2007年09月29日

報道のあり方に思う

9月27日、ミャンマー軍事政権による反政府デモ弾圧を取材中に治安部隊の銃撃を受け死亡したフリージャーナリスト・長井健司さんの事件は、テレビ、新聞、ラジオなどで連日報道されています。
響く銃声、発砲に逃げまどう人々。フリージャーナリストの長井健司さんが銃撃を受けた瞬間の映像が、昨日のテレビ・ニュースなどでたびたび放送されていました。治安部隊の兵士が至近距離から長井健司さんに発砲して長井さんが倒れる瞬間の映像です。
人が銃撃される瞬間を誰もが視聴できるテレビなどで報道してもいいものでしょうか。また、今日の全国紙の1面には、長井健司さんが銃撃されて倒れている写真が1面に大きく掲載されています。
ミャンマー軍事政権のデモ弾圧の事実を報道するのは大切な事ですが、人の死を映像や写真で赤裸々に報道するのには問題があると考えます。報道各社は報道の姿勢について、もう一度考え直して欲しいものだと思います。

東京のニュースプロダクション・APF通信社によりますと、死亡した長井さんは、別の取材でタイのバンコクに行っていましたが、「ミャンマーがこういう状態なので取材をするべきではないか」と言い、25日、急きょミャンマーに入ったということです。
「そこに伝えなければいけないことがあれば、果敢に現場に飛び込む。長井健司さんは、これまでもアフガニスタンや、パレスチナ取材でもその精神で取材活動してきた。」とAPF通信社は語っています。
紛争地域や軍事政権下の国などでの写真の取材活動は死の危険と隣り合わせでしょう。世界中で長井健司さんと同じような仕事をしている人は数多くいることと思います。その国の状況の変化などをいち早く読み取って安全な取材活動することを願っています。
長井健司さんのご冥福を心からお祈りいたします。
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2007年09月28日

今年も開花が遅かった彼岸花


higanbana2007-2.jpg豊栄に行く途中の県道沿いに彼岸花の群生する河原がありました。曼珠沙華の里として有名な埼玉県日高市の「巾着田(きんちゃくだ)」にはとうてい及びませんが、数十メートルにわたって彼岸花が川の両岸を埋め尽くしていました。
それが、護岸改修工事や河原を手入不足のため、5年ほど前から彼岸花の生息地がどんどん少なくなり、今ではご覧のように小さな面積になってしまいました。7〜8年前は、カメラを持った人が数多く訪れていた場所です。寂しい限りです。


higanbana2007-1.jpg彼岸花の花を良く見ると、花茎の先に赤色の花を数個輪状につけています。花被片は6枚で反り返り、赤色の雄しべと雌しべが花の外に長く突き出ています。この数個の花が一つの花のように見えています。



彼岸花には実に多くの呼び名があります。それぞれの地方の彼岸花の呼び方を調べてみるとまだまだたくさんあるでしょうね。
・最も多く使われているのは、「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」です。サンスクリット語で「天界に咲く花」という意味とか、仏教語で「赤い花」の意味があると言われています。
・お彼岸の頃に咲き、土葬をモグラや野ネズミなどから守る意味もあって墓地などによく植えられていたため、「死人花(しびとばな)」「地獄花(じごくばな)」「幽霊花(ゆうれいばな)」のようなちょっと怖い呼び名もついています。
・また、彼岸花の鱗茎にはアルカロイドという毒があるため、「毒花(どくばな)」「痺れ花(しびればな)」などとも呼ばれています。
・花の姿からついた名前は「天蓋花(てんがいばな)」「狐の松明(きつねのたいまつ)」「狐のかんざし」「剃刀花(かみそりばな)」。
・花のある時期には葉がなく、葉のある時期には花がないという特徴から、「葉見ず花見ず(はみずはなみず)」など。

夏の暑さが厳しく長く続いたため、彼岸花の開花が随分遅くなりました。昨年も開花が遅いと感じましたが、今年はもっと遅れているように思います。
でも、彼岸花は秋を強く感じさせる花ですね。

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2007年09月27日

福岡伸一さんの「生物と無生物の間」を読んで

福岡伸一さんの「生物と無生物の間」を読みました。この本は「生命とは何か?」を追求する分子生物学ですが、こんなに面白い科学書を読むのは初めてです。
私たちが科学誌でDNAの二重ラセン構造の絵を良く見かけますが、その二重ラセン構造を発見した、イギリス・ケンブリッチ大学のジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックらを紹介しながら持論を展開してゆきますが、また一方で科学史的な色彩を持っています。
福岡伸一さんは生物の事を熟知している上に、表現力が豊で、比喩も素晴らしく、文章がとてもうまいのです。
難解すぎると思われる記述もありますが、注意深く活字を拾っていけば、生命の神秘を追求する旅へ随行でき、生物にあまり関心のない人をも引きつける魅力を持っています。

福岡伸一さんこの本の中で「生命とは何か?」について、次のように記述しています。
通常の無生物的な反応系がエントロピー最大の状態になるのよりもずっと長い時間、少なくともヒトの場合であれば何十年もの間、熱力学的平衡状態にはまり込んでしまうことがない。その間にも、生命は成長し、自己を複製し、怪我や病気から回復し、さらに長く生き続ける。
つまり生命は、「現に存在する秩序がその秩序自身を維持していく能力と秩序ある現象を新たに生み出す能力をもっている」ということになる。

 生命現象における拡散の原理 
 DNAの二重ラセンによる自己複製機能
 絶え間なく作り直され・入れ替えられる分子レベル
 その秩序を支えるタンパク質の相互補完
 それらは緩やかに結合しエラーを常に回復させている
 動的平衡における時間の役割
 いかに外部を取り込むか(内部の内部は外部)
 ノックアウトDNAによる機能回復の考え方

上記のような事項の論理の中から、生命とは、動的平衡を保ちながら時間の経過とともに元には戻らず、いかにかけがえのないものであるかを説明しています。
「エピローグ」の最後の3行の文章がとても印象的です。
『私たちは、自然の流れの前に、跪く(ひざまずく)以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのです。それは実のところ、あの少年の日々からすでにずっと自明のことだったのだ。』

サイエンスと詩的な感性の幸福な結びつきが、生命の奇跡を照らし出す「極上の科学ミステリー」です。

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2007年09月26日

福田新内閣の発足に思う

第91代の内閣総理大臣に選ばれた福田新総理は25日夜、組閣作業を行い、大部分の大臣を再任した福田新内閣を発足させました。福田新総理は、内閣の要の官房長官に同じ派閥の町村信孝氏を外務大臣から横滑りさせ、空いた外務大臣のポストには高村防衛大臣を同じく横滑りさせました。
そして、防衛大臣には石破元防衛庁長官を起用。また、文部科学大臣から自民党幹事長に就任した伊吹文明氏の後任には、渡海政調会長代理を初入閣させました。
福田新総理は、臨時国会が開会中であるため閣僚の大幅な交代には否定的な考えを示していましたが、結局、4ポストの交代にとどめて、残る13人を再任しました。
官房長官として初めて記者会見に臨んだ町村新官房長官は、「背水の陣の内閣なので政府与党一体となってこの難局に当たっていきたい」と抱負を語りました。

また、午後10時前から記者会見に臨んだ福田新総理は、「政治不信の解消」に全力を傾ける事を優先して取り組む事を挙げました。初めての記者会見で緊張している様子が伝わってきましたが、記者からの質問にも丁寧に答えていたように感じられました。
2週間に亘って国会を止めてしまったことについても、「国民及び議員の皆さま方に申し訳ないことをした」と、率直に詫びたのも好印象を与えたと思います。
挨拶の最後に、「解決の方法は名案というものはございません。ただ一つ一つの事案を着実に解決する、その積み重ねによって国民の信頼を取り戻すことができる、そのように思っております。多少の時間はかかるかも知れないけれども、一生懸命、この問題の解決にあたってまいりたいと思います」と言葉を噛みしめるように語っていました。

この内閣に対しては、国民の注目度も随分高いと思われます。一定の成果を出せるまでには半年間くらいの時間が必要だと思います。何かと話題が多い内閣だとは思いますが、私たちは僅かな時間で評価を下すのではなく、少し長い目で見守ることも大切だと思います。
私たちは、自民党と民主党の政治劇を見ているのではありません。マスコミの報道のあり方にも注視しながら、政治がいま何をしようとしているのかを、冷静に見て行くことが求められていると考えます。

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2007年09月25日

今日は中秋の名月

今日は中秋の名月です。中秋の名月は旧暦8月15日のことで、今年は9月25日の今日がそれにあたります。しかし今年の場合、満月は9月27日ですから、今年の中秋の名月は満月の2日前ということになります。実際その形を見てみると、左側(東側)が少し欠けた状態で見えます。もっとも肉眼ですと、パッと見ただけではなかなか分かりにくいかもしれません。

古くから旧暦8月(新暦9月ごろ)は、空気が乾燥して月が鮮やかに見え、また、湿度も割り合い低く夜でもそれほど寒くないため、観月に最も良い時節とされています。この夜は、月が見える場所などに祭壇を作り、すすきなどを飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、御酒を供えて月を眺めました。また、芋名月とも言います。中国でも同様の習慣があり、月餅を作ってお供えするそうですが、この風習が日本に伝わって、月見団子に変ったのでしょうね。

中国や日本では、月を愛でるという習慣が古くからあり、日本では縄文時代ごろからあるといわれています。平安時代のごろ、中国から月見の祭事が伝わると貴族などの間で観月の宴や舟遊びなどで歌を詠んだり酒を飲んだりしたといいます。宴や舟遊びでは、直接月を見るのではなく船などにのったりして水面に揺れる月を楽しんだといいます。情緒があって良いでしょうね。

しかし、ヨーロッパでは満月は人の心をかき乱し、狂わせるもののようです。月の女神が死を暗示したり、狼男が月を見て変身するというのは、その典型的な例でしょう。とても月を眺めて楽しむという気分にはなれなかったようですね。
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2007年09月24日

うどん作り教室に参加しました


udon2007.9.23-1.jpg昨日は、農業塾OB会・白木農園の「うどん作り教室」が開催され、参加しました。昨日は9月23日、日曜日とお彼岸の中日が重なっためでしょう、例年より少ない34名の参加者でした。

昨年11月に小麦を播種し、1月に麦踏、6月には刈り取り収穫、そして乾燥、脱穀、製粉。製粉以外はすべて私たち会員の汗の結晶です。その小麦粉を使ってのうどん作り教室でした。小麦の品種は「さぬきうどん」にこだわって、「ふくさやか」を栽培しています。

今日は、「さぬきうどん」の他にも、沖縄風ドーナツ「サータ・アンダギー」も作ろうということになり、午前9時半から、全員が手分けして取り掛かりました。
サータ・アンダギーは、小麦粉と黒砂糖を使った、沖縄で最もポピュラーな揚げ菓子だそうです。黒砂糖の風味がよく、ちょっと甘めのドーナツです。保存性もあります。

以下は、サータ・アンダギーの材料と作り方です。
<サータ・アンダギーの材料及び分量>(卵大約10個分)
・小麦粉(薄力粉)   150グラム
・卵        1個
・黒砂糖(又は砂糖)  100グラム
・牛乳.      50cc(堅さ調整の為)
・ベーキングパウダー  小さじ1/2
・サラダ油     適量
・バター       大さじ1/2
・塩         少々_
<作り方> 。
(1)小麦粉にベ−キングバウダーを混ぜ、ふるいにかけます。
(2)ボールにバター、黒砂糖、塩を入れてよく混ぜ、ほぐした卵を少しずつ入れ、よく混ぜ合わせます。
(3)(1)に(2)を加え、サックリと混ぜ合わせ、牛乳をカロえながら耳たぶ程度の堅さにします。
Point:堅さは牛乳の添カロ量で加減しましょう。
(4)(3)を半日以上ねかせ、生地はこねずにそのまま使います。
(5)生地をピンポン玉くらいの大きさに丸め、低温でじっくりと揚げ、膨らんで割れ目ができたら、竹串などをさしてみて、生地がひっついてこなければ出来上がり。

うどんは、小麦粉を捏ねるところから始まります。これが一番大変な作業になりますが、その後常温で少しの時間寝かせて(熟成)、生地を麺棒で延ばします。そして線切りし、大なべでゆでます。それを水洗いして出来上がりです。

昨年の11月の播種から、約10ヶ月、実に多くの手間と時間をかけて、今日ようやく、待ちに待ったうどんを食べる事ができました。これが本当のスローライフです。
うどんやサータ・アンダギーを味わう会員の表情には喜びと楽しさと満足感が満ち溢れていました。


udon2007.9.23-2.jpg盛り付けも忙しい、出来上がったうどんとサータ・アンダギー
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2007年09月22日

「老人力」とは

昨日のブログに赤瀬川原平さんは「老人力」の提唱者だと書きました。「老人力」という言葉は、あまりお聞きになったことがない方も多いのではないかと思います。「老人力」とはどんな事なのか書いておきます。
「老人力」の中の一部を原文のまま掲載します。

友人とか仲間どうしの場合、共通の知識が共通に忘れかけていることがよくある。何かのたとえ話をしようとしていて、ある人物の名前が思い出せず、「え−と、ほら、あの、あれに出てた……」
「そうそう、あれでしょ。あの、ほら、あれ……」
とお互いに忘れてしまっている。でもちゃんと「あれ」だというのはお互いにわかっているのだ。わかっているのに、名前が出てこない。
ある時、相手は南伸坊君だったが、やはりそんなことを何度も繰り返していて、南君の方がつい、「おっしゃることはわかります」と言ったので大笑いした。
たしかにおっしゃろうとすることはわかっているのだ。お互いにわかっているんだけど、ただその名前だけが出てこない。でも意味はわかっているので、話はつづけられる。つづくといっても名前は依然として出ないわけで、名前の出ない意味だけが、
「ほら、あれが……」
「そうそう、あれ、あの中で一人だけ、あれが……」
「あれ誰だっけ」
「いや、おっしゃることはわかります」
というので、それからはもう「おっしゃることはわかります」の連発で、大笑いがつづくのだった。
こういうのをぼくらでは「老人力がついてきた」という。ふつうは歳をとったとか、モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとかいうんだけど、そういう言葉の代りに、「あいつもかなり老人力がついてきたな」というふうにいうのである。そうすると何だか、歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい。
歳をとって物忘れがだんだん増えてくるのは、自分にとっては未知の新しい領域に踏み込んでいくわけで、けっこう盛り上がるものがある。
宇宙船で人生に突入し、幼年域−少年域−青年域 、と何とか通過しながら、中年域からいよいよ老年域にさしかかる。そうするといままでに体験されなかった「老人力」というのが身についてくるのだった。
それがしだいにパワーアップしてくる。がんがん老人力がついてきて、目の前にどんどん「物忘れ」があらわれてくる。

老人域までこなくても、人間にはもともと忘却力が備わっています。記憶力のエンジンが唸りをあげて回っていると、その反対側では忘却力が放出されているのです。
また、「嫌な事」もある程度忘れる事ができるから人間は生きてゆけます。記憶したすべての事を忘れる事ができなかったら、人間とても辛くて生きてはゆけないでしょうね。
「物忘れ」が少し進んできたなと思ったら、最近はぐんぐんと老人力が付いてきたな、と考えれば、歳をとることに積極的になれます。楽しく、明るく歳をとりましょう。
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2007年09月21日

赤瀬川原平さんの「日本男児」を読んで

赤瀬川さんは、画家、作家(「父が消えた」で芥川賞受賞)として活躍していますが、「路上観察」の活動や老人力の提唱者としても良く知られています。随分以前にその「老人力」は読みましたが、赤瀬川原平さんの考え方、感じ方に共感するものがあり、6月に発売された「日本男児」を読みました。

この本は雑誌「オール一読物」に連載されたものだそうで、連載中のタイトルは、「目からウロコ」を少しひねって「頭からウロコ」としていたそうです。
「あとがき」には次のように書かれています。
本にまとめるとき、たまたま居合せたSM嬢(新解さんの謎の発見者)が、唐突に「日本男児」と咳いた。その言葉がずっと頭に残り、とうとう書名となった。
日本男児は、たぶん腹巻一つの素裸なのだと思う。ウロコは目から落ちて欲しいが、腹巻はしっかり腹に巻いていた方がいい。

「日本男児」はエッセイですが、書かれている内容もバラバラで統一性がない(?)のも赤瀬川さんらしいと思いました。
その中の「男が合理化された」は、次のような書き出しで始まります。

日本列島から男が消えたという。日本列島に住むのは女だけになってしまった。え? そんなことはないよ。パチンコ屋に行けば男がいっぱいいるし、競馬場に女が増えたといってもやはりほとんどは男だし、会社で働いているのも男だらけだ。消えてはいない。
たしかにそうだ。身体検査をすれば会社から、大学から、ヨドバンカメラから、男はぞろぞろ検出される。身体はたしかに男だ。
でも最近の男はお膳を引つくり返さない。昔は男たるもの「こんなもん食えるか!」と吠えてお膳を引つくり返していたそうだが、いまはそんなことをしたらすぐに家庭崩壊だから、誰もやらない。だいいち、引つくり返そうにもお膳がない。
というのはさんざん使われた冗談だろうが、とにかく怒るのが仕事だった男が、怒らなくなった。怒って解決、というスペクタクルな方法があったのに、いまはすべて話し合いで解決というビジネススタイルになってきている。

赤瀬川さんの三段論法によると、怒れないとなると愚痴が出てくる。そして、愚痴は言論に止まらず暴力化する。愚痴的暴力から流れる血は陰惨で、解決の糸口が見えなくなってくるというのです。
怒る男を叱る男と言葉を置き換えると、分かりやすいかもしれません。最近は、父親が子供を叱らなくなりました。叱れなくなったともいいます。父性の喪失です。母性的な優しさだけが暴走している時代。この本を読んで、日本男児はお膳は引っくり返さなくても、家族を厳しく叱る愛情を取り返して欲しいと思いました。
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2007年09月20日

ヤクルト・古田監督 涙の退陣

ヤクルトの古田敦也兼任監督が昨日、チームの成績不振などを理由に、今季限りでの退任と現役引退を正式に表明しました。球団から監督専任での続投を要請されたそうですが、これを固辞。オーナー報告後に開いた会見で古田監督は、時折声を詰まらせ、涙を見せていました。
胸にたまっていた思いが、涙となってこぼれ落ちたのでしょう。「選手、ファンに伝えたいことは」との質問に答えようとしましたが、言葉にならなく、古田監督は長い間沈黙し、何度もハンカチで涙をぬぐっていました。涙の訳を聞かれると「寂しいより、悔しい方かな。よく分からない。すみません」と、声を絞り出していました。
監督としての無念は、かなり強かったはずです。昨オフに主力の岩村がメジャーに移籍し、抑えの石井弘も左肩の手術を受け、危機感を抱いた古田監督は、オリックスを自由契約となった中村紀の獲得を熱望したましたが、球団は聞き入れませんでした。
また、追い打ちをかけるように開幕から故障者が続出し、上位争いから脱落し、古田監督自身、プロ18年目で初めての最下位に終わる危機となっています。
引退も不本意な形で決まりました。8月中旬、鈴木正球団社長が公の場で、来季は選手としての契約を結ばないことを明言します。古田監督はこれを正式には聞いていなかったといいます。
それでも会見では、悔しさをのみ込んで、「人に責任を負わすわけにいかない。けじめをつけた方がいいと思った」と。球界を代表する捕手として、労組・選手会会長として、そして兼任監督として全力を尽くした18年。何かの因縁でしょうか、この日は日本で初めて行われたプロ野球のスト決行から、ちょうど3年目だったそうです。
再びユニフォーム姿で監督としてグラウンドに立つ日を待ちたいと思います。
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2007年09月19日

バスの故障−素早く適切な対応


kusatuonsen.jpg写真は草津温泉の湯畑

昨日のブログに投稿した12日から14日までの3日間の農業塾OB会の仲間たちとの志賀高原・軽井沢への旅行の最終日にバスが故障しました。朝8時に草津温泉を出発し、標高2000メートルの志賀高原の美しい景色を良い気持で眺めながら移動している最中、信州中野の土産店に入る少し手前で、バスが激しくバウンドするようになりました。私たちのグループはバスの後部に座っていましたので、僅かな凹凸でも我々の体を跳ね上げるのです。その事をガイドに言うと、「すみません、道が悪くて、県知事に言っておきます」などと冗談で返していました。
その激しいバウンドが始まってから15分ほどで土産店に到着したとき、運転手に話をすると運転手も故障に気付いたようです。しばらく後部のタイヤのあたりを見ていましたが、エアーサスペンションが壊れていることが分かりました。サスペンションが壊れているので激しい衝撃があるのは当たり前です。
私たちが土産物を買っている間に、運転手、添乗員、ガイド達が、手分けして連絡を取ったようです。いずれにしてもそのバスの故障を修理しない限り動かす事はできません。代わりのバスを手配していた様子ですが、この時期に、すぐに長野から広島に差し向けるバスなどあろうはずがありません。
しばらくして、添乗員からの説明がありました。
現在地の中野から昼食を摂ることになっている駒ヶ根市のレストランまで長野自動車道をジャンボタクシーで移動し、そこに他の所属のバスが待機しているから、昼食の後、そのバスで滋賀県のパーキングエリアまで移動する事になりました。そしてそこに、広島からのバスが迎えに来る事になるというのです。
土産店でジャンボタクシーを1時間以上待ち、予定より2時間遅れで駒ヶ根に向かいました。中野から駒ヶ根まで長野自動車道で100キロ以上あります。5台のジャンボタクシーを連ねて所要時間も約2時間。昼食を摂るレストランに到着した時にはすでに2時を過ぎていました。そこには代替のバスがすでに待機していて、荷物だけを積み替えて遅い昼食を摂りました。
そして、中央自動車道から名神高速道路を走り、多賀パーキングエリアで広島から迎えに来ていたバスに乗り換え広島に…。
2時間の遅れを少し取り戻し、広島到着は予定より1時間遅れの午後10時でした。私たちは思わぬ経験をしましたが、バス会社、旅行会社の素早く適切な対応には感心しました。乗客の誰からも不満の声はなく、その対応に満足していたように思いました。この旅行に参加した誰もが思わぬ土産話をカバン(?)に詰めた事でしょう。
posted by tontonton at 18:06 | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする