2008年08月30日

志水辰夫の「花ならアザミ」を読んで

古書の黄山堂・店員の湯原直子は、電話連絡を受けた叔父の代理として、新築家屋が立ち並ぶ閑静な住宅街にある1軒の家を訪ねる。そこで、「エンゲルベルト・ケンベル著『日本誌』1727年ロンドン発行英語版初版初刷 上下巻2冊」の希覯本の見積もりをすることになっていた。ところが、相手は「預けるから持って帰ってくれ」という。
預り証を書き、持ち帰ったその本が、すぐ裏手に住んでいて顧客でもある医者の磯部唯夫の書庫から盗まれたものだと分かる。今は故人となった父親が稀代のピブリオマニアとして蒐集した1万冊あまりの蔵書の中から消えていた。盗まれた本は他にも数冊あることも分かる。気づいた二人は、車で今日訪れた住宅に向かう。しかし、そこはもぬけの殻だった。
そして後日、唯夫のもとに盗まれた本、数冊のタイトルが書かれた手紙が届き、その盗まれた本を1000万円で買い取れという。何故か、唯夫は警察には届けず、金を用意し直子とともにその本を買い取る現場に赴く。
後日、直子の犯人探しが始まる。襟にはめていたバッジを頼りに探し当てた犯人は、アルバイトをしながら役者を目指す若者だった。若い役者・浅田正史は自分がはめられたことを知り、直子の手伝いをするように申し入れるが、何故か受け入れられない。
磯部唯夫、母の綾乃、家政婦の須磨、唯夫の大学時代の友人、湯原直子らの不可解な行動に加え、二人が殺される事件が起こる。犯人は?何故殺されたのか。その謎は直子の恋人がアララット山で遭難したまま行方の知れずになっていることに起因していた。

志水辰夫の1986年の作品である。「行きずりの街」が発刊される2年前の作品だ。タイトルからハードボイルドを期待したが、全く違った。推理小説だが、志水辰夫らしい切れもなく、シミタツ節も聞かれない。素直な謎解き、素直な憎愛モノだ。
物語の中で、速達料金と葉書の代金が出てきた。速達料金は210円(現在は270円)、切手は41円(現在は50円)、20年前の料金だ。物語のプロットにもこの時代の匂いがした。
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2008年08月29日

末浦広海の「訣別の森」を読んで

「訣別の森」は、ドクターヘリという最先端のテーマと自然環境保護問題を題材にしている。元自衛官の主人公・槇村博樹は、北海道・北見の病院を拠点に、救急患者をヘリコプターで輸送するパイロット。夕刻近く出動要請を受けた機長の槇村は、整備士の倉田篤志、フライトドクターの小久保幸子、フライトナースの上島茂基と共に幌萌町の国道335号線の現場に向けて飛び立った。
現場の幌萌町までもう目と鼻の先までやってきたときに、指令室の信田から「キャンセルだ、引き返してくれ」の指令が入ってくる。確認の後、4人を乗せたヘリは帰路につく。
帰路についてまもなく知床の山中で墜落したヘリを発見する。それは新聞社の取材ヘリだった。墜落した取材ヘリを救出するため現場に緊急着陸する。怪我人は、自衛隊時代にかって愛した部下・一恵と新聞記者だった。2人は大怪我を負っていたが、素早い適切な処置で命をとりとめる。しかし、その夜、一恵は入院先の病院から姿を消した。

雄大な北海道の大地をヘリやバイクで飛び回るスケールの大きさに、知床の自然保護を巡る事件の真相が明らかになっていくスリリングな展開に引き込まれてゆく。課せられた「使命」と「魂の絆」の狭間で、男たちが咆哮する雄叫びが北海道の原野に響き渡る。主人公の飼う北海道犬の愛らしさもいい。世界遺産に指定され、観光客がどっと流れ込んでいる知床。その知床の自然を破壊してゆく人と自然の共生の難しさを絡めている。読み終わった後も知床の大自然の魅力的な情景が浮かんできた。
この「訣別の森」は第54回江戸川乱歩賞を受賞したロマンあふれるミステリー作品である。
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2008年08月26日

宮部みゆきの「理由」を読んで

「理由」は東京都荒川区の超高層マンションで起きた凄惨な「荒川の一家四人殺し」をめぐる長編。
どしゃぶりの夜中、高層マンションで若い男の死体が、上階の、ある部屋から落ちてくる、という事件から始まる。そして、転落したと思われる部屋から男女3人の惨殺体が発見される。
殺されたのは「誰」で「誰」が殺人者だったのか。そもそも事件はなぜ起こったのか。事件の前には何があり、後には何が残ったのか。いくつもの錯綜する謎を解く物語であると同時に、「ひとつの事件にいかに大勢の人びとがかかわっているか」を明らかにする物語でもある。
この本が発売された平成10年当時は、バブルがはじけ、先の見えない不況の中で生み出された社会からあぶれたの人たち。その人たちを利用しようとする社会の裏側に、その人たちがはまっていく社会の闇が横たわっていた。不動産流通問題や裁判所の競売問題における擬似家族など法律のなかでも専門的な部分を念入りに描いている。
彼らを「大勢の人びと」という集合名詞にとどめず、一人一人の輪郭をくっきりと、奥行きや陰影をきわめて丁寧に、ルポルタージュの手法を使って描きだしている。
無人称の話者が、さまざまな「関係者」に会って、いわば「事件」を基点にしたさまざまな放射線を引いてゆく。彼らの多くは、「事件」を基点に放射状に引かれた直線の先にいるが、すぐ横の放射線の先にいる別の「関係者」と面識がまったくない場合も多いなど、輻輳する「関係者」を自在に物語りに登場させる手法が新鮮であると思った。
「長い長い殺人」「火車」「理由」、全く違った形式で挑戦する宮部の技巧は評価できると思う。
異論のあるだろうが、重厚なこの長編小説は、心の闇を抉る宮部みゆきの最高傑作といってもいいだろう。「火車」で実現しなかった「直木賞」を受賞した作品である。
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2008年08月24日

宮部みゆきの「火車」と「理由」を読んで

「長い長い殺人」を読んで、引き続き宮部の作品を読みたくなり、「火車」と「理由」続けて読む。2冊とも素晴らしい内容だった。

「火車」は山本周五郎賞にも輝いた傑作ミステリー。この時、この作品は直木賞の候補にもなったそうだが、何故か受賞していない。
休職中の刑事、本間俊介は遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者、関根彰子の行方を捜すことになった。自らの意思で失踪、しかも徹底的に足取りを消してゆく彰子。なぜ彰子はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか。遠縁の男性の婚約者が関根彰子ではないことが少しずつ分かってくる。では、いったい彼女は何者なのか。謎を解く鍵は、カード社会の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。
この小説は推理小説であると同時に、見事な経済小説でもある。クレジットという便利なものが日常の暮らしの中に入り込んだ時、どんな変化が起こったか、作中で弁護士にその浸透ぶりを語らせる部分も面白い。
クレジットカードには、銀行系、信販系、流通系と、いろいろある。それぞれが「幸せ」を約束したり、あるいは、幸せらしきものを夢見させる。しかし、夢の内実はどうなのか。
ヒロインの、かつて同僚だった水商売の女性に、次のように語らせている。
「あの娘がクレジット三昧の暮らしをしたのはね、そうしていると、錯覚のなかに浸かっていられたからよ」

クレジットのない時代は、夢を見てるだけで終わっていた。さもなくば、なんとしても夢をかなえるぞと頑張った。それで実際に出世したり、成功した人もいた。方法はどうであれ、自力で夢をかなえるか、諦めるしかなかった。そこに、「見境なく気軽に貸してくれるクレジットやサラ金」が出てきて、社会の何かが大きく狂い始めた。その地下の流れともいうべきものを描いているこの作品は、酩酊するような読み応えがある。
「理由」はもっと凄かった。後日に…。
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2008年08月22日

「万次郎かぼちゃ」のお婿さん


万次郎のお婿さん.jpg昨夜、白木農園のMさんから、「万次郎かぼちゃの雄苗に結実したかぼちゃなので、万次郎かぼちゃほど、美味しくないかもしれませんが・・・」というひと言を添えてかぼちゃを頂いた。

Mさんは昨年、雑誌「家の光」でこの「万次郎かぼちゃ」の情報を得て、今年初めて万次郎かぼちゃの栽培に挑戦していた。種苗店から栽培の方法などの指導を受けた上で、苗を注文し期待に胸を膨らませながら栽培を開始する。
万次郎かぼちゃは種子では購入できず、苗を注文しなければならないシステムになっている。また、このかぼちゃは、雌雄2本の苗が必要で、雌苗だけでは実を結ばず、必ず雄苗も必要なのである。しかも、野菜苗にしては2000円ととても高価である。

白木農園の作業のとき、Mさんがこの万次郎かぼちゃの栽培にチャレンジしたとの情報を耳にした。その時、1株から100個もの実が収穫でき、ラグビーボールの形をしたとても美味しいかぼちゃであるという話も聞き、ひとつ譲ってくださいとお願いしておいた。

ところが、ある日異変に気づいたそうだ。6〜7個の小さな実をつけていたものが2個だけが結実し、あとの5個は黒くしぼみ枯れている。種苗店に問い合わせると受粉が出来ていないからだとの返事。朝の8時頃の涼しい内に人工授粉をするよう指導を受け、早速、翌日畑に行ってみると雄花の樹にもう花がなくなっていた。猛暑が続き雨が降らない為に雄花の樹が弱り花も咲かなくなってしまったのである。
それ以来、Mさんの奮闘が始まった。毎夕雄花・雌花の樹にバケツで水遣りを続けている。いまや雄花の樹が少し元気を取り戻したと喜び、我が子のように毎日世話をしているという。

定植するとき、Mさんは雄苗は結実しないと思っていたようだが、昨日実がなっているのを発見した。驚いて種苗会社に問い合わせたところ、雄苗も別の品種のかぼちゃで、味も形も違うが実を結ぶと教えられたそうだ。
そのひとつの貴重なかぼちゃを昨夜頂き、喜んで持ち帰った。

Mさんの好意をブログに書こうと思って、ふと気がついてみると、このかぼちゃの品種名を聞いていないことに気づいた。日頃、私たちが食すかぼちゃの形とかなり違っている。いろいろ考えて、万次郎かぼちゃの受粉に使う雄苗に結実したかぼちゃだから、「万次郎かぼちゃのお婿さん」と呼ぶことに決めた。

万次郎かぼちゃの名前は、もちろん幕末に活躍したジョン万次郎に由来している。また万次郎かぼちゃには多くの伝説もある。1株から100個もの実を収穫した(本当に100個もの実をつけるのだろうか、通常のかぼちゃは1〜3個である)。人間の都合でつるを曲げたが最後、万次郎はへそを曲げ、そのつるには実を着けなくなる。また、つるに絡まれた庭木の桃の樹が枯れたなど、など、など。それだけ生命力が豊かだということなのか。

毎夕水遣りに精出すMさんの姿を思い浮かべながら、雄花の樹が花を咲かせ、万次郎かぼちゃがたくさんの実をつけることを祈っている。ぜひとも、この万次郎かぼちゃが食べたくなってきた。
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2008年08月21日

宮部みゆきの「長い長い殺人」を読んで

事件に関係する人たちの財布が次々と登場して、自分の主人の物語を語っていくのであるが、ひとつひとつのエピソードが断片的なので、かなり読みすすめないと、全体像をつかむことができない。凡手が書けば先が見えずにイライラさせられるところだが、逆に、思わぬ角度から少しずつ明かされていく事件の真相が気になって、読み始めたらやめられなくなってしまうのだから驚く。しかも、財布が見聞きしたことしか描写できない、という極端な制約を受けているはずなのに、それを読者に感じさせないストーリー運びは、さすがだと思う。
金は天下のまわりもの。財布の中で現金は、きれいな金も汚い金も、皆同じ顔をして収まっている。
「刑事の財布」「強請屋の財布」「少年の財布」「探偵の財布」「目撃者の財布」「死者の財布」「旧友の財布」「証人の財布」「部下の財布」「犯人の財布」、10個の財布が物語る持ち主の行動、現金の動きが、意表をついて事件をあぶりだしてゆく。

その10個の財布は持ち主にあわせて、個性が書き分けられている。一人称ひとつとってみても、私、僕、あたし、俺、わたし、と極めて多彩であるが、実は、もっと面白いのは、それぞれの財布が持ち主を呼ぶ「あるじ、ミチコさん、マー坊、探偵、マコちゃん、優ちゃん、等等、」などの呼び方だ。
本来は無機物である財布を使うことで、間接的に持ち主のキャラクターを浮き彫りにして、断片的なエピソードを積み重ねることで、間接的に全体のストーリーを構成している。
「長い長い殺人」は小説宝石に連載されたものを単行本化してさらに文庫化したものだ。「財布が事件を語る」という突飛な設定で、短編小説を連ねてひとつの長編を創りあげるという連載長編の仕掛けは苦労も大変なことだと思う。
この作品は映画化され、6月初旬に劇場公開されたそうだ。DVDが発売されたらぜひ見てみよう。
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2008年08月18日

芥川賞の選考に思う

第139回芥川賞受賞作・楊逸(ヤンイー)さんの「時が滲(にじ)む朝」を読んだ。
今回の芥川賞の受賞者が日本語を母国語としない外国人作家の受賞は確かに画期的なことだと思ったが、しかし、本当にこの作品が受賞作としてふさわしいのか疑問が残る。
中国における自由化合理化希求の学生運動に参加し、天安門で挫折を強いられる学生たちの群像を描いている物語である。彼らの人生を左右する政治の不条理さ無慈悲さについて書いているのだが、根源的な主題についての書きこみが乏しく感じる。また、表現の上でも稚拙さが見え、日本語の美しさや深さもあまり理解されていないように思える。揶揄などの表現も前時代的だ。
主人公・浩遠の苦悩を描こうとしているが、内側に深まっていっていない。文化大革命以降の中国国民の生活や天安門事件など中国の民主化運動という歴史的背景の長い時間軸を描いているが、これだけの内容を書くにはあまりにも短く、それゆえに風俗的になってしまっている。この内容を小説にするなら長編がふさわしいと思った。

選考委員は、毎回同じ池澤夏樹、小川洋子、川上弘美、黒井千次、高樹のぶ子、宮本輝、村上龍、山田詠美、石原慎太郎(欠席=書面回答)の9氏であるが、この作品を受賞作に決めた選考委員の評価基準に問題があるような気がする。
作者がどれほど意欲や決意を持って書き上げた作品でも、タイミングや雰囲気、言葉にできない様々な要因があって選者が支持してくれないこともあるだろう。また、その逆もある。
乱暴な言い方かもしれないが、今回の受賞には、そのタイミングや日本や中国の国内情勢という雰囲気が幸いしているのかもしれないとすら感じた。
格差の拡大など社会の傷が深くなり、閉塞された社会の中で不安に満ちている日本の現状。40年前、わが国でも必死で社会や国について考え議論し、闘い挫折し変節した青春の歴史があった。学生の純粋さや情熱を書こうとしていることや小説としてのスケールに選考委員の評価があったとしたならそれは違う。文学は作品自体に文学的価値がなければならない。
だが、日本語を母国語としない外国人作家の登場は嬉しい。応援したいと思う。

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2008年08月16日

たったひとつの桃の実


momo2008.8.14-1.jpgお盆は豊栄の家で過ごした。広島市内とは違ってずいぶん涼しい。明け方は少し寒いとすら感ずるほどである。
猛暑が続いて草刈ができなかったが、13日は曇り空でそれほど暑くなく草刈をした。しかし、約700uの草刈を終えるとさすがに汗ビッショリになる。長い間気になっていたがようやく安心だ。今年もこれで3回目の草刈だが、この作業をいつまで続けられるか心配でもある。
草刈をしていると下ばかり見ているので気がつかなかったが、妻に言われて頭上を見てビックリ。なんと桃の実がなっていた。それもたったひとつだけ。
この桃の木はこの土地を購入したとき庭の中心に1本だけあった。その時もかなり大きな木で樹齢も10年は超えているだろうと思えた。この地を初めて訪れたとき、この桃の木が満開で私たちを迎えてくれた。その美しさに魅了され、すぐさま妻は購入を決めた。土地を購入して家を建てるまでに5年、建ててから10年が過ぎた。
計算ではこの桃の木は樹齢25年以上の老木である。5年前の台風で根こそぎ倒された。枝を払い数人で起こしあげ、支柱で支えた。その後も2回同様に台風で倒された。その度に起こして支柱で支えてきた。支柱に支えられようやく立っているが、根元の幹の半分以上を3つのサルノコシカケに占領されている。
そんな状態なので春に少しだけ花はつけるものの実がなることはもう何年も見たことがない。それが、今年は実をつけ、色付いているのである。感動した。愛おしく思った。これが最後に見せる勇姿なってしまわなければ良いが・・・。

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2008年08月12日

「うちわ作品展」開催


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昨日の朝9時頃から白木農園の数名の仲間とともに倉掛公民館で「うちわ」の飾り付けを行った。この様な展示の飾り付けを行うのは何十年ぶりのことだろう。雑談を交わしながら展示の作業を楽しんだ。

この「うちわ作品展」は、白木農園・パソコン同好会の講習の中で、オリジナルのうちわを制作しようということに始まった。せっかく作ったのだから、発表する場を設けようと、パソコンの講習会場である倉掛公民館にお願いし、「ふれあいロビー展」を開催することで決定した。開催期間も8月11日から22日までの12日間と決められた。

作成のための講習が完了し、各自オリジナルのうちわの完成を目指すことになる。約2週間の制作期間があった。そして、先日7日のパソコン同好会の開催日に、展示するうちわを持参してもらう。講習を始める前に、作成に当たってうちわのデザインの趣旨などについて苦労話なども交えて発表してもらった。デザイン時の苦労、家族とのやり取り、印刷の失敗談、うちわに貼り付けることの難しさなど、楽しくユーモラスな会話と身振り手振りで盛り上がった。
自分で撮影した花や風景、人物などの写真が多く使われていたが、なかでもお孫さんの写真が多かったのは熟年世代の特長であろう。なかには奥さんにシンプルな日本画を描かせ、それをデザインに取り込むなど夫婦合作の気合の入った作品もあった。
作品はそれぞれの人柄を反映し、楽しく、優しく、爽やかなデザインばかりである。見ていて和やかな気持ちになれるのもこの年代ならではのものだと感じた。

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2008年08月10日

そばの播種の準備


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今日は炎天下の中、白木農園でそばの播種の準備作業があった。真夏の時期の作業開始時間は8時からと決めてあり、今日も8時から作業を開始した。参加者は20名だった。
そばを播種するこの圃場は、20名あまりの会員が3月中旬からジャガイモを栽培したところである。7月の上旬にはすべて収穫されたが、その後畑はそのままの状態だった。12アールの圃場は草で埋め尽くされ、部分的には人の腰の高さくらいまで伸びている草もある。腰まで伸びている草は、耕耘機に巻きつかないようにするためには2段刈り3段刈りをしなくてはならない。その分時間がかかる。だが、今日は「刈払い機を多く動員したい」旨の連絡が入っていて、9人が刈払い機を持って参加していたので、この圃場の草刈は思ったより早く終わった。

その他の者は、大豆の除草と土寄せ、サトイモの除草の作業をする。大豆の除草と土寄せの作業をするため大豆を播種した畑に入ってビックリ。大豆の発芽率が極端に悪いのだ。7月19日に播種し、その日の午後に猛烈な雷雨があったが、それ以降は全くといっていいほど雨が降らず、連日の猛暑日が続いていた。そのため発芽率は50%以下で、雑草の中の所どころに大豆が見えるという程度である。しかも、その発芽率の低い大豆の若芽を鹿が食べている。作業しながら悲しい気分になったのは私だけではあるまい。今年の大豆の収穫は期待できそうにもない。

10時を過ぎる頃には気温も30度を超えてきた。あまりの暑さに熱中症を心配し、11時前には作業を終了することにした。
休憩のとき、Iさんが差し入れてくれたスイカがとても甘くて美味しかった。

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