげる。そのために、無用な警戒心を抱かせないよう注意を払ってきたのに、尖閣の事件で一気に崩れ去ってしまった。
中国にとって、更に誤算だったのは、天安門事件にかかわり、刑務所に収監している人権活動家、劉暁波氏へのノーベル平和賞の授与が決まったことだ。「天安門」は「日本」以上にセンシティブな問題である。決定を伝えるテレビ番組の国内での放映を止め、ノルウェー政府に抗議すれば、国際的な威信がさらに傷つくことはわかっていたはずだが、恥をさらしても、国内の世論を抑え込まざるを得なかった。尖閣事件後の1ヶ月半で、中国は国際的な信頼や経済的利益など多くのものを失った。
しかし、菅政権は今回の事件への対応を猛省すべきである。従来から外交音痴だったが、さらに外交劣化が進んでいる。外交は刹那主義的に反応するのではなく、耐えるところは耐えながら将来を見通して行動しなければならない。

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2010年10月17日

金木犀が満開

金木犀2010-1.jpg我が家の生垣の金木犀が今年も満開になり、とても甘い香りを一面に漂わせている。去年、今年と金木犀の満開の時期が遅くなっている。2006年のブログを見ると11日に満開の投稿をしている。やはりこれほど遅くなるのは、気温が影響しているのだろう。




金木犀2010-2.jpgこの2006年のブログには、次のように書いていた。
金木犀は中国原産の常緑樹だが、雌雄異株だそうで、日本にあるのはその殆どが雄株だそだ。これだけ多くの花を付けるのに、いまだに金木犀の果実を見たことがない。雄株なので仕方ないのだろうが、無いものねだりで、よけいに金木犀の果実を見たくなってくる。

金木犀2010-0.jpgこんな小さな花だけど、たくさん集まれば一面に芳香を放つ。秋、真っ盛りでの風景である。
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2010年10月15日

闇の中の検察審査会

民主党の小沢一郎元代表は15日、政治資金規正法違反事件で東京第5検察審査会が「起訴相当」と議決したのは違法で無効だとして、議決の取り消しや検察官役となる弁護士の指定差し止めを求める行政訴訟を、東京地裁に起こした。
また、小沢氏は提訴と同時に、検察官役となる指定弁護士を東京地裁が選任しないように仮差し止めや執行停止も申し立てた。
東京第5検審は、1回目の議決の「容疑内容」に盛り込まなかった土地購入費の出どころを、2回目の議決で小沢氏からの借入金4億円を充てたと認定し、議決の「犯罪事実」に加えた。これに対し小沢氏側は「告発容疑にない内容を2回の審査を経ずに出した議決は、審査会の権限を逸脱してなされた違法なもので、全体が無効だ」と指摘。
その上で「違法な議決に基づいた起訴を座して待たなければならないのであれば憲法違反」と結論付けた。
小沢氏の主張はもっともだと思う。これが罷り通れば、少し疑わしい人は誰でも起訴できることになる。

私の理解では、検審会の「強制起訴」という制度は、あくまでも検察の不起訴処分の不当性を審査するために設けられたものであると考える。検察が不起訴とした事実について、検審会が「起訴相当」の判断を2回すれば、裁判所が指定した弁護士による起訴(強制起訴)手続きをとることになる。そう考えると、1回目の議決で「起訴相当」とされた事実について、検察が再捜査して再び「不起訴」とした事実の範囲を超えた事実を、2回目の議決で「起訴すべき事実」にするのは、検審会の強制起訴手続きの趣旨からいっても、明らかにおかしい。

検察審査会は何から何まで闇の中に包まれている。11名の審査員の選考過程も公表されず、平均年齢だけが公表された。当初、審査会の平均年齢は30・9歳と発表されたが、これが計算ミスだと判明した。11名の年齢ではなく10名分の年齢を11で割ったのだという。そして、33.91歳と発表したが、9月14日現在の議決日現在だと34.55歳になると訂正した。
これまでの検審会の平均年齢をみると、40〜50歳代である。東京都の住民基本台帳では20歳から69歳の約882万人の平均年齢は43.66歳になるという。ある著名な数学者が数学的な定理を応用し、計算すると34.55歳は1.3%以下の確立になるという。コインを10回投げて表が連続して出る確率が10回近いことになる。本当に無作為に選ばれたとすれば、極めて珍しいことが起こったことである。こんなことを信じろという方がおかしいと思うのだが…。
11名分の足し算もできない人たちが、有罪無罪を判断できるとは到底思えない。この様に若い人たちだと感情や思い込みで判断することがあるような気がする。
この問題は小沢さんの問題では済まされない。私たち国民の誰もが「明日は我が身」になるのである。第2の検察ともいわれる検審会、そのあり方が問われなければならない。

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2010年10月13日

男の料理教室10月

この男の料理教室も始まってもう1年半になる。今日が18回目だった。
ここ半年くらいはあまり欲張らず、献立を毎回2品位に抑えている。季節の野菜を使うことが一つのテーマだが、それとともに、自宅で無理をせずに取り組めるオカズにすることにしている。先月は、「酢豚とトウガンのすり流し汁」、今月は「マーボー豆腐と太刀魚の南蛮漬け」と家庭でも定番の料理である。
当番の人達に昨日買い出しに行ってもらったのだが、太刀魚は生きはいいのだが少し小ぶりである。旬の魚だからと思ったが、広島での需要はそんなに多くないのかもしれない。
料理2010.10-1.jpg材料を広げて見るとそんなに多くない。これで5人分である。熟年ばかりのメンバーのお昼ご飯だから量としてはちょうどよいのだろう。




料理2010.10-2.jpg講師の先生の説明の後、さっそく取り掛かった。仕事は段取りだというが、具材や調味料をきちっと用意しておけば、調理にかかる時間はそれほどかからない。マーボー豆腐などは、調理にかかる時間は約5分ほどである。
最近では、レトルト食品を使って調理することが多くなってきたが、一から作るマーボー豆腐は一味違った。中華料理店で食べるものに負けていなかった。料理2010.10-3.jpgやはり、手間暇かけると美味しくなる。太刀魚の南蛮漬けも美味しかった。

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2010年10月07日

何故「3D」にしたいのか

昨日の朝刊に「3D時代 本格到来」という見出しで、国内最大のデジタル家電展示会「シーテックジャパン2010」の記事が大きく掲載されていた。
電機メーカー各社が3Dを前面に押し出す展示となる中で、特に注目されたのが専用の眼鏡なしで見られる3Dテレビの試作品のコーナーだったという。
映画「アバター」がその火付け役のようだが、何故これほどまでに3Dがもてはやされるのかよく分からない。今では映画だけでなくテレビもパソコンもゲーム機も更にはカメラまで3Dへと向かっている。
映画は平面であった。映写機のフィルムから映し出された光線が銀幕のスクリーンの上で動く。映画は、平面であることがいいのだ。現実の風景は3Dなのに、それが平面になるところが映画たる所以で、活動写真、つまり「活動する写真」が映画である。
3Dはそれなりに面白いと思わなくもないが、そう遠くないうちにあきてしまって、すたれてしまうような気がする。技術が先行して、そちらだけが目立ち、映画が本来的に持つ二次元での魅力や夢が消えてしまう。
絵画もまた二次元の平面である。私たちの周りを見回すと、目の前に見えるこの世のすべては3Dである。その現実世界を、二次元のフラットなキャンパスに移しかえたところに絵画の力がある。写真も同様で、いかほど立体的に描写しても、平面だからいいのである。
テレビはテレビであり、受像機の向こうに立体的なニュースやバラエティやドラマが映し出されたとしても、それは現実の延長であって、見る者にとってはいらだつだけで、何の意味も持たない。
医療分野などでの3Dの技術は役立っていることは理解できるが、パソコンやカメラが3Dになってどんな利点があるのだろう。家電メーカーの3Dに向き合う理念は良く分からない。

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2010年10月04日

彼岸花ア‐ラ‐カルト

豊栄からの帰り道、彼岸花に魅せられて何枚かのシャッターを切る。

彼岸花3.jpg向原町では、自宅までの進入路の両側を彼岸花で飾ったお宅。





彼岸花4.jpg白木街道は、道路の両側や畦道、河原などに今が満開と咲き誇っていた。





彼岸花5.jpgJR芸備線の線路の両側も彼岸花が縁取っている。






彼岸花6.jpg花言葉は「情熱」「悲しい思い出」「独立」「再会」「あきらめ」、千の名を持つという彼岸花だが、「曼珠沙華」(まんじゅしゃげ)が情緒があるように思う。
10月に入って満開になっていたら、もう彼岸花ではないのだが…。

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2010年10月01日

「ちいさい秋 みつけた」―どうして、「ちいさい秋」なのか

彼岸花1.jpgいつもの年より10日も遅い彼岸花彼岸花2.jpg







我が家の庭にも昨年同様、彼岸花が咲いた。赤と白の「ちいさい秋」を見つけた。白い彼岸花は5年ほど前に友人に頂いたものだ。白の花は満開を少し過ぎたころだが、赤い彼岸花にはまだ蕾も見える。いつもの年より10日以上も遅い開花だ。
サトウハチローさんの「ちいさい秋 みつけた」を口ずさみながらシャッターを押していた。

1.だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが みつけた
   ちいさい秋 ちいさい秋
   ちいさい秋 みつけた
  目隠し 鬼さん 手の鳴る方へ
  澄ました お耳に かすかに沁みた
  呼んでる口笛 百舌(モズ)の声
   ちいさい秋 小さい秋
   ちいさい秋 みつけた

2.お部屋は 北向き 曇りのガラス
  うつろな目の色 溶かしたミルク
  わずかな 隙から 秋の風

3.昔の 昔の 風見の鳥の
  ぼやけた 鶏冠(トサカ)に はぜの葉一つ
  はぜの葉 赤くて 入日(イリヒ)色

何故、「おおきい秋」ではなく「ちいさい秋」だったのか。この詩を詠んだ場所がサトウハチローの自分の仕事部屋だったそうで、その部屋には北向きのちいさい窓があった。窓枠によって切り取られた小さな秋だったのだ。その窓から外を眺めながら詠んだので「ちいさい秋」になったのだという。

離婚した母親への思慕を詠ったこの詩、寂しく悲しい作品である。

posted by tontonton at 16:11 | TrackBack(0) | 高陽日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする