2010年04月28日

迫幸一 モノトーンの世界 展(岳父の写真展)

ハ真展2010-4.jpgPRチラシ

昨日から広島市中央部のギャラリーで岳父の写真展が始まりました。NPO法人アートプラットホームGの企画により、広島市中区八丁堀・グランドタワー公開空地内のGallery Gで5月9日(日)まで開催されています。
NPO法人アートプラットホームGが制作したPRチラシには次のように紹介してくださいました。写真家の港千尋さんの推薦の言葉にも、心から感謝です。
岳父の最後となるであろう写真展を記録しておきたいと思い、投稿しました。

ハ真展2010-3.jpgNPO法人アートプラットホームGでは、広島の戦前・戦後を生き抜いた作家たちを紹介する企画展を開催しています。このたびは、その第2弾として写真家・迫幸一(1918−)のモノクローム写真を取り上げます。
迫幸一は、戦後広島の写真界を代表する作家として、叙情性ゆたかな具象表現と独特の抽象表現で知られています。その作品は、国内では〈アサヒカメラ〉〈カメラ毎日〉〈光画月刊〉などの著名写真誌に掲載され、国外では国際展への出品を通じて各展覧会図録や有力写真年鑑にもたびたび収録されてきました。また、その作品は英国・ヴィクトリア&アルバート美術館や米国・ニューヨーク近代美術館のパーマネント・コレクションとして収蔵されるなど、国内外において高い評価を受けています。近年は、出生地の呉市立美術館にも多数の作品が収蔵されました。
作者によれば、写真の魅力は「白と黒の階調が発散する神秘的なニュアンスと、白と黒が内包するモノクロ独特のすばらしいボリューム」(写真集《系譜》1975年北日本出版)にあると言い、生み出された作品はすべてモノトーンによって表現されています。
このたびは、呉市立美術館の全面的な協力と作者ご自身の監修・ご指導のもと、代表作を選りすぐって展示・紹介します。この機会に、写真家・迫幸一の被写体に対する鋭い感性と暗室テクニックが生み出したモノトーンならではのフォトグラフィック・アートをご堪能ください。

世界から色を差し引き光の言葉へ翻訳する写真は、歴史をつうじてモノクロームの微妙な譜調のうちに、新しい詩学を見いだしてきた。迫幸一氏の写真はモダニズムの精神を受け継ぎながら、パリともベルリンとも東京とも異なる、場所と時代に根をおろした独自の表現を獲得している。
それは広島において、おそらく光と影の戯れが記憶と再生のドラマへとつながっているからであろう。見慣れた都市は暗室のなかで反転し、いまここに生きることの意味を静かに問いかける。
緻密な構成をもった画面を横切る春風にも似たやさしさは、わたしたちの内にある、大切な色の存在に気づかせてくれる。
港千尋(写真家)


ハ真展2010-1.jpgハ真展2010-2.jpg
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2010年04月18日

“雨後のタケノコ”新党

「たちあがれ日本」というよりも、「たちがれ日本」「たそがれ日本」のほうがぴったりくるような平沼赳夫、与謝野馨両氏らによる新党結成の結成会見はさながら、“老人パワー”のアピール会と化していた。
応援団長の石原慎太郎都知事は、「『年寄りばかり』というのは簡単だけど、30代、40代、50代に、我々と同じくらいこの国を憂いている人間がどれくらいいるんだ。君らが持っていない危機感を我々年寄りは持っている。年寄りだよ、私たちは。年寄りがこうせざるを得ないように誰がしたんだ」と会場に詰めかけた記者団を強い口調で挑発したが、誰が見ても天に唾しているようにしか見えなかった。
平沼さんの子飼いと見られていた若手で無所属の城内実、小泉龍司両衆議院議員も全く同調する様子もなく、寂しいスタートとなった。

「すべての可能性をオープンにしている」を繰り返し発言し、離党も否定しない舛添要一前厚労相だが、資金力や人脈もなく新党の旗揚げは出来るはずもない。国民からの高い支持率とは裏腹に、いまや自民党内でも非難が集中して孤立化し、今週には党執行部からの事情聴取を受けるようだ。自民党の乗っ取りを企てる舛添氏の行方は…?

また、およそ一か月前には、「春の線香花火」に終わったが、鳩山由紀夫首相の弟にして元総務相の鳩山邦夫氏による自民党離党と「新党結成」騒動があった。出演していたテレビ番組の中で、自民党離党を明言したのが事の発端だったようだが、殺到するマスコミに気を良くしたのか、あるいは自分で勝手に気分を高揚させていった結果なのか、3月15日には自民党を離党し、「新党結成」を宣言してしまった。マスコミも、あたかも自民党が大分裂でも起こしかねないような“はしゃぎ”ぶりで、「大事件」扱いにしたため、何の準備も同調者も展望しないままに見切り発車して「邦夫の乱」で一巻の終わりとなった。

そして今日、山田宏杉並区長、中田宏前横浜市長、斎藤弘前山形県知事の首長3人のヒロシーズが「日本創新党」を旗揚げした。首長新党が一大勢力に成長するためのキーマンは、橋下徹・大阪府知事だと言われていたが、橋下氏にはその気はなく距離を置いている。新党に参加するには議院一人当たり1億円が必要だとされる。だが、日本創新党にはそんな資金力はない。「洋服の青山」の青木社長がバックにいるとも報じている。

確かにタケノコのシーズンではあるが、新党の話題も“雨後のタケノコ”のように相継いで出てくる。
政界で何かちょっとでも動きがあれば、このところ新聞各紙は条件反射のように、センセーショナルな記事に仕立て上げて見せ、大げさに騒ぎ立てては読者をミスリードしている。だが、これらの騒ぎは瞬時にして終焉に向かっている。「終戦処理」体制だけは上手い新聞各社、少しは恥ずかしいと思っているのだろうか。
さて、明日の新聞一面はどのように!!

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2010年04月15日

豊栄にもようやく春が…

春に庭2010-4.jpg今年は季節が行ったり戻ったりで、我が家の桜も満開になるまでに時間がかかり、桃と一緒に咲いている。
今は、桜と桃に加えレンギョウ、雪柳も満開である。イングリッシュデイジーが庭一面を覆いつくし、水仙やその他の草花も美しさや可憐さを競っている。
季節が昨年よりは一週間遅れてやってきたようだ。
3月9日の春の湿った大雪で、古木の桃の木の枝が折れた。切り取ろうと思ったが、近づくと折れてぶら下がった枝にはたくさんの花芽を付けていたので、このまま花を咲かせることにした。わずかに繋がった枝であるが見事に花を咲かせた。
この桃の古木も台風で3度倒された。その度に立ち上がらせて、支柱でようやく立っている。十数年前までは庭の中央で、その存在感を発揮していたが、いまは愛おしいほどひっそりとしている。
4月5日に投稿したチェンソーで切り倒されそうになった桜の木、3度の台風で倒されてもなお立ち上がっている桃の木、自然界の生命力の強さに感心した二つの出来事。

春に庭2010-2.jpg折れてぶら下がった枝でも満開
満開の桃の花(明日は旧暦のひな祭り)春に庭2010-3.jpg
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2010年04月11日

龍馬が歩いた道を“さるく”

長崎旅行ー2.jpg風頭山公園から望む長崎港
“さるく”とは、まちをぶらぶら歩くという意味の長崎弁。
栽培の仲間と恒例になった旅行は、長崎港を一望できる風頭山公園からスタートした。道は細く長く続く下り坂である。歩き始めてまもなく坂本龍馬の銅像に出あう。龍馬も見上げていただろう長崎の空、見果てぬ夢を追い求めて歩いたであろう同じ坂道を幕末の志士たちに想いを馳せながらゆっくりと歩いた。
龍馬ゆかりの亀山社中跡を通り、風情ある山門や鐘鼓楼が続く寺町へ抜ける坂道は「龍馬通り」と呼ばれ、往時の面影を残している。亀山社中の同志たちが闊歩したであろうこの小径には、手作りの優しい案内板や休み石があり、心を和ませてくれた。
盛りは過ぎていたが、時折舞う桜の花びらに道案内されながら眼鏡橋までの小一時間の“さるく”だった。

初日の宿泊は日本三大夜景の一つと言われ、長崎の街が一望できる稲佐山の中腹に位置するホテルだった。ゆったり温泉に浸かった後、卓袱料理で夕食会。宝石を散りばめたような1000万ドルの夜景を堪能した後、一つの部屋に集まった二次会で楽しく弾んだ会話に花が咲き、笑いに包まれながら遅くまで続いた。

今回の旅行は、栽培の仲間と一緒に参加したツアーで、企画した旅行会社の最終予定日だった。40人の参加予定だったようだが、二組のグループのキャンセルがあり、45人乗りの大型バス1台に22名だけのツアーになった。さみしい人数だと思ったが、まとまりも良く、ゆったりとした楽しい旅行になった。私たちのグループも体調の問題から当初の予定より3名少なくなったのが残念だった。


長崎旅行ー1.jpg龍馬像の前で記念撮影
稲佐山のホテルからみる夜景
長崎旅行ー3.jpg
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2010年04月05日

こんな桜に誰がした

桜2010-1.jpg桜2010-2.jpg何処に行っても満開の桜に出逢える。私の住む住宅団地の学童通学路の桜並木も今が盛りである。
そのわずか離れたところに、ここまで切り込まれた桜の木が一本だけ立っている。この桜の木も10個ほどの花を付けた。

この桜の木は私たちの自治会の集会所の敷地の中に植えられている。いつ頃、誰が植えたのかも分からないのだが、季節になるといっぱいの花を咲かせていた。
ところが、この桜の木の根が水を求めて排水溝に侵入し壊し始めた。住宅供給公社の所有物で、これまでは修理費を出してくれていたのだが、不況のあおりで利用者が負担するようにと変わってきた。昨年の秋頃に修理を依頼したら数万円の費用がかかり、自治会の役員会に計ったら「切ろう」ということになってしまった。
昨年の12月の町内一斉清掃の日に、小枝だけは切り取っていた。太い部分は小さな鋸で切るのは大変だからと、私がチェンソーで切ることを引き受けた。そして、忘れもしない昨年12月20日の日曜日に息子と二人チェンソーで切り始めた。エンジンチェンソーだからもの凄い音がする。作業を始めると、すぐ近くのお年寄りが怒鳴りこんできた。顔は真っ赤で頭から湯気が出そうな勢いで、今にも殴りかかってくるのではないかとすら思えた。言葉も聞き取れないほどもつれている。
その老人に、自治会の役員会で決定されたことで、この木を切らなければならない理由を話すのだが、まったく聞く耳をもっていない。
切ることを中止するが、なお、執拗に食いかかってくる。終いには「今からお前の家に行って庭木をすべて切り倒してやる」などと言い始めた。幸い携帯電話を持参していたので自治会長に連絡をする。会長がすぐ自転車でやってきてくれたが、今度は自治会長に矛先が向けられ、ますますどなり声が大きくなっていった。
今度は自治会長とその老人の喧嘩に代わって行った。仲裁に入らねば殴り合いの喧嘩になるほど激しい言い争いになった。会長をなだめて帰ってもらい、私たちも罵声を背中に浴びながら引き上げた。

この集会所には他にも雑多な木が植えられている。住民が自分の庭で不要になった木をこの集会所の敷地に持ってきて植えているのである。管理者がいないため、注意してこなかったのが今回の問題を起こした。今後は注意を払っておくにしても、落ち葉や剪定などの問題は残る。

しかし、この問題はあっても、私自身が自治会の役員会の時、「桜の木を切る」ことになぜ反対意見を言わなかったのか、周りの桜に木々を見ながら少々後悔しているところでもある。
今日もこの桜の木のそばに佇むと、「こんな桜に誰がした」と言われているような…。


桜2010-4.jpg桜2010-3.jpg
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2010年04月03日

除草の終わった小麦畑は美しい

小麦除草ー2.jpg今日は白木農園で小麦の除草作業があった。「花冷え」という言葉がぴったりの寒い朝だったが、それでも19名の参加者。白木農園に向かう白木街道の両側にはあちこちで満開の桜が出迎えてくれた。
小麦の成長は順調だが、先日来の長雨もあり、雑草も見事に畑を覆っていた。これ以上放置しておくと雑草が勝って小麦の成長を遅らせるようなタイミングだった。作業の中で交わされる会話が面白く楽しいこともあり、作業の手が止まってしまう。さらに、除草は丁寧に徹したため思ったより時間がかかった。10時過ぎに一回の休憩を取っただけで作業を続け、12時に完了する。
昼前頃からは陽射しも強くなって、私たちの作業を応援してくれるように暖かくなってきた。
作業を終えて、雑草のない麦畑を見ていると清々しい気分に浸れる。これで雑草にも邪魔されず、グングン成長してくれることだろう。
帰途では、春の陽をいっぱいに浴びて輝いている満開の桜が、空や風までも薄桃色に染めていた。


小麦除草ー1.jpg
posted by tontonton at 17:32 | TrackBack(0) | 白木農園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月01日

龍馬になれなかった男たち

週刊朝日に「週刊―司馬遼太郎」という連載記事がある。2月中旬からこの記事が「龍馬になれなかった男たち」の特集になっている。その第1回目は次のような書き出しで始まる。

坂本龍馬の一族として、全国の龍馬ファンや研究者によく知られている2人がいる。
東京にすむ坂本登さん(72)は坂本本家の当主。龍馬の兄の権平から数えて5代目になる。防災設備の会社を経営し、最近は頼まれて龍馬のシンポジウムなどに参加することが多くなった。
「パネルディスカッションで西郷隆盛さんの子孫にお目にかかったことがあります。いろいろな方とお会いしますよ。横井小楠や勝海舟の子孫、敵方ですが近藤勇の子孫の方とも握手をしたことがあります」
龍馬ファンの集まりに出ると、とにかく握手を求められるそうだ。照れくさそうに登さんはいう。
「私は龍馬のような生き方をしたいと思ったこともないし、『竜馬がゆく』もいい小説だなと思って読んだ程度です。そんな私と握手しても仕方がないのにとは思いますが、実によく頼まれる。それだけすごい先祖だということですし、龍馬が今でもみなさんとの出会いの場を提供してくれているんだと思っています」

第1回の龍馬になれなかった男は高松太郎。高松太郎は龍馬の姉・千鶴の子で坂本直寛の兄だった人だ。朝廷から坂本龍馬家を建てるように言われ、坂本直と名を変え当主になった。龍馬とは叔父・甥の関係で、土佐勤王等にも籍を置き、勝海舟にも海軍術を学び、海援隊でも活躍した。龍馬あっての太郎だったのだろう、龍馬の死後は海援隊の仲間たちとは別な道を歩く。北海道の箱館府(函館)につとめて外交の役向きの仕事をする。その後、東京にもどって宮内省に勤務するが、免職になり高地に帰って静かな晩年となったと紹介されている。

第2回、武市半平太
第3回、岡田以蔵
第4回、岩崎弥太郎
第5回、饅頭屋次郎
第6回、陸奥宗光
第7回、板垣退助

いずれも龍馬に心酔している男たちが登場し、毎号楽しく読んでいる。この週刊誌を購読している一番の魅力はもちろんこの記事である。

最近では、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」の人気にあやかろうと、龍馬になろうとした政治家がいた。
3月15日に政界再編を掲げて自民党に離党届を提出した鳩山邦夫その人。舛添要一と与謝野馨を結びつけて、薩長同盟の再現を目指したが、その後は何の音沙汰も聞こえてこない。
自民党を2度に渡って離党した鳩山邦夫、この男もとうてい龍馬にはなれそうにもない。

posted by tontonton at 17:28 | TrackBack(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする