2009年10月31日

蕎麦を脱穀する

蕎麦2009-1.jpg午前9時にJAの白木支店に集まった25名の仲間たちとともに今日は蕎麦の脱穀をした。10月末なのに夏日を思わせる暖かく恵まれた陽気の中での作業だった。
ご近所への騒音の問題もあり、蕎麦を乾燥してある場所では脱穀の作業ができない。脱穀する場所まで300mを移動させなければならなかった。乾燥させた蕎麦を運び、脱穀機にかけて脱穀する。粉砕された蕎麦木のクズがたくさん混ざっているのでトウミで選り分け、ふるいにかける。
参加者も多かったこともあり正午にはすべての作業を完了できた。脱穀した蕎麦を量ってみると63sだった。思っていたより量が少ない。これは、10月13日に刈り取り収穫をし、乾燥するする期間が少し長かったことで、乾きすぎたことも重量に影響していると考えらる。また、収穫時期が予定より1週間遅れたことにより、畑に置いてきたものも多くあったのかもしれない。
これを製粉工場に持ち込んで蕎麦粉にしてもらうのであるが、どのくらいの蕎麦粉ができるか楽しみでもあり、心配でもある。できあがるのは12月中旬になるだろう。12月下旬に開催される蕎麦打ち体験教室もいまから楽しみだ。
今日の作業に参加した者にはサトイモのお土産もあった。


蕎麦2009-2.jpg蕎麦2009-3.jpg脱穀作業






蕎麦2009-4.jpgサトイモ2009.jpgお土産はサトイモ
posted by tontonton at 17:10 | TrackBack(0) | 白木農園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月29日

うどん作り教室に参加

うどん作り2009-1.jpg昨日は白木農園のうどん作り教室が開催され参加した。平日にもかかわらす28名もの会員が参加していた。
昨年の12月14日に播種した小麦は、今年になって2月22日に麦踏を行い、6月14日の刈り取り収穫の後、7月14日の脱穀を経て、製粉を依頼し、100%国産の小麦粉として戻ってきた。寒い中、暑い中での作業した私たちの汗の結晶である。
自分たちで育て作ったその価値ある小麦粉を使用して、手打ちうどんと肉まん作りに挑戦した。JAの講師から手打ちうどんの作り方の説明があり、続いて、肉まん作りは会員の奥さまが講師を引き受けてくださり、作り方を詳しく聞いて進める。
うどん作りは、会員の中に何度も経験している人がいて、その方のサポートで順調に進む。まず、練、そして足踏み、この後に1時間ほど熟成(寝かし)させた後、生地伸ばし、線切り、ゆで、水洗い、盛りつけと分担して進行していった。
肉まん作りは、ぬるま湯に砂糖とイーストを入れて15分発酵させた後、泡が立ってきたら薄力粉と強力粉を一緒に入れて混ぜ合わせ捏ねて、包み込む皮の部分を作る。
一方で、ミンチやシイタケ玉ねぎ、竹の子、キャベツなどをみじん切りにして、準備しておいた醤油、酒、ごま油、砂糖、塩、こしょう、しょうがなどの調味料とよく混ぜ、ゴルフボールより少し小さいめボール状に丸めておく。
捏ねたものを1個60〜70g位に切り分け、それを直径12pくらいの円形に伸ばし具を包みこみ、これを強火で15分ほど強火で蒸し上げればできあがり。
すべてが完成し、講師の先生方も一緒にいただいた。トマトグループの方から真っ赤なミニトマトが提供され彩りを添えた。
うどんも肉まんもとても美味しく、参加者全員大満足。もちろん、会話も楽しく弾んでいた。
帰りにはすべての会員に1sの小麦粉のお土産がついていた。


うどん作り2009-4.jpgうどん作り2009-6.jpg
posted by tontonton at 14:03 | TrackBack(0) | 白木農園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月26日

秋祭り

秋祭り2009-2.jpg組み上がった神輿

昨日はわが自治会の秋祭りだった。以前は近くの神社とも連携を取っていたが、子供たちが少なくなって子供会が成立しない自治会も出てくるに及んで、団地内だけで秋祭りを仕切るようになった。だから、現在では神事も何もなく、子供たちと神輿を引き回すだけの祭りなってしまった。
自治会連合会では、多くの子供たちがいるのだが、私たちの自治会では参加した子供が40名弱、保護者や祭り関係者の方が多いという状況である。以前は休憩をしながらでも子供たちが神輿を担いでいたが、最近では担ぎを担うほど子供たちがいない。参加している子供は殆どが小学生の低学年以下になっている。
秋祭りを早く終了させるために、3基の神輿でそれぞれの自治会内だけを廻るようにしているのだが、形ばかりだから盛り上がりにも欠ける。前夜祭(よごろ)も神事もなく、開催される目的が全く見えてこない。自治会の役員でもあり、今年は子供たちと町内をねり歩いて、そのことを強く感じた。
祭りは感謝する心を育てることと、ひとつの行事を通じて地域の人たちが強く結びつくことが目的なのだと思う。わが自治会の祭りにももうひと工夫が欲しいと思った。


秋祭り2009-1.jpg秋祭り2009-3.jpg
posted by tontonton at 16:03 | TrackBack(0) | 高陽日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月24日

「忘れる力」を発揮しよう

いま、外山滋比古(とやましげひこ)さんの「思考の整理学」という文庫本が若い人を中心に良く売れているという。この本はもう四半世紀も前の1986年4月に発売されたもので、それ以来45刷を重ねている超ロングセラーである。
外山さんの体験に則し、独自の思想のエッセンスを明快に開陳し、考えることの楽しさを満喫させてくれる人生の哲学書である。
その中に「整理」や「忘却のさまざま」などの項目があって、忘れることの大切さを説いているのだが、ある他の雑誌でこの著者が書いた「忘れる力」という記事を見つけた。
その記事には私たちを救ってくれるこんな言葉があった。
『すこし年をとると、人はもの忘れが多くなったといってこぼす。あたかも、年を重ねるにともなって、頭もどんどん悪くなっていくように思う人も少なくない。
だが、これは勘違いで、どんどん忘れたらいい、というのが私の考えである。年齢が高くなると忘れやすくなるのは、むしろ天の配剤ではないだろうか。』
「天の配剤」という言葉に思わず喜んでしまったのだが、それだけでは問題は解決しない。
ものを考える前には、まず頭の中を整理しておくことが大事であるという。そのために余計なものを外に出す。つまり不要な知識を忘れてしまわなければ、新しい発想は生まれてこない。だから、頭を整理するためには「忘却力」が必要だという論法である。
だが、近年は情報量が多すぎてそれを整理するだけでも大変な作業、まして、記憶に留めておくことはさらに困難になる。新しい記憶もどんどんと忘却の彼方に消え去ってゆく。必要でない知識を忘れるのであれば問題はないが、必要なものまでなかなか思い出せないことだってある。忘れることは重要だといっても、何を忘れたら良いのかその整理から始めなければならないというのが面倒な作業だ。私たちの年代になると過去の考え方を引きずっていて、忘れることは良くないという固定観念があり、知らず知らずのうちに知的メタボリックになっている。知識がないと知恵も生まれてこないと教えられてきたからだろう。
しかし、案外、思いきって澱のように溜まった知識を思い切って忘れ去ってしまうことにより、新たな知識欲が湧いてくるのかもしれない。
むかし、ラジオドラマで流行った言葉があった。「忘却とは忘れ去ることなり、忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ…」、だったでしょうか?半世紀以上も前のドラマなのだが、いまだに、まだ…。
これからは、「忘却力」を大切にしながら毎日を過ごすことにしよう。

posted by tontonton at 14:13 | TrackBack(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月21日

男の料理教室も今日で半年

料理2009.10-1.jpg料理2009.10-2.jpg






毎月1回の男の料理教室が始まって今日で半年になる。先月の料理教室は、とうがんの海老あんかけ、ポテトサラダ、ごぼうと牛肉のうま煮、天ぷら精進揚げとご飯とメニューを欲張り過ぎて食べきれず持ち帰った。また、多く作りすぎて調理法をすべて理解し覚える余裕もなかった。その反省から今日はシンプルに「さんまの香味焼き」と「小松菜とツナの煮びたし」の2品にすることにした。
さんまは一人一匹ずつを、頭と尾を切り落として3等分に筒切りにし、腹わたを除いて洗い、塩をふってしばらく置き、水けを拭いて小麦粉を薄くまぶした。この腹わたを除くときに血合をきれいに取り除けば、臭みがなくなることを学んだ。この教室が始まって初めての魚料理だった。フライパンでこんがり焼いて用意していたタレをからめてできあがり。鮮度が良かったから、さんまが全くといっていいほど崩れなかった。
他の班の作り方をそっと盗み見ては良い方法は取り入れる。調理してゆく過程でも他の班との間で冗談が飛び交い、笑いと楽しさに満ち溢れている。
ご飯は会員のSさんの新米を使って、白いご飯と栗ごはんを炊いた。そして、各々が三角むすびを作って食べた。やはり新米だけのことはある。ご飯が光り輝いていてとても美味しかった。

posted by tontonton at 15:59 | TrackBack(0) | 白木農園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月19日

東野圭吾の加賀恭一郎シリーズ「新参者」を読んで

加賀恭一郎シリーズは、23年前の1986年に著者がデビュー第2作『卒業』で、大学生の主人公として登場させたのが始まりのようだ。卒業後に教師になったものの、退職し、父親と同じ警察官となる。89年の『眠りの森』で警視庁捜査一課の刑事として再登場。90年代中盤から後半にかけては『悪意』や、練馬署の捜査一係として『どちらかが彼女を殺した』『私が彼を殺した』『嘘をもうひとつだけ』といった話題作で登場。そして、06年に刊行された『赤い指』では自らの家族と向き合いながら、どこにでもある家族の闇に迫った。剣道は六段の腕前である。と紹介されていた。

舞台は、日本橋。江戸の匂いも残るこの町の一角で発見された、ひとり暮らしの40代女性の絞殺死体。「どうして、あんなにいい人が……」周囲がこう声を重ねる彼女の身に何が起きていたのか。着任したばかりの刑事・加賀恭一郎は、事件の謎を解き明かすため、未知の土地を歩き回る。
第1章の「煎餅屋の娘」から始まり第9章の「日本橋の刑事」まで、料亭、瀬戸物屋、時計屋、洋菓子屋、翻訳家、清掃屋、民芸品屋などの娘や主人、従業員や店の客など、それぞれの章の人物と新参者の刑事が織りなす人情味あふれる人間模様が物語をとても優しく包んでいる。各々の章は単独で完結しているような構成でありながら、滑らかに繋がっているのがとても不思議な感じさえした。
さらに驚くことは、この「新参者」は小説現代に掲載されたもので、第1章は2004年8月号から始まり最終章の第9章は2009年7月号まで実に完結するまで5年の歳月が流れている。
加賀恭一郎シリーズはこの「新参者」が初めてだが、他の加賀恭一郎も読んでみたくなった。また、「新参者」は、ここ数週間小説部門でトップの売れ行きを示しているという。

東野圭吾はこの「新参者」を次のように紹介している。
「この町の…思い浮かべるだけで、忽ち様々な人間が動きだした。そのうちの一人を描こうヒすると、そばにいる人々の姿も描かざるをえなくなった。まるでドミノ倒ーのように、次々とドラマが繋がっていった。同時に謎も。最後のドミノを倒した時の達成感は、作家として初めて味わうものだった」
「こんなことが出来ればと思った。でも出来るとは思わなかった」帯封の東野圭吾の言葉である。

posted by tontonton at 22:31 | TrackBack(0) | 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月16日

トンボを食べるカマキリ

カマキリ1.jpg

















お昼ころデッキに、暖かい秋の陽の中で日向ぼっこをしているカマキリがいた。再びカマキリを見たのはそれから20分くらい経ったころだろうか。今度はトンボを捕まえムシャムシャと食べている。口の動きを見ているとその音が聞こえてくるようにさえ感じた。
デジカメのマクロで15p位まで近づき撮影しても、食べることに夢中で逃げようともしない。
シャッターを数枚押しているうちに、赤とんぼがすぐそばに飛んできてその様子を見ている。なんと表現したらいい光景なのだろうか。


カマキリ2.jpg
posted by tontonton at 22:37 | TrackBack(0) | 豊栄日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月15日

金木犀がようやく満開


金木犀2.jpg

















我が家の生垣の金木犀(キンモクセイ)がようやく満開になった。本来ならとても甘い香りを一面に漂わせるはずなのだが、ここ数年香りが弱くなったように思う。何が原因なのかよく分からないが、やはり金木犀は何処にいても分かるような強い香りが似合う。
残暑が厳しかったせいか例年よりも満開も遅くなった。
金木犀1.jpg
金木犀は中国が原産の雌雄異株の常緑樹だそうで、日本にあるのはその殆どが雄株だという。だから、これだけ多くの花を付けるのに、いまだに金木犀の実を見たことがない。

posted by tontonton at 16:19 | TrackBack(0) | 高陽日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月13日

ジンジャーの花がよく似合うシイタテハ

ジンジャー3.jpg

















ジンジャーの花も満開の時期は少し過ぎたが、まだ芳香を漂わせている。今年も美しく上品な花と良い香りを楽しませてくれた。
何気なくジンジャーの花を見ていたら花びらにオレンジ色が見える。そばに寄ってよく見ると、タテハチョウの仲間のシイタテハだ。
「白いジンジャーの美しい花は、自分に一番似合っているでしょ」と言わんばかりにその美しい羽根を自慢げに開いていた。
シイタテハは羽根の裏に「C」のような模様があることから名付けられたそうだが、その模様も一度見てみたいものだ。


ジンジャー1.jpgジンジャー2.jpg
posted by tontonton at 23:21 | TrackBack(0) | 豊栄日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月11日

涙のヘッドスライディング―広島・緒方外野手の引退試合

ogata2.jpgogata3.jpg






万雷の拍手に包まれて8回の守備から出場。その裏の最後の打席でプロ通算30本目の三塁打を放つ。最後には足がもつれていた。緒方は二塁をけり、迷いなく三塁を狙って走ったが、転びそうになり、ヘッドスライディングでようやく三塁ベースに滑り込んだ。万雷の拍手喝さいがマツダスタジアムに響き渡った。目にはうっすら涙が光っていた。

今季限りでの引退を表明していた広島・緒方孝市外野手(40)が10日、マツダスタジアムでの今季最終戦(対巨人)で23年間の現役生活に別れを告げた。今後は、広島球団から2軍守備コーチ就任の打診を受けているが、試合後の会見で受諾する意向を明らかにした。

走攻守3拍子そろった選手として活躍した緒方孝市の引退試合には4万人を超すファンがマツダスタジアムに集まった。試合終了後の引退セレモニーでは、多くの選手やファンから抱えきれないほどの花束が手渡された。なかでも緒方選手の子供さんたちやかな子夫人からの花束贈呈が一番印象的だった。引退の挨拶からもその思いが伝わってきた。
「ケガの多い野球人生でありましたが、家族の支え、何よりファンの支え、チームの支えによりここまでこれた野球人生です。最後になりますが、カープのユニホームを着て23年間野球ができたことを誇りに思います。ありがとうございました」と。
たくさんの力をもらいました。大きな感激も味わいました。長い間お疲れ様でした。
ありがとう。

セレモニーも終了して感謝の気持ちをこめて選手や監督がファンで埋まるスタンドめがけて野球ボールを投げ込んでいた。ブラウン監督にとって今日の試合が広島のユニホームを着て戦う最後の試合になった。ボールを投げ終わったブラウン監督は、静かにユニホームを脱ぎ、マツダスタジアムに置いてグラウンドを後にした。これも、印象的であった。
来年、ブラウン氏は野村監督に代わって楽天で監督に就任することが内定したようだ。活躍を期待したい。


ogata4.jpgogata1.jpg
緒方孝市引退関連写真
posted by tontonton at 14:19 | TrackBack(0) | 地域情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする