2007年11月30日

笑う茶碗

昨日のブログに「路上観察の楽しさ」を書きましたが、「路上観察学会」のメンバーの一人である南伸坊さんの「笑う茶碗」を読みました。南伸坊さんはイラストレーターで、雑誌「ガロ」の編集長を経て、現在はイラストやエッセイで活躍しています。
「笑う茶碗」のタイトルの茶碗は夫婦茶碗のことです。つまり、この本は、南伸坊さんと奥さんの文子さんの夫婦生活を赤裸々に綴ったものです。

南伸坊さんは「あとがき」で次のように書いています。
『もっとも、内容はきわめてなまぬるいものである。ここから教訓を汲みとることは不可能だし、かといって反面教師となるほどのこともない。実用的の役には立たないし、かといって、文学的な香りは皆目ない。まあ、ハシにもボーにもかからないような、ドクにもクスリにもならないような、そんじょそこらの夫婦の話である。』

私も南さんの書いているとおりだと思いました。まさに、ドクにもクスリにもならないような夫婦の話なのです。しかし、この本は、夫婦の物語でありながら浮気がありません。暴力、病気、貧乏もなく、かといって、のろけているわけでもありません。南さんと奥さんの二人は、夫婦揃って、ただあははと笑っているのです。そんな日々の暮しが描かれています。
夜の散歩、ちょっとしたおしゃべり、ホタルを見るための旅、二人の間には一度も「愛している」なんて台詞は出てきませんが、しかし、一緒に笑いあっている二人の生活は、どう考えても愛に満ちています。ユーモアに富み、冗談が好きな二人が、おかしいことを真剣にしているしているのが面白いのです。
エッセイというより、南さんの作文日記とでも表現すれば良いのでしょうか。「笑う茶碗」は「笑ってしまう茶碗」です。
ある人が、「わたしは夫婦喧嘩をしそうになったら、この本を読む」と言ってたそうです。だとすれば、「ドクにもクスリにもならない」のではなく、じゅうぶん実生活で役に立つのでは…。

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2007年11月29日

路上観察の楽しさ


2007.11.29-1.jpg最近、時間を見つけては運動不足解消のため、できるだけ歩くようにしています。歩く場所はその日によって違いますが、自宅の近くの運動公園や団地の周りを歩きます。歩くときはデジカメを持ってゆきます。面白いなと思ったらシャッターを押します。
以前、赤瀬川 原平さんの「老人力」を読んだとき、赤瀬川 原平さんや南伸坊さん、松田哲夫さんらとともに、「トマソン・路上観察」を始めたことを知りました。それは、不動産に付着した意図しない「芸術的な」無用の長物を「超芸術トマソン」と名付け、『写真時代』の連載を通じて普及させた活動です。トマソンは無用の長物のことで、そのトマソンやマンホールの蓋、看板などを発見し考察します。その後「路上観察学会」を創設し、1987年、『東京路上探険記』で講談社エッセイ賞を受賞したそうです。
トマソンの名は、かつて読売ジャイアンツに在籍していたゲーリー・トマソン選手に由来するそうです。トマソン選手は豪快にバットを振り回すものの、ボールに当てることはほとんどできなかったそうで、彼は、役に立たないにもかかわらずジャイアンツに動態保存されていた、生きた超芸術だったというのです。ゲーリー・トマソン選手にとっては失礼な話ですが、トマソンという名前が残ったということはある意味で良かったのかも。

私たちが日頃何気なく見過ごしているものが、カメラにおさめて見ると実に楽しく面白い映像になります。そういう目で見ながらウオーキングをしていると、楽しく、嬉しいものに出会うことができます。
今日のウオーキングでの収穫は、運動公園に向かう途中の歩道の「落葉広葉樹の絨毯」、日頃歩いている運動公園で今まで気づかなかった危険を告知する「看板」、運動公園の野球のバックネットに描かれた「カエデの葉のアート」などです。
今日はどんな場面に出会えるのかな、などと思っていると歩くのが楽しくなってきます。ご自分の周りで楽しい光景や嬉しいものに出会ったらぜひ教えてください。

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2007年11月27日

ザリガニの赤ちゃんが誕生


zarigani3.jpg今日、兵庫に住む娘から写真ファイルが添付されたメールが入りました。孫娘が飼っているザリガニの赤ちゃんが生まれ、元気に育っている写真です。写真を見ると、ザリガニの赤ちゃんは小さくてもちゃんとザリガニの形をしています。体の色はまだ赤くはなく透明ですが、とっても可愛いですね。

自然の中のザリガニは普通、春から夏にかけてたまごを生み、冬になるまでに赤ちゃんザリガニは大きくなるのだそうですが、家の中で育てていると、晩い秋や冬にたまごを生むことがあるそうです。ザリガニは交尾してから2週間〜2ヶ月くらいでメスは足のつけねの穴からたまごを生み、そのたまごはメスのおなかの足の毛についています。 ただ、水が冷たすぎると、えさを食べられず、成長もできないとWebで見ました。水を深くしてエアレーションし、ヒーターを入れてやれば問題なく元気に成長するでしょう。そうすると、夏と同じように元気に飛びまわり、餌を食べるようになり、また、成長も早いそうです。
孫娘はとても喜んで、毎日飽きもせず長い時間観察しているようです。元気に育ってくれるよう願います。

zarigani2.jpg母親のおなかの足についている赤ちゃん
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2007年11月26日

熟年大学祭


daigakusai1.jpg来賓の挨拶を述べる市長

昨日の日曜日、東広島市総合福祉センターで第23回東広島熟年大学祭が開催され参加しました。9時30分からオープニングセレモニーが開催されました。学長や友の会会長の挨拶があり、その後、東広島市長や市議会議長の来賓祝辞が述べられました。引き続いて、大学祭募集テーマの発表と表彰式が行われました。最優秀賞に決まったのは…。
「年重ね 二度目の青春 塾大生」
このオープニングセレモニーでは、友の会会長の挨拶の最後のパフォーマンスが笑いを取りました。熟年大学生ですからみなさん60歳以上です。大学祭募集テーマで最優秀賞に輝いたテーマの中の「二度目の青春」について触れ、「年齢なんて、そんなの関係ない〜、関係ない〜」とお笑いタレントの物真似で派手なパフォーマンスを演じました。参加者から盛大な拍手があったことはいうまでもありません。
また、司会者があがっていたのでしょう、東広島市長や市議会議長が出席しているのに、来賓祝辞を省いて他の来賓を紹介する一幕もありました。東広島市長や市議会議長が呆気にとられている表情に参加者から笑いがもれていました。
私たち講師の紹介があり、テープカットでセレモニーは終了しました。

この日は、芸能発表や学習発表のプログラムが、大ホールで終日行われ、また、水彩画、水墨画、書道、陶芸、手芸などの作品展示もありました。私が担当するパソコン講座も、講習生の「年賀はがきデザイン」が展示されていました。
学習発表や芸能発表を見る時間がなかったのが残念でしたが、展示作品はいずれも秀作ばかりで、講習生の熱中している様子が感じとれました。作品を通じて多くの熟年たちがいきいきと活動している姿が伝わってきます。

daigakusai2.jpg
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2007年11月24日

ダイヤモンドリリーが咲き始めました


daiamondo2.jpg木々が紅葉して葉を落とす時期になり、周りが色を失い始めたころ清楚で上品なダイヤモンドリリーが咲き始めました。
リリーという名前から、ユリ科だと思われがちですが、ダイヤモンドリリーはヒガンバナ科 ネリネ属の花です。つまり、彼岸花(曼珠沙華<まんじゅしゃげ>)の仲間です。そういえば花の形が彼岸花によく似ています。花の色は、白、ピンク(薄い〜濃い)、赤など多種ですが、我が家のものは、薄いピンク色です。
「ダイヤモンド」の名にふさわしく、今日のような天気の良い日太陽の光を浴びると花弁の細胞がキラキラと輝きます。花びらが光を反射するので「ダイヤモンドリリー」というようです。写真ではわかりづらいですが、花弁をよく見ると少しラメが入っているようにも見え、蝶の羽根にも似ています。毎年この時期になると清楚な花を長い間楽しませてくれます。
冬に咲く花はあまり多くありませんが、我が家では寒菊が咲き始め、サザンカの蕾もほころび始めました。冬到来なのですね。

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2007年11月22日

穀物高騰、ファンドマネーが食を操る

先日、NHKスペシャル「ファンドマネーが食を操る」を見ました。この番組を見て穀物の世界の変貌ぶりに驚きました。

日本の国土がすっぽり収まるほどの広大なアメリカ穀倉地帯が、いま大きく変わっています。石油の代替燃料として注目されるバイオ・エタノールの工場が続々と建設され、周辺のトウモロコシを買い集めているのです。中国、インドなどの消費拡大にエタノール需要が加わり、さらに穀物相場に大量のファンドマネーが流入、トウモロコシの価格はわずか2年余りで2倍に上昇しました。

この秋、穀物の相場は、以前の常識では考えられない動きをしました。これまで、豊作だと価格が下がり、不作だと上がる。需給のバランスで決まっていた穀物価格が、空前の大豊作だと発表されたその日に、トウモロコシの価格が上がり始めたのです。これまでとは全く違った論理で動きだしました。
コモディティ(商品)ファンドが、世界中から資金を集め穀物を買い漁っているのです。9月12日アメリカ政府が発表した「収穫予想値」は、「空前の大豊作」でした。誰もが下がると期待した価格は、5分ともたず値上がりに転じました。「なりゆき買い」と呼ばれるファンドの買い注文が集中したからです。

穀物が食料だけでなく、エネルギーの原料になることに目をつけ、サブプライムローン問題で株価が低迷し、株で利益を見込めなくなったファンドは、商品市場に大量の資金をつぎ込み始めたのです。原油の価格高騰もトウモロコシなど穀物の価格高騰も価格が需給のバランスで決まらなくなりました。ファンドマネーが操り始めたのです。つまり、株の取引と同じようにファンドが「食」や「エネルギー」の価格を操っているのです。

2005年アメリカ政府は「米包括エネルギー法成立」を発表、ブッシュ大統領もエタノールを6年間で2倍に増やし、中東からの石油の依存から脱却するとの政策を打ち出しました。エタノール燃料が通常のガソリンよりも安くなる優遇措置をとるなど、トウモロコシで車が走れるような方向に向けさせたのです。

いま、アメリカ全土で136のエタノール工場があるそうです。これらの工場の殆どはファンドが資金を出し、建設を促しています。現在アメリカで生産されるトウモロコシの4分の1がエタノールの原料になっています。エタノール工場が高い価格で次々とトウモロコシを買い漁っているのです。これからもまだまだ建設されることは間違いなく、このまま進めば、食料や飼料になるトウモロコシはなくなってしまうと思います。いまアメリカでは、遺伝子組み換えで収量が多くエタノールの製造に適した新しい種の開発が進んでいて、農家も大豆の栽培から、より利益の大きいトウモロコシに作付けを転換しています。これにつられて、大豆価格も急上昇しています。
つまり、この事は日本に入ってくるトウモロコシや大豆が無くなるということにほかなりません。その影響が少しずつ日本の消費者にも影響が広がっています。アメリカの余っている穀物を日本へ、そういう時代は終わったのです。

テレビの画面では、パソコンの前でトウモロコシの価格を見つめる農家の姿がありました。パソコンの画面を見ながら、一番高いところに売る、アメリカの農家がエタノール・ビジネスに完全に巻き込まれています。いま農家は自分たちが何をどう売るかの影響力を発揮できる時代になった、農家の力で価格を上げられる新しい時代がやってきたと思っているようです。
しかし、彼ら農家が考えているほど農業は甘くないと思います。自然を相手にする農業は、同じ作物を作り続ければその代償がどれほど大きいか農家自身が一番良く知っているはずです。ファンドが自身の利益のために、農地を取り争っているという現状に早く気づくべきです。経済論理だけで農家が動いていることに危惧しています。
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2007年11月21日

志水辰夫さんの「青に候」を読んで

志水辰夫さんの最新作「青に候」を読みました。志水辰夫さんは1981年「飢えて狼」で作家デビューをして以来、巧みなプロットと濃密な文体で猛烈なファンを獲得してきました。ハードボイルド探偵小説、ダメ男の恋愛小説といったさまざまな側面を持つ長編を書いてきましたが、今回は齢70に近くになって初の「時代小説」へのチャレンジです。

主人公の神山佐平は他の作品で登場してくる主人公《果てもなくさまよう男たち》にその姿が重なります。とにかく生き様がヘタ、他人との接し方に不器用な青年です。特に愛しく思う女性に対する接し方をみると歯がゆさを通り過ぎ、いらだち感すら覚えるほどです。そして愚直とも言える正義感、他人への気遣い、無意味な負い目、そんな多くの「こだわり」を抱えた多感な青年です。
だが、ひとたび不正への怒りを覚えたり、愛するひとが窮地に陥ったりすると我が身の不利、危険を顧みることなく敢然と突き進みます。相手がどんなに強くとも、事態がどんなに深刻であろうと死をもいとわず立ち向かう様は正にハードボイルドの主人公といえるかもしれません。

時は幕末、黒船が来航し江戸幕府も動揺し始めた時代。播州の小藩にあるきっかけで仕官できた佐平は、同じ時期に仕官した縫之助とともに殿の交代によりあっさりと首にされてしまいます。先に首切られた縫之助の後、佐平もまた脱藩するようなかたちで江戸へ戻ってきました。佐平はやむをえない理由で小藩の武士を斬り殺していました。
縫之助が江戸に戻ったものの行方不明となっており、その理由がどうも殿の死をめぐる陰謀らしきものをネタにこの小藩の江戸屋敷を脅していたせいらしいことが分かってきます。執拗に藩の手のものに追われながら事の真相を探るサスペンス仕立てでストーリーは展開してゆきます。

神山佐平の一途な生き方に照準を合わせて書いてはいますが、播州の山代家の目付け役・六郎太の存在も重要な役割をはたしています。この六郎太の体制を影で支える苦しみ、現実から逃避しない、また、出来ない境遇で苦悩しながらも己の役目を全うする姿が時代を超えて共感できます。
その六郎太が佐平向かってに振り絞るように発する会話。
「藩主なんてものはな。頭にかぶる菅笠とおなじなんだ。家臣が雨露をしのぐためにある。頭に合わなかったり、使い勝手が悪かったりしたら、ほかのやつと取り替えればよいものなんだ。君為ること難く、臣為ること易からず。民を尊しと為し、君を軽しと為す。大事なのは藩主じゃない。家臣であり、領民なんだ。山代藩内には小者や端女(はしため)まで入れると1400人の家臣がいて、それを支えている3万人の領民がいる。その暮らし向きの成り立っていることがいつでも第一なんだ。ほかのことはすべて二の次でしかない。」
また、山城家留守居・三浦重里が自分に言い聞かせるように佐平に放つ言葉。
「(前略)世の中にはさまざまな人間がいて、さまざまな考えがあるということすら、最近では信じられなくなりかけている。そういうことが、だんだん許されない世の中になりつつあるような気がするのだ。右か左か、上か下か、ふたつにひとつしか選べなくなっている。こんな世の中が、果たしてむかしより良くなっていると言えるだろうか。一方で肝心なことは何も議論されていない。(中略)そういうことがわかっていながら、いまのわれわれにできることは何もない。その時々の、降りかかってくる火の粉を払いながら、右か左かを選んでいくだけなのだ。」

神山佐平に向かい叫ぶ六郎太の言葉や静かに放つ三浦重里の言葉に作者の万感の思いが込められている気がします。この言葉は、時空を超えて同じような閉塞感に覆われた現代を生き抜く私たちの姿に重なってきます。経済原理主義ばかりが優先され、病んでいるいまの日本に向かって、志水辰夫さんの想いを登場人物の言葉を借りて発しているように思えます。
みずみずしい感性で謳い上げた問題作「青に候」。題名の通り時代を変えていくのは青き青年です。
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2007年11月17日

無残な黒大豆の収穫


kuromame2007.11.17.jpg今日は農業塾OB会・白木農園の黒大豆の収穫でした。午前9時から19名の参加者で作業が始まりました。
昨年は豊作で会員皆さんにかなりの量が年末に分配されたように記憶しています。各家庭では正月料理に欠かせない黒豆が食卓に上がった事でしょう。とても柔らかく美味しい黒豆でした。それを期待して今年も黒大豆の栽培をしましたが、今年は獣害(鹿や猪)に遭い、会員に分配できるだけの収穫量ではありません。脱穀機も不要なほどの量です。毎年1月に「かき餅打ち」をする際、そのかき餅に入れる程度しかないように思います。
夏の暑い時期に汗びっしょりになりながら除草や土寄せをしたのに、柔らかい枝豆の時期にそのほとんどを鹿や猪に食べられてしまいました。残念です。
刈り取った黒大豆はJA白木支店の施設を拝借して数週間乾燥します。乾燥のため広げた黒大豆を見て、その少なさにガッカリしました。来年の大豆栽培は、獣害からどのように守るか検討しなくてはならないと思いました。

大豆は植物性タンパク質として、日本人にはとても好まれ、味噌や醤油、納豆や豆腐など大豆は日本の食文化に深くとけこんでいます。
大豆には多くの栄養素が含まれていますが、特に黒大豆は、目に良いとされるアントシアニンが多く含まれ、また、老化防止や成人病(生活習慣病)の予防・改善が期待できるものとして食されてきました。
黒大豆は、漢方書によれば、「腎」の機能を高める働きがある、と記されています。「腎」とは現在われられが言う「腎臓」ばかりでなく、その他の生体調整ホルモンを分泌する器官もさしているようです。
多くの野菜や果物など、とにかく色の濃いものには、より多くのアントシアニンが含まれているため積極的に摂取したいですね。

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2007年11月16日

国家百年の計―教育について思う

先日、小宮山宏さんの「『課題先進国』日本」を読んだ読後感を書きました。耕平さんから頂いたコメントの中に「人間教育の後退の課題」について触れられていました。その教育の問題について書いて見たいと思います。

アメリカ経済のある局面で、副作用を伴いつつも成立している経済「モデル」を、日本の教育のモデルと考えることなどは大変危険な発想です。「アメリカでは大学も『競争』環境にあって、……だから日本でも……」といった主張がなされて、議論を混乱させています。「日本」のシステムのどこにどのように「競争」を取り入れれば、全体がうまく回りだすのか、そこを見極めるのが肝要です。官邸に教育再生会議が設置されていますが、この委員会がとりまとめるべきは、具体的事例を判断することではなく、教育を良くしていくための仕組みを提起することだと考えます。

かって、受験競争を緩和するためと称して、都立高校に学校群制度を導入して失敗しました。導入後、予想通りに、日比谷、戸山、新宿、両国、小石川、など、有力都立高校があっという間に衰退し、私立が取って代わり、その結果受験競争は中学へと若年化してゆきました。結局、受験競争を激化させただけでした。
しかも、一流大学に入るには、月謝の高い塾に小さいときから通い、金のかかる私立中・高校に入ることが有利に働くということになり、金持ちの子弟が有利になるといった不平等を生み出しました。東京の取り組みは全国に波及し、多くの地域で公立校が地盤沈下を招きました。明治維新以来、たとえ貧しい家庭の子女であっても、本人が優秀で努力をするならば、よい大学に入れるという日本の平等社会の基盤は破壊されつつあります。
この大失政の原因は、莫大な数に上る部分全体像の中から、たった1枚の像で政策を実施したことによると考えます。「平均化させればみんな良くなる」という政策者の意図に反して、「自分だけは良い大学に入りたい」という像で社会は反応したのです。莫大な数の中からその1枚を示して、これで教育再生ができるといったような提案をすること自体が間違っていると思います。

いじめ問題も深刻な問題ですが、これは、学校に対応力が不足しているだろうということだと思います。22歳で教員になって、いじめ問題に出会うとどうしてよいかわからないのは当たり前の事です。そこで、教頭先生に相談するでしょう。教頭先生も、22歳で教員になった先生の中から選ばれていますし、校長もそうであると考えられます。教員組織全体で、経験の多様性が不足しているのです。たとえば、ここに、企業や外国やNPOの経験者がいれば、思いつく対応の幅が格段に広がるでしょうし、時として、その程度のいじめやグレなどよくある話だ、たいしたことはないという判断ができるような、ゆったりとした対応も取れるはずです。
私たちの子どもの頃は、戦後のどさくさで、きちんとした経歴の人ばかりではなかったと思います。いろいろの経験を持った教員がいて、それが多様性を生んでいました。社会が安定し、教員の資格試験もきちんとしてきたために、かえって多様性が失われてしまったのです。
親の問題もそうです。いまの親の中には、子供が顔に擦り傷でも負ってきたりすると、怒鳴り込む人がいるそうですが、そんなものは3日もすれば治るといって追い返せばよいのに、組織の経験が不足していると、それすらも出来ないのでしょう。
この問題は、違う社会の人が教育界に入ってゆくことにより、教員の多様性を高める事が根本的な解決に繋がるものと考えます。それには、教員免許の取得制度を変えて、大学の教員養成課程に入らなくても教員免許が取れるシステムを考えれば良いと思います。いりいろ勉強しているうちに、大学3年になって自分の好きな学科が見つかり、それを教えるために教員になろうと思えば、そこからでも少しの単位を取ることで教員の免許が取れるようにすれば良いのです。18歳の時に自分は先生になろうとは思わないのではないでしょうか。

教育力というのは社会全体の力です。いま、教育の力が落ちているとすれば、その責任は社会の構成員全体が負うべきものです。社会が悪くなっていて、学校だけが良くなるはずがありません。多くの人が参加意識を持つことだと思います。
親は、学校に文句をいうだけでなく、自分も責任を持つ。また、地域の人も同様です。特に、企業はもっと責任を果たすべきでしょう。社員に教員免許を取らせ、学校に教員を派遣して貢献するなどです。そのためにも先ほど述べた教員免許の取得方法の多様化が必要になってきます。
教育は「国家百年の計」。すべての人が責任を持って、「社会総がかり」で取り組むべき課題だと考えます。

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2007年11月15日

知らない草花の名前を教えてくれる「はなせんせ」

秋の花が咲くこの時期、見知らぬ花の名前を知りたいと思う人は多いと思います。最近、デジタルカメラや携帯電話で撮影した画像を送ると、草花の名前を教えてくれるサイトがあり、人気を集めています。
草花の画像をメールで送ると名前を教えてくれるパソコンのサイト「はなせんせ」です。会員が互いに名前を教え合う仕組みです。
栽培植物分類名称研究所が2年前、携帯電話向けに「はなせんせ」を設けました。さらに、大きな画面で見る方が花の名前を特定しやすいため、内容を拡充してパソコン版を今年5月開設したのだそうです。同研究所の目的は「草花の名前を教え合うことを通じて、花を愛する人同士のコミニーケーションの輪を広げたい」とのこと。
名前を教えてもらうには、メールアドレスを登録して会員になることが条件です。サイト利用料金はかかりません。携帯電話版とパソコン版を合わせて会員は約1万人だそうで、パソコン版はシニア層の利用も多いといいます。
撮影した場所(都道府県、街中か山中かなど)や時期が分かると特定しやすいそうです。花のアップの画像に加え、葉の形、周囲の状況が分かる構図もあるとより一層分かりやすいでしょうね。
美しい花や可愛いらしい花を見つけたら、デジカメなどの収めて、「はなせんせ」のサイトで調べるのも楽しいと思います。

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