2006年07月31日

ようやく梅雨明け発表

気象庁は30日、中国、近畿、北陸、東海、関東甲信越地方が梅雨明けしたとみられると発表しました。
平年に比べて中国地方では10日、他の地方でも8〜11日遅くなっているそうです。こんなに遅い梅雨明けは最近ではあまり記憶にありません。いずれにしても夏本番に突入したのですね。
今年の梅雨は、本当に良く雨が降りました。各地でこれまでにない降雨量を記録し、災害も多く発生しました。
ところが、梅雨が明けると今度は川や海での水の事故が多くなります。今日の新聞にも水の事故で15人もの人が亡くなっている事が報じられていました。特に水の事故では、幼い命が奪われる事が痛ましくてたまりません。猛暑の中、川や海に行って開放された気分になり、子供たちから目を離す隙を作ってしまうのでしょうが、なんとも悲しい事です。
明日から8月ですが、8月8日はもう立秋になります。旧暦では、今年は閏文月があり、7月が2ヶ月あることになります。暑さも厳しく、また、残暑も厳しくなることでしょう。
夏バテしないためには、良く寝て、良く食べて、無理をしないことです。
晴れ曇り雷晴れ曇り雷
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2006年07月29日

大豆の土寄せ


daizu.tutiyose.jpg今日は、白木農園の大豆の土寄せをしました。23日の日曜日に除草は済ませておきましたが、土寄せは1週間延ばす事になり、今日がその作業日でした。
朝8時半からの作業でしたが、今日は何故か参加者があまり多くなく10数名でした。作業は2回の休憩をはさみ、約3時間で終了しました。
土寄せ作業は、平鍬で土を寄せていきますが、今日は会員のTさんが新兵器を持ってきて、その新兵器でも土寄せをしました。古くから農家の方は使っていたものなのでしょうが、初めて見ましたので写真に収めました。三角錐の形をした刃が機具自体の重さで溝を掘るように土を寄せてゆきます。1台だけでしたが、結構効率がいいように思えました。
広島地方は、まだ梅雨明け宣言が出ていません。しかし、先日来真夏日が続き、今日も午前中から30度を超えるような暑さの中での作業になりました。
この様な暑さの中ですが、毎回、会員のOさんが、上質のミネラルウオーターと麦茶を、氷を入れたクーラーボックスでたくさん持ってきてくれます。休憩の時間には、みんなでこれを頂きます。お陰様で、冷たい美味しい水やお茶が飲めるので、熱中症になる人もいません。本当にありがたい事です。
作業は11時半に終了しました。全員汗ビッショリでしたが、表情はとても爽やかでした。
今年は特に豊作のような気がします。

daizu.shinheiki.jpg
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2006年07月28日

雑誌「文芸春秋」の巻頭随筆

本 雑誌「文芸春秋」は読みたい記事が掲載されている時だけ購読します。その8月号を今日買ってきました。この号で読みたい内容は、「8.15小泉靖国参拝」と新しく経団連会長になった御手洗富士夫さんの「日本経済イノベート計画」です。楽しみにしています。
ところで、この「文芸春秋」には毎号「巻頭随筆」が掲載されています。毎号10人の方々が随筆を書いています。最近では、作家の阿川弘之さんの「葦の髄から」とイタリア在住の作家、塩野七生さんの「日本人へ」、このお二人の随筆だけがレギュラー掲載されていますが、それ以外はいろいろな方が登場されます。阿川弘之さんの「葦の髄から」は今号で112回ですから、もう10年近く書いていることになります。この巻頭随筆も興味のあるものだけを読むことにしています。
「文芸春秋」という雑誌は、大正12年に創刊されたころは20ページくらいの薄いものだったそうです。作家の菊池寛が創めた雑誌で、この「文芸春秋」は「巻頭随筆」を雑誌の顔として特別大切にしていたようです。創刊号の巻頭随筆は「芥川龍之介」が書いたそうです。その後も、幸田露伴、武者小路実篤や、戦後では小泉信三、田中美知太郎、林健太郎といった日本の代表的な知性を網羅している事からも伺えます。
私の大好きな司馬遼太郎さんも、この「巻頭随筆」を約10年くらい書きました。それは現在「この国のかたち」(全6巻)というタイトルで出版されています。私は第1巻しか読んでいませんが、司馬さんの思っていること、伝えたい事が、分かりやすい文章で掲載されています。
この「文芸春秋」も最近の号は、450ページくらいのボリュームになっています。菊池寛が創めた頃と比べると凄い違いですね。
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2006年07月27日

パソコン同好会の懇親会


pa.konshinkai.jpg今日は白木農園・パソコン同好会の懇親会が午後6時から、広島市内のビヤガーデンで開催されしまた。
今回で確か5回目になると思います。
2004年の5月からパソコン同好会がスタートして、2年と3ヶ月が過ぎました。現在は参加者は15名で、毎月3回の講習を楽しんでいます。
この同好会は、パソコンの操作をいろいろ学ぶ事と同時に会員相互が楽しく交流できる事を大切にしています。今日のようなビールを飲みながらの懇親会は、年2回ですが、毎回のパソコン同好会が、ある意味懇親会になっているのだと思っています。みなさん、この同好会に参加するのが何より楽しみだとのことですから。
新しい操作を学んでは忘れ、忘れてはまた学ぶの繰り返しですが、忘れてしまう事を恥ずかしく思わない取り決めになっていますから、笑いながら同じ事を何度でも聞き返す。これがこの会の一番良いところだと思っています。会員の殆どが60代70代ですから、この年齢で新しい事に取り組む事が、何より大切だと考えているのです。これからも「楽しく学ぶ」この精神で、できるだけ長く続けてゆきたい思います。

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2006年07月26日

日本人の土地所有欲

昨日、「一所懸命」の言葉の由来を書きました。それは、個人が土地を所有し始めて、それを守るために命を懸けたものですが、土地の所有についてもうひとつ大きな改革がありました。
戦後の農地解放です。大地主の所有する耕作地を一定までしか所有を認めず、小作人に開放した、すばらしい改革でした。しかし、一方で士地所有ということで、日本人に変な怨念のようなものを植えつけてしまったような気がします。
それまでの日本人はだれかによって田地を耕させてもらっているとい意識がありました。むろん先祖代々の土地には違いはありませんが、おてんとう様が見てるといった意識が農民には2000年来、続いていました。その意識が農地解放といった、上からの革命のおかげで崩れてしまいました。おかげで、地球上の人間にもいろいろありますが、日本人はいちばん極端な土地所有欲をもってしまったのです。  ・
土地バブルのはじける前は、その土地への欲望が渦を巻いているような所がたくさんありました。都市の中心部の近くにまだところどころに空き地があって、ネギ畑や水田がわずかにあり、聞いてみると、坪うん十万円だの、うん百万円など、とてつもない金額です。
資本主義とは、物をこしらえて売って成立するもので、思惑で土地を買って儲けるようなものではありません。それらの跳ね返りが私たちの経済を大混乱に陥れていました。
そろそろ、少しずつでも土地の国有化を考える必要があると思います。
土地問題が国民や経済を荒らし回って、このままでは資本主義も成立しなくなってしまうという状況まで来ていました。今この問題は、表面上は沈静化しているように見えますが、決してそうではないと思います。

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2006年07月25日

いつから「一生懸命」になったのでしょう

「一生懸命」という言葉があります。広辞苑で調べてみますと「一所懸命」の転。と書いてあります。もちろん、この言葉の意味は、ご存知の通り「物事を命がけですること」です。
ところで、この「一所懸命」の言葉の発生を調べてみるととても面白いものでした。
奈良時代以来、日本全国の農地は、すべて国有とされ、私有は原則的にゆるされていませんでした。その発端は645年の「大化改新」です。
中大兄皇子(なかのおうえのおうじ=後の天智天皇)は、革新派官僚中臣鎌足(なかとみのかまたり)と協力してクーデターを成功させ 、日本にはじめて統一国家としての骨格をつくります。大化改新の目玉は、それまでの私有地・私有民を廃止し、公地・公民に改めたことでした。それまで蘇我氏などの豪族に「所有」されていた農民は、それぞれ口分田という耕作地を持つ「国民」として自立し、各自国家に税金をおさめることになります。そして新しい制度を保障するために 律(刑法)と令(行政法)という法律をさだめます。これが「律令制度」つまり、大化改新の最大の狙いだったのです。
この律令制といわれる公地公民の制度は、 奈良時代から平安時代の末にいたるまで制度として続いたということになっています。
ところが、10世紀頃から地方の様子が変化してゆきます。農業土木が進歩して、新田の開墾がさかんになります。しかし、せっかく苦労して開いた新田も、律令体制下では公地としてお国に召し上げられますので、開墾地主たちは「荘園」という抜け道を用意しました。つまり、新田をお寺や神社、大貴族などに荘園として寄進した形をとり、実質的に所有するという方法です。さらにかれらは、私有地の境界を守り、水利を確保するため武を練り、兵を蓄えるようになります。これが武士の発生です。
有名無実化した律令体制のもとに 新しく生まれた武装した開墾地主、これこそ武士の正体でした。そして大量の武士を生んだのが、坂東と呼ばれた 現在の関東地方です。
坂東の名物は土地問題による喧嘩刃傷沙汰です。肉親間で暗殺や合戦のおこることもざらでした。新興の土地で、田畑は「開発」によってたえず広がっています。それにともなって人口が増加するため、同時に細分化も進んでいました。それに土地を長男が相続するのか、父の指名する子供が相続するのか、相続の慣習が確立していないため、兄弟間で紛争がおこりやすい状況でした。
生活の頼みとする1ヵ所の領地を、つまり自分の一所(いっしょ)をまもるために命を懸けるという意味から「一所懸命」という言葉が生まれました。
鎌倉の人の土地に対する一所懸命の姿勢がなかったなら、現在のような日本は無いといいます。庶民が土地の所有権を公家国家に対して主張し抜いたというのは、中国にも朝鮮にもありません。つまりあのまま公家政治が続いていたら、われわれは、19世紀に入って植民地になっていたと思われるからです。
日本人の土地に対する執着心は、この頃からの事なのですね。
そして、これらの坂東武士を束ねて、鎌倉幕府を開くのがご存知「源頼朝」です。

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2006年07月24日

大豆の草取り


daizu2006.7.23.jpg昨日の日曜日、長雨のため延期になっていました大豆の除草をしました。白木農園の圃場には会員20数名が集まり、朝8時から作業が始まりました。
作業を始めた頃は少し小雨がパラついていましたが、まもなく雨も上がり、この時期にしてはあまり暑くない絶好のコンディションで作業ができました。作業内容は、大豆の除草と里芋の除草・追肥です。
大豆を定植しているのは約25アールですが、その広さを除草するのは大変な作業です。しかし、たくさんの人数で親しい仲間との作業はそれほど苦になりません。秋の収穫の喜びを味わうには、この作業は欠かせないものです。本来なら、除草と一緒に土寄せも行う予定でしたが、双葉が青々としているので来週にしようと言う事になりました。初めのうちはこの双葉からの栄養で生育してゆくのだそうです。いろいろ興味深い事も知る事ができます。
里芋も順調に生育しています。
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2006年07月22日

司馬遼太郎さん「坂の上の雲」の映像化のこと

司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」を読み終わったのが5月28日、まもなく2ヶ月になろうとしています。最後の3巻は「巻を追う」という言葉通り、面白さについ夢中になって、朝白々となるまで没頭していました。その余韻が残っている間に、この本の読後感を書きたいのですが、あれも書きたい、このことも留めておきたい、と思いばかりが先走り、何から書いてよいのか、何から取り掛かろうか、頭の中でぐるぐる回るばかりでなかなかまとまりません。
以前、NHKのホームページを見た時、21世紀スペシャル大河「坂の上の雲」を平成20年(2008年)の放送に向けて制作します。と紹介されていました。その中に、NHKとしてテレビドラマ化の交渉を続けてきた結果、著作権継承者である福田みどりさん(司馬遼太郎さんの奥さん)から映像化の許可をいただきました。と書いてありました。
私が、「坂の上の雲」を読んだ限りでは、これほど映像化しにくい作品は無いのではないかと思っています。
本当に原作の意図する映像化ができるのか心配です。この本の持つイメージを壊して欲しくないからです。映像化されて、原作と同じくらいか、優れているもには、本当に稀だと思っています。
そんな時、北山章之助さんの「手掘り 司馬良太郎」に出会いました。北山さんのその書の中には、「司馬さんはこの本の映像化を了承しない」旨の手紙がNHKに送られてきた、と書いてありました。
北山章之助さんはNHKに勤務され「日本史探訪」等の制作ディレクターを長年にわたり担当された方です。司馬遼太郎さんとのお付合いも25年以上になるそうです。
司馬さんと親しかった北山さんに、当時のNHK会長が「坂の上の雲」の映像化を司馬さんに了承してもらえるように交渉を依頼されたそうです。会長の頼みとあって、その場ではすぐ返事されなかったそうですが、下記のような断りの手紙を受け取ったそうです。

その後、考えました。
やはりやめることにします。
"翻訳者"が信頼すべき人々ということはわかっていますが、初めに決意したことをつらぬきます。あの『坂の上の雲』を書きつつ、これは文章でこそ表現可能で、他の芸術に"翻訳"されることは不可能だ(というより危険である)と思い、小生の死後もそのようなことがないようにと遺言を書くつもりでした。(いまもそう思っています)

小生は『坂の上の雲』を書くために戦後生きたのだという思いがあります。日本人とはなにか、あるいは明治とはなにか、さらには、江戸時代とはなにかということです。

バルチック艦隊の旗艦「スワロフ」が沈んだときから、日本は変質します。

山伏が、刃物の上を素足でわたるような気持で書いたのです。気をぬけば、足のうらが裂けます。

単行本にしたときも、各巻ごと、あとがきをつけてバランスをとりました。
たしかにソ連は消滅し、日本の左翼、右翼は、方途を見うしなっています。状況がかわったのだということもいえます。 
が、日本人がいるかぎり、山伏の刃渡りにはかわりません。日本人というのは、すばらしい民族ですが、おそろしい民族(いっせい傾斜すれば)でもあります。
『坂の上の雲』は活字にのみとどめておきたいと思います。

以上、このことについては議論なし、ということにして。

   平成4年6月23日    司馬遼太郎

司馬遼太郎さんの遺言ともいえるこの手紙、まだ、NHKに保存されている事と思います。
この手紙の中の、司馬さんの "『坂の上の雲』は活字にのみとどめておきたいと思います。"この言葉の意味をもう一度熟慮する必要があると思います。
司馬遼太郎さんが大好きです。『坂の上の雲』を映像で見たい気持ちも全くないと言えば嘘になります。しかし、私としては、「映像化してはいけない」という気持ちの方が強いのです。
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2006年07月21日

ライブドア・パブリック・ジャーナリストに…

過日、ライブドアのホームページを見ていて、livedoor ニュースのところに、「パブリック・ジャーナリストを募集」の項目がありました。その募集概要に下記のように書いてありました。

あなたも記者になって、ニュースやオピニオンを書いてみませんか?

livedoor ニュースでは、日本社会が抱える様々な問題をテーマに、皆様からニュースやオピニオンを募り、採用させていただいた原稿をウェブ上に掲載してまいります。皆様が日々の暮らしや仕事の中で感じた政治や社会に対する疑問や意見を取り上げることで、これまで日本では手付かずだったパブリック・ジャーナリズムの道を切り開いてまいります。
(中略)
つきましては、これからの時代をよりよいものにしていくためにも、我こそはパブリック・ジャーナリストとして物申したいという方を募集いたします。詳しくは募集要綱をご覧下さい。
日本社会、そして国民一人ひとりが進むべき道はどこにあるのか──。
その道標になるような言論のフォーラムづくりがいよいよ始まります。

そこで、早速、申し込みました(有料です。1050円)。するとメールに添付されたパブリック・ジャーナリストになるためのテキストが送られてきました。全文約80ページを読んで理解し、「ジャーナリスト講座修了試験」の6つの問題の解答を書きメールで送り返します。
そして今日、ジャーナリスト講座修了試験に合格したとのメールが送られてきました。
これからはできるだけ多くの広島の情報やニュース、オピニオンなどを送ろうと思っています。
そのことで、地域や人のために少しでも役立つ事が出来たら嬉しいのですが。

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2006年07月20日

マリリソ・モンローとバーナード・ショーの子供?

最近、テレビを見ていて特に感じますが、いろいろな番組の中で駄洒落が多く、ユーモアつまり上品な洒落を、殆ど耳にする事がありません。
丸谷才一さんは、作家であると同時に英文学者としても良く知られた方ですが、ユーモアについて次のように書かれています。

もともとユーモアというのは高級な趣味です。ヨーロッパでも、本当にユーモアが上手なのはイギリス人だけでしょう。彼らの弟子筋であるアメリカ人は、一生懸命ユーモアをやろうとしているのですけれども、イギリス人ほど上手ではない。イギリスでは、政治家のチャーチルでも、国家艱難のとき演説の中にユーモアをまじえていた。そういう伝統はもちろん文学のなかにも濃厚にありまして、私もなぜかというのはよく分かりません。
例えばヨーロッパでもドイツ文学というのは全くユーモアを感じません。フランス人はよくエスプリ(機知、才知)ということばを用いますが、ラテン系の人は、宗教がカソリックですから、峨々たる教会と謹厳なる神父の問でどうしてもユーモアが発生しづらい。そういう中でイギリス人はユーモアを独特の文化として、特にジェントルマンには不可欠の道徳として彼らは体得してきたようです。

ユーモアについては、多くの方がご存知の有名な話があります。お聞きでない方のために、紹介します。
戦前から世界的に知られた劇作家でノーベル賞を受賞したバーナード・ショーというイギリス人がいました。このハーナード・ショーが晩年アメリカに行きました。そしてハリウッドでマリリソ・モンローに会ったそうです。バーナード・ショーの文名は世界をおおっていましたから、マリリン・モンローは感激してバーナード・ショーにお世辞を言ったのだそうです。「先生、もし先生がお若くて私と恋をして子どもができたらどんなにすばらしいでしょう。先生の頭脳と私の器量を合わせ持って子どもが生まれたらどんな素晴らしい子どもができるでしょう」と言いました。そうしたらすかさずショーは、「いや、僕の器量とあなたの頭脳を持って生まれる子どももありますからね」と言ったそうです。
さすが英国紳士のユーモアですね。
ところが、この話には落ちがあります。この時、実際にバーナード・ショーに会ったのは、美人ダンサーのイザドラ・ダンカンだったらしいのですが、いつのまにかマリリン・モンローに伝説化したらしいのです。そこがいかにもハリウッド的な脚色でおもしろいですね。
クスッと笑えるユーモアを持って、人と話が出来たら争いごとも少なくなるのでしょうが…。わーい(嬉しい顔)
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