2006年02月28日

「定年帰農」と「建設帰農」

「団塊の世代」が定年を迎える2007年問題で、「定年帰農」、「定年就農」が話題になっていますが、時代も変わったもので、建設業者が事業を農業にシフトする「建設帰農」も大きな流れになろうとしています。
企業の農業参入の形には2つあります。1つはカゴメやワタミなどの大企業による大規模農業。もう1つは、建設業者が地元企業としてその地域の農業に参画する「地域興し的な農業」で、これが建設帰農として大きな流れになっています。
すでに特区での企業の農業参入は認められていますが、2005年9月に施行された改正農業経営基盤強化促進法によって、条件付きではありますが、農業生産法人を新たにつくらなくても建設会社のままで農地を借りて農業ができる道が開かれました。こうした建設会社が農業の新しい担い手になってきています。
根底には、食糧自給率の低さの原因となっている耕作放棄地の問題があります。
耕作放棄地を再生できる実力があるのは、建設土木をやっている建設会社もその一つです。建設会社はダムや橋をつくるだけでなく、区画整理や農地整備など土壌改良も行なってきています。建設会社は農業との係わりにおいても、お互いのニーズがマッチングしているといえます。
建設業の雇用過剰、低い食糧自給率の問題が、建設業と農業の親和性、農業参入の規制緩和という追い風に乗って改善に向かうことが期待されています。
しかし、一方で効率や経済性だけを追求する農業にならないように、「農地のあり方」をきちんと考え、日本の農業の未来の見本になれるようなものに育ててもらいたいと思います。

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2006年02月27日

農業塾OB会・白木農園ホームページ公開


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昨年秋から、農業塾OB会・白木農園の会員の協力を得て、白木農園のホームページ作りを進めてきましたが、ようやく本日公開する事ができました。
ホームページを作成する本格的な知識も無く、デザイン力も無いものが作るので、立派なものとはいえませんが、私たちの活動をできるだけ多くの人たちに見てもらいたく公開する事にしました。
ご覧になって、ご意見などお寄せください。わーい(嬉しい顔)
白木農園ホームページ

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2006年02月25日

「手前みそ」を作る


miso1.jpg毎年恒例になった、農業塾OB会・白木農園の「味噌作り教室」に参加しました。
午前9時からの開始でしたが、9時前に着いた時には、早い人たちが来て始めていました。会員の有志の方たちで、昨日のうちに大豆を洗って水につけておく作業までを終えてもらっていたので、すぐ圧力鍋で大豆を煮るところから始める事ができました。参加者が30数名だったので、大豆を洗うのも大仕事だったと思います。大豆はもちろん白木農園で自分達で育てたものを使っています。
講師はJA広島市の方にお願いし、先生の説明の後、手分けをして作業に取り掛かりました。約半年くい成熟させるので、その間カビが生えないよう、作業の段階で雑菌が入らないように特に注意するように指導を受けました。
作業開始から約3時間、正午前には4kg入りの味噌30数個ができあがりました。参加者の中には、別に麹を買って自宅で更に味噌を作る人も何人かいます。今は、昨年作った味噌を食べていますが、新しく作った味噌が食べられるのは9月頃になるでしょう。美味しい味噌が出来上がりますように…。わーい(嬉しい顔)

昔は「みそを買う家は蔵建たぬ」といわれ、買いみそをするのは家の恥とされていました。一家の主婦は、毎年丹精を込めて一年分のみそを造り、それを家族たちは「おらがうちのみそは日本一だ」と自慢しては、毎日食べていたのです。それが「手前みそ」なのですね。「手前みそ」は、自分で自分を褒めることを意味しますが、手作りみそへの愛着から生まれた言葉なのでしょうね。
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2006年02月24日

「自由と平等は両立しない」

先日、書きました藤原正彦さんの「国家の品格」の第3章で、に「自由と平等は両立しない」という記述があります。(原文のままのです)
本
そのうえ、自由と平等はは両立さえしません。 先ほど述べましたように、 アメリカのプライベートなゴルフ・クラブには女性会員を認めない所や、有色人種をほとんど入れない所が多くあります。これは、女性や有色人種から見れば不平等ですが、ゴルフ・クラブから見れば、組織する自由、趣向の自由、思想の自由です。自由と平等が正面衝突しています。
神は矛盾を犯しませんから、自由と平等がともに神から与えられたもの、などというのは真っ赤な嘘なのです。すなわち、神が与えたのはどちらか一方、あるいはどちらも与えなかったはずです。ところが自由と自由は正面衝突します。言論の自由はプライバシーを守る自由と衝突します。私の自由と他人の自由は常に衝突です。私が、好きな女性に接近する自由を行使すると、その女性は必ず私から遠ざかる自由を行使する、というのが私のこれまででした。自由と自由が衝突しなかったら、私は夢のような人生を送れたはずだったのです。
平等と平等も衝突です。平等な条件で競争すると弱肉強食となり、貧富の差が大きくなり、不平等となります。結果の平等ではなく機会の平等だ、という論が流行していますが、噴飯物です。
全大学生の親の中で、東大生の親の所得が最も多いことが証拠です。貧者の子弟は良質の教育を受ける経済力に欠けるため、東大入学の機会が小さくなります。すなわち、平等な競争が貧富の差という結果の不平等を生み、それが機会の不平等を生んでいるのです。平等が不平等を生むということです。結局、神は自由も平等も与えなかったということです。
もちろん民主主義、自由、平等には、それぞれ一冊の本になるほどの美しい論理が通っています。だから世界は酔ってしまったのです。論理とか合理に頼りすぎてきたことが、現代世界の当面する苦境の真の原因と思うのです。

自由と平等について、あまり深く考えた事はありませんでした。いま、自由を否定する人は世界中にいませんが、「自由」という言葉に束縛されて、日本古来の道徳や、日本人が長年のあいだ培ってきた伝統的な形を無くしたり、傷つけてきたものも少なくありません。「平等」についても藤原さんのの言うように「平等が不平等を生む」のもまた事実です。いろいろ考えさせられる書です。


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2006年02月23日

「小泉チルドレン」の懐

「お金がなくても国会議員になれた。」こんな記事が先日の新聞に掲載されていました。「小泉チルドレン」83人のうち11人が「資産ゼロ」、2月20日公開されました衆議院議員の資産報告から、こんな実態が浮かび上がってきました。小泉人気という「看板」に支えられ、「かばん」のない自民党議員が続々と誕生したわけです。
資産報告の不動産、預貯金、金銭信託が「該当なし」の資産ゼロで、自動車やゴルフ会員権もすべて「該当なし」という議員も何人かいます。「年末ジャンボ宝くじを20枚買った。これほど当たって欲しかった事はないですね」と言う議員もいたそうで、こんな人たちが国の政治をしているのかと思うと悲しくなってきます。
決してお金のない議員を批判しているのではありません。政治にはお金が掛かることに固執して、今の国会議員の立場を守ろうとする事に、精力を使い果たしたのでは、政治家として活動できるはずもないと思うからです。小泉チルドレン達の中で、次の衆議院選挙で当選できる人たちがはたして何人いるでしょうか。「勝ち馬」の側に立っていただけのことなのです。
お金がないからこそ、短い期間だからこそ、次を考えなければこそ、出来る事がたくさんあると思います。そんな事を期待するのが無理なのでしょうか。
自民党の首脳には、小泉首相の「イエスマン」であることを恥ずかしげもなく公言する人物も現れました。イエスマンは昔からいましたが、私たちの時代、それは「無節操な事」だからひた隠すのが普通でした。新しく当選した83名の自民党議員などは、大の大人でありながら「小泉チルドレン」などと言う蔑称をありがたがっている始末です。
自分の信念や心情に命を投げ出した明治時代の日本の政治家達、あのような姿を今の政治家に求めるのは幻想なのでしょうか。もうやだ〜(悲しい顔)
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2006年02月22日

「国家の品格」を読んで

本
藤原正彦さんの「国家の品格」を読みました。藤原さんは、この書の冒頭を次のように書き出しています。

これから私は、「国家の品格」ということについて述べたいと思います。我が国がこれを取り戻すことは、いかに時間はかかろうと、現在の日本や世界にとって最重要課題と思います。
私は、自分が正しいと確信していることについてのみ語るつもりですが、不幸にして私が確信していることは、日本や世界の人々が確信していることとしばしば異なっております。もちろん私ひとりだけが正しくて、他のすべての人々が間違っている。かように思っております。
もっとも、いちばん身近で見ている女房に言わせると私の話の半分は誤りと勘違い、残り半粉は誇張と大風呂敷とのことです。私は全くそう思いませんが、そういう意見のある事はあらかじめお伝えしておきます。

確かに、藤原さんの独断と思えるような箇所も無くはありませんが、今の日本人にとって一番大切なことを示唆しているように思えます。
藤原さんは「論理」とは、人に説明する「説得技術」にすぎないといい。その「論理」や「合理」だけで、すべてのものを判断する「市場原理主義経済」のもたらす恐ろしさを説いています。
株主中心主義や株式交換による企業買収の解禁などで、「会社は従業員のものではなく市場のもの」、という考えがまかり通る世の中になりました。しかし、株式市場での株主は、キャピタルゲインを追い求める者で、愛社精神などありません。従業員は、その会社で働き続けるので、自分の会社は大切に思います。「会社は従業員のもの」と言い、「会社は従業員のものではなく市場のもの」という市場原理主義経済の考えは間違いだと指摘しています。私もそう思います。
大騒ぎになった郵政改革などは、「市場原理に参加しないものは存在すら許さない」、と政治や経済における政策、閣僚の人事にいたるまで、何もかも市場原理を目指したもの、になってしまいました。その事を大多数の国民が受け入れている事にも問題があると思います。
「論理」や「合理」はとても大切ですが、その出発点やルートが違ってしまうと、とんでもない間違いをおかすと指摘し、そこに付加すべきものとして、論理の出発点を正しく選ぶために必要なもの、それが日本人のもつ美しい「情緒」や「形」だと書いています。
「論理」や「合理」を「剛(ごう)」とするならば、「情緒」や「形」は「柔」です。硬い構造と柔らかい構造を相携えて、はじめて人間の総合判断力は十全のものになる、との指摘なのです。
他人の悲しみに共感できる「惻隠(そくいん)の情」など、新渡戸稲造の「武士道」もでてきます。夢中になり、一晩で読んでしまいました。
藤原正彦さんは、小川洋子さんの「博士の愛した数式」のモデルになった数学者でもあります。
私たちが失ったものを思い起こさせてくれる「国家の品格」は多くの方に読んでもらいたい本です。

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2006年02月21日

芥川賞受賞作「沖で待つ」を読んで

本
第134回芥川賞を受賞した絲山秋子さんの「沖で待つ」を読みました。
女性総合職の<私>と同期入社で気の合う<太っちゃん>との、友人でもなく、恋人でもなく、同僚づき合いを描いて、その関係に横たわる茫漠とした空気を描いた短編小説です。一人称で、しかも話し言葉という形式を用いて表現しながら、小気味のよい純文学作品です。
<太っちゃん>と<私>が、どちらかが先に死んだらお互いの家にしのび込んでパソコンのハードディスクを壊し、中の記録を消す約束をします。<太っちゃん>は事故で死に<私>は約束を果たします。二人の信頼関係はきちんと書かれているし、心地良く読めるのですが、このような仕組みが置かれる以上、ハードディスクの中に何が入っているかが気になるのは、推理小説の好きな私だけの偏見なのでしょうか。それとも、ハードディスクに実際に何が入っていたか問うことに意味が無いのか、読者によっての意見の分かれるところかもしれません。私の読後の感想は、何かもうひとつ、短篇としてのコワさが欲しいような気もしました。
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2006年02月20日

「いざなぎ超え」???

最近、新聞や雑誌などで「いざなぎ超え」という話題をよく目にします。
景気に関する明るいニュースが頻繁に流されるようになったことを受け、現在の景気が「いざなぎ景気」を超える戦後最長の好景気になるのでは、ということなのですが…。exclamation&question
政府発表によりますと、今回の景気拡大は2002年2月を出発点としていて、仮に今年の11月まで景気の上昇が続けば、その時点で58カ月目を迎え、1965年11月から70年7月まで続いた 「いざなぎ景気」を超える戦後最長の好景気になるというのです。
今年の初売りでは、前年比10%以上の売り上げの伸びを記録した百貨店が多かったという景気のいいニュースが新年早々飛び交いました。
たしかに小売業など一部の業界では景気が良くなっているのは確かなようですが、一方、私達の地方に目を向けてみると、景気のいい話はあまり聞こえてこないのが現実です。こんな状態で、果たして本当に戦後最長型の好景気といえるのでしょうか。
今回の景気の立ち上がり期がこれまでの景気上昇期と緯っていた点の一つに、小泉政権下では、政府が景気回復の対策手段として公共投資に多額の建設資金を注ぎ込まなかった事があげられます。
公共投資には中央から地方へお金を投下するといった側面が強く、その公共投資によって景気が良くなるのは、建設業をはじめとした中小企業です。今回、そのような公共投資が大規模に行なわれなかったことを考慮すれば、地方や中小企業が現在の好景気を実感していないという状況も理解できます。
また、多くの企業が基本給を上げるのではなく、ボーナスを増やすという対応をしているため、それらの企業が経費削減のために大量に雇い入れた賞与対象外の契約社員や派遣社員たちも、好景気を実感できないまま、今までと変わらない生活を送っているのだと思います。
高度成長期に起きた「いざなぎ景気」は、1965年から足掛け6年続き、成長率は平均8%を上回りました。一方、平均成長率2%弱なのが今回の好景気です。 「いざなぎ超え」という言葉とは裏腹に、その恩恵にあずかれない人たちがたくさん存在するのが「今回の好景気」の特徴の一つです。
このブログをご覧の方で、はたして何人の人たちが「景気が良い」と感じているのでしょうか。exclamation&question

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2006年02月18日

「かき餅作り」


motituki1.jpg今日は、農業塾OB会・白木農園の仲間達との「かき餅作り」に参加しました。会場はJA広島市・白木支店の一室をお借りして、参加者20数名で行われました。会員の方が昨日からもち米をといだり、石臼を用意してくれるなどの準備をしてもらっていたので、スムースに進行しました。私は少し遅れて行ったのですが、すでに何臼かはつき終っていました。参加者が多いので、全員に1個ずつの「かき餅」は大変な数です。このかき餅には、我々が白木農園で栽培した黒大豆をたくさん入れて作りました。もち米を蒸す人、餅をつく人、つきあがった餅を仕上げる人などの作業分担し、お昼過ぎには完了しました。と言っても、私は感心しながら見ていただけで何の役にも立っていませんでした。最後の一臼は、会員のひとりが「オクラ」を粉にして持って来ていたものを入れてつきました。そのお餅は、あん入りのものと、入らないものを一つずつ、参加者全員で味わいました。オクラの粉入りのお餅は初めて食べましたが、風味もよくとても美味しいお餅でした。
かき餅の「なまこ」はそれぞれ持ち帰り、今日1日乾かして、明日には包丁で切り、更に乾燥させます。美味しいかき餅が食べられる日が待ち遠しいです。

motituki2.jpg
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2006年02月17日

「象徴的貧困」の蔓延

最近、こんな言葉を目にするようになりました。「象徴的貧困」とは、過剰な情報やイメージを消化しきれない人間が、貧しい判断力や想像力しか手にできなくなった状態をさすのだそうです。つまり、最近のように情報やイメージ、映像があふれる現代の社会で、人々の関心や話題がひとつの極に向かっていく奇妙な現象を言っているのです。どのメディアでも同じ人物がもてはやされ、時には嵐のようなバッシングを浴びる。社会全体の空気もメディアと一緒に特定の方向に傾いています。「メディアは多様化しているのに、人間の精神面では逆に画一化が進んでいる」は確かにその通りのような気がします。
そして、その結果として、政治や社会などの重要な問題についても、誰もが同じような感想や意見しかもてなくなっているというのも実感できます。昨年、秋の総選挙での自民党の大勝やホリエモンに対する見方などがまさにその事を物語っています。
この「象徴的貧困」は、フランスの哲学者ベルナール・スティグレールさんが使い始めた言葉だそうですが、そのスティグレールさんは「現代の大きな危機は、象徴的貧困が進んだために、自分と他の人間を区別する境界があいまいになったことなのです」と言っています。
特に犠牲になっているのは、幼い時から大量の人工的なイメージに囲まれた子供たちで、「文化産業によって人間の意識や精神までがコントロールされる。こんな時代は歴史上なかった」とも言っています。
メディアの多様化は進んいると思うのに、なぜ人々の意識は同じ方向に向かうのでしょうか。「それは、どのメディアも同じ数量化された商業主義的な枠組みで情報を扱っているからで、メディアの多様化と言われているのは、実は偽りの多様化にすぎない」のだとのこと。
これらの解決には、個人が情報を発信できるインターネットが期待できると言っていますが、また、「インターネットによって新しい形の象徴的貧困化が進んでいる」と指摘する学者もいます。メディアが私達を洗脳してしまう状態は本当に怖いことです。
一番の解決は、一人ひとりが、自分なりのはっきりとした価値判断基準を持つしかない考えますが…。もうやだ〜(悲しい顔)
posted by tontonton at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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